生徒会と風紀委員のゴタゴタで疲れているはずの達也だが、家に帰ってすぐに休む訳では無く、地下室に向かっていた。この司波家には、中央官庁や研究機関レベルのCAD調整装置があるのだ。
何故そのようなものが個人宅にあるのかと疑問に思うかもしれないが、それは今話すべき事では無いので割愛する。
「お兄様、深雪です。入ってもよろしいでしょうか?」
「遠慮は要らないよ。入っておいで」
たとえどれほど忙しくとも、達也が深雪を蔑ろにする訳無いのだが、深雪は毎回のように達也に許可をもらってからこの地下室に入る。
達也の方も毎回のように確認される事に慣れているので、初めのうちのように返事に詰まる事は無いのだ。
「失礼します。お兄様、CADの調整をお願いしたいのですが」
「三日前にしたばかりだが……設定が合ってないのか?」
普段は一週間に一回のインターバルだから、よほどの事があったのだろうと思って達也は聞いたのだが、その質問に深雪は大いに慌てた。
「滅相もありません! お兄様の調整は何時も完璧です!! ただその拘束系の術式を…」
「拘束系?」
「対人戦のバリエーションを増やしたいのです」
深雪は、今日達也が見せたように相手に最小限のダメージを与えるだけで相手を無効化するような戦い方が得意では無い。絶対的な魔法力で相手を圧倒する正攻法が最も深雪に合ってるし、得意のはずだと達也は思っていた。
「駄目でしょうか?」
上目遣いでご丁寧に瞳まで潤ませて達也に迫る深雪。もちろん、こんな事をしなくとも達也が深雪の頼みを断るわけ無いので――
「駄目じゃないよ。それじゃあ登録されてる起動式を整理してみよう」
――頭に手を置きながらそう答えた。
「じゃあまず、測定を済ませようか」
CADの調整にはまず、個人の魔法力を測定する必要がある。一般的にはヘッドセットで測定を済ますのだが、この家にある測定器は本格的なものだ。寝台に寝転がり、全身スキャンで測定をするのともう一つ、感情の込められていない達也の眼が、深雪の能力を測定していく。羽織っていたガウンを脱いだ深雪の姿に照れるでもなく、達也は淡々とその姿を見続けている。
測定が終わり、達也の興味は深雪から測定されたデータへと移り、黙々と作業を始める。兄から着ても良いと言われたので深雪はガウンを羽織りなおしたのだが、ただちょっと機嫌は良く無かった。
毎回の事だが、兄は自分の身体に興味を示してくれない。当たり前と言われたらそれまでなのだろうが、今日は少し何時もより深雪の心は穏やかでは無かった。
作業中の達也の背中に前かがみに体重を預け、抱きつくように首に腕を回した。普段の深雪にとっては考えられないほどの大胆な行動だった。
「お兄様はズルイです」
「深雪?」
さすがにこの行動は達也を焦らせた。一般的な青少年のような焦りでは無く、何故妹がこのような行動を取ったのかが、達也には分からなかったのだ。
「深雪はこんなにも恥ずかしい思いをしてるのに、お兄様は何時も平気な顔で」
「あの、深雪?」
「それとも、私では異性のうちに入りませんか?」
「いや、だからな……」
妹が異性のうちに入る訳が無いのだが、如何言えば納得してもらえるのかが分からない達也は、しどろもどろな返事しか出来なかった。
「お兄様は七草会長や渡辺委員長の方が好みなのですか? 本日は委員会本部で親しげに話しておいででしたし」
「見てたのか?」
深雪の当てずっぽうな憶測を質問の形で肯定した達也に、深雪は激昂した。
「まあやはり! お二人ともお美しいですものね!」
「おい深雪さん、何か勘違いしてないか?」
不穏な空気を感じ取って、達也が深雪を宥めようとしたが、既に深雪の手にはCADが握られており、起動式も展開済みだった。
「お仕置きです!」
「ぐわぁ!」
深雪が得意としている冷却魔法を喰らわされて、達也は座っていた椅子から吹き飛ばされるように床に倒れこんだ。
普通の人間だったら、最悪大怪我につながりかねない行動だが、この兄妹にとってこの光景は最早見慣れた光景なのだ。
「おはようございます、お兄様」
「俺、何かお前を怒らせるような事をしたか?」
「申し訳ありません、悪ふざけが過ぎました」
深雪の返事は、達也が摩利に使ったのと同じ言い訳だった。その事を瞬時に理解した達也は、苦笑いとともに差し出された深雪の手を取る。
「勘弁してくれ」
あれだけの魔法攻撃を喰らっておきながら無傷で、しかもその相手に笑顔を向けられる達也は、やはり普通では無かった。
翌日、深雪は自室のベッドで悶えていた。昨日の達也の反応に可愛いとまで思ってしまった自分が居た事と、ほぼ布一枚のみで兄に抱きついた自分が今更ながらに恥ずかしいと思っていたからだ。
「これは恋では無い。これは恋では無い。これは……」
自分に言い聞かせるように何度も同じ事をつぶやき、漸く思考が正常に戻った深雪は、勢い良くベッドから立ち上がりカーテンを開ける。
「お兄様の為にも、今日も美味しいご飯を作らなくては」
何時も通りに達也は八雲の寺に出かけている。一昨日のように深雪の方が先に起きてるなど稀な事なのだ。
寺でも朝食は食べさせてもらえるのに、毎回律儀にお腹を空かせて帰ってくる達也の為にも、深雪は朝食作りに手を抜く事は無かった。
「お兄様に喜んでもらうのが、深雪にとってのご褒美なのだから」
誰も居ない部屋でそんな事をつぶやく深雪は、やはり重度のブラコンなのだろう。もしこの場に誰か居たのなら、そう評価されても仕方ないくらいの表情だったのだ。
少し時を遡り早朝、四葉本家で真夜が葉山と会話をしていた。内容は魔法師排斥運動についてだ。
「学生はそう言った運動に心動かされがちだけれど、深雪さんたちの入った第一高校は如何なのかしら?」
「確かに『白の一味』に多少汚染されておりますが、心配なら手配しますが……」
「それは大丈夫よ」
葉山の心配を杞憂だと言わんばかりの笑みを浮かべて、真夜は葉山の言葉を途中で遮った。
「だってそうなったらそうなったで使い道はあるし、そもそもたっくんが居るから私たちが動く必要は無いわよ」
「しかし、達也殿は……」
「確かにたっくんには屈折した思いがあるけど、そんな事で悩むような柔な男の子でも無いもの。姉さんは如何思ってたかは知らないけど、たっくんはこの四葉に必須なんだから」
「敵に回すのは、確かに得策ではありませんが……」
「深雪さんを抑えられるのはたっくんだけだし、何よりこの私を満足させてくれるのもたっくんだけなんだから」
「は、はぁ」
主がこんな事を言ってると部下が知ったら如何なる事かと心配になった葉山だが、真夜も達也もその事を簡単に悟られるような素振りは見せないし、そもそも真夜がこんな言動を取るのは達也と深雪、そして自分の前だけなのだと思いなおした葉山は、寸でのところでため息を普通の嘆息で済ませた。
「さてさて、たっくんと深雪さんはどの様に私を満足させてくれるのかしらね。葉山さんは如何思うかしら?」
「私には皆目検討も付きませんゆえ」
「そう……私も分からないものね。良いわ、葉山さんお茶」
葉山の答えに満足がいったのか、真夜はそれ以上その話題をする事は無かった。恭しく一礼をして、葉山は真夜に紅茶を淹れる。熟練の執事である葉山は、動揺していてもしっかりと仕事をこなす事が出来るのだ。だから真夜も葉山には本性を見せるのだろうと、葉山と達也はそう思っているのだった。
次回部活勧誘……まで行くかな?