兄を壁際に残し、私は孤立無援の状況で黒羽親子の相手をしなくてはならなくなってしまった。正直言えば黒羽親子の相手は、文弥君を除き出来ればしたくないのだ。
「亜夜子さん、文弥君、二人ともお元気?」
「深雪姉さま! お久しぶりです」
「お姉さまもお変わりないようで」
私から声をかけると、文弥君は嬉しそうに、亜夜子さんは待ち構えていたような、それぞれに何時もの笑顔で迎えてくれた。
亜夜子さんと文弥君は私より一学年下の小学六年生。私と兄とは違い本物の双子なのだ。一学年下と言っても私が三月生まれで二人は六月生まれなので歳は同じ。それも原因の一つなのでしょうが、昔から亜夜子さんは私に対してライバル心を抱いているのだ。
二人の話を聞きながら、文弥君の服装はこの時期には少し不似合いの様に感じていたのだけども、本人も親御さんも喜んで着て(着させて)いるのだから余計なお世話だと思って口にはしなかった。
叔父様の自慢話を我慢して聞けているのは、何時も通りならそろそろ文弥君がそわそわとし出すからだ。多分に漏れず今日も誰かを探すようにきょろきょろと周りを見回し始めた。
「あの、深雪姉さま……達也兄さまはどちらに?」
ほら来た。文弥君は私の事を亜夜子さんと同じように、つまり実の姉の様に慕ってくれてるけど、それ以上に兄の事を慕っている……というか尊敬している節がある。
「あそこに控えさせているわ」
他愛のない事を考えてしまいそうになった頭を軽く振って、私は気合いを入れて作った笑顔で壁際を指し示した。
「……えっと、どちらでしょうか?」
壁際に視線を向けながら、きょろきょろと目をさまよわせる文弥君の隣で、亜夜子さんが無関心を装いながらもチラチラと壁際に目をやっている。亜夜子さんは文弥君以上に兄を慕っている節があるのだ。それはもう、恋心を抱いていると言っても過言ではないほどの関心を持っているのは見てすぐわかる。
彼女の分かりやすい態度がおかしくて、つい口元がほころんでしまったけども、亜夜子さんはそれが文弥君に向けられたものだと思ったようだ。関心のないフリを貫く彼女の隣で、私は文弥君に兄が立っている場所を指し示す。兄は私たちを見ていた。
「達也兄さま!」
「もう、仕方ないわね!」
兄を見つけパッと顔を輝かせて文弥君が兄の許へ小走りに駆け寄る。文句を言いながらも亜夜子さんも早足に文弥君を追いかける体で兄に近づいていく。
「まったく、お客様を放っておいて……」
唯一、黒羽さんだけが苦い顔をしている。私と同じく次期四葉家当主候補である文弥君に、ガーディアンである兄と親しくするなと言いたいのでしょうけども、兄と文弥君、亜夜子さんは再従兄弟同士なので、叔父様が気にし過ぎな点も否めないのです。
「二人とも、達也君の仕事を邪魔しちゃ駄目だろ」
「あらお父様。少しくらいよろしいのではありません? 深雪お姉さまはわたくしたちがお招きしたお客様。ゲストの身辺に害が及ばぬよう手配するのはホストの義務ですもの。ここにいらっしゃる限り、達也さんのお手を煩わせる事は無いと思いますけど」
「姉さまの言うとおりですよ。黒羽のガードは一人のお客様の身の安全も保証出来ないほど無能ではありません。そうでしょ、父さん?」
「それはそうだが……」
二人の言い分に困り果てた叔父様に助け舟を出したのは、他らなぬ兄だった。
「文弥、亜夜子ちゃん、あまりお父様を困らせるんじゃないよ」
「でも、達也兄さま……」
「滅多にお会いできないのですし、たまにはゆっくりとお話してもよろしいじゃないですか」
なおも縋りつく二人に、兄は笑みを向けた。考えてみれば、あの人が笑ったところなんて初めて見たかもしれません……
「黒羽さん、会場の中はお任せしてよろしいですか? 自分は少し外を見回って来ます」
「おお、そうかい? それは立派な心がけだ。分かった、深雪ちゃんの事は任せておきたまえ」
桜井さんが出かける前に言っていた自分を上手に騙すような建前を、兄と叔父様は上手く使いこなしている。
「そんな! 僕たち、明日には静岡に帰るんですよ!」
「文弥、少し落ち着きなさい……ですが達也さん、さっきも言った通り、滅多にお会い出来ない上に私たちは明日には帰ってしまいます。ですので早めにお戻りくださいね?」
「分かった。一通り見て回ったら戻る事にするよ。では黒羽さん、少し外させていただきます」
文弥君と亜夜子さんの頭を優しく撫でて、兄は自分に与えられた役割を忠実に果たそうとしている。あの人の手、思ったよりも大きいのですよね……
三人の話を半分の意識で聞いていた達也は、突如深雪が笑いだしたので、意識の全てを部屋の中に戻した。
「すみません、お兄様。少し昔の事を思い出してまして」
「昔の事、ですか?」
「お姉さま、それはいったい?」
「私がまだ愚かだった時の事よ。それがおかしくて」
その言葉に、達也は笑みを消し苦笑いを浮かべた。
「そういえばお兄様は、亜夜子さんと文弥君には昔から優しかったですよね……私、結構ショックだったんですよ?」
「あら、お姉さま。お姉さまは昔達也さんを使用人同様に扱っていたじゃないですか。それなのに優しくしてもらおうなんて都合が良すぎませんか?」
恋のライバル……とは違うのだが、この二人は大人の目が無いとかなり険悪なムードを醸し出すのだ。達也はさほど気にしないのだが、年相応の経験しかない文弥は、オロオロと二人交互に視線を向けたあとで、縋るような目を達也に向けるのだ。
「深雪、亜夜子ちゃんもそんなにピリピリするな。文弥が困ってるぞ」
「すみません、お兄様……」
「ごめんなさい、達也さん……」
達也の注意にシュンとしてしまう二人。その姿に再び達也は苦笑いを浮かべ、文弥は別の意味でオロオロとするのだ。
「俺も昔は子供だったと言う事だろ」
先ほどの深雪の質問に答えながら、達也は深雪と亜夜子の髪を優しく撫でる。その行動を、文弥が羨ましそうな目で見ているのは、きっと兄に甘えたい気持ちがあるからだろうと達也は考えているのだが、実は二人に嫉妬しているからなのだ。その事に達也が気づく事は永遠に無いのだろう。
駄目だな……寝不足はちゃんと解消しなければ……