劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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働き過ぎは良くない


容体悪化

 八月二十三日、金曜日の朝。制服に着替えた深雪が自室を出ると、水波が珍しくダイニングテーブルの椅子に座ってボウッとしていた。

 

「水波ちゃん?」

 

「あっ、深雪様。おはようございます」

 

 

 水波が慌てて立ち上がろうとする。だが彼女はその途中で、足が萎えたように力なく椅子の上に逆戻りした。

 

「水波ちゃん!? どうしたの!?」

 

 

 深雪が悲鳴を上げて走り寄る。

 

「あの、大丈夫です……。ただの立ち眩みですから」

 

 

 もう一度立ち上がろうとする水波の身体を、腋の下に両腕を差し入れて深雪が抱きかかえる。

 

「無理しないで! とりあえず、こっちへ」

 

 

 その体勢で、深雪は水波をリビングのソファに座らせた。

 

「メディカルコール!」

 

 

 そして水波の身体に手を添えた状態で、ホームオートメーションに呼び掛ける。

 

『こちらメディカルルーム。深雪様、お身体に何か?』

 

 

 その声に応えて、ビルに常駐する医療スタッフが壁面のスピーカーから問い返す。

 

「私ではありません。桜井水波の身体に異常が現れました。すぐに部屋へ来てください」

 

『直ちに向かいます』

 

 

 医療スタッフは即座に、深雪の命令に従った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水波の診断が終わってすぐ、深雪は達也へ電話を入れていた。

 

「それで、水波の容態は?」

 

『軽い貧血でした。お医者様は、夏バテではないかと』

 

「そうか……」

 

 

 巳焼島の研究室で深雪からの電話を受けた達也は、それを聞いて胸を撫で下ろした。

 

『入院の必要は無いそうです。今はベッドで休ませています』

 

「そうだな。肉体的なものだけでなく、心労も溜まっているに違いない。水波には休息が必要だろう」

 

 

 水波は戻ってきてからずっと働き詰めだった。その前は二週間の逃亡生活。光宣に連れ去られた時の経緯も、大きなストレスになっていたはずだ。ただでさえ体調を崩してもおかしくない状況だった。水波が魔法演算領域のオーバーヒートという爆弾を抱えていることを考えれば、もっと早く、無理にでも休ませておくべきだったかもしれない。

 

『今日は登校せず、このまま水波ちゃんの様子を見守るつもりです』

 

「俺もすぐにそちらへ戻る」

 

『えっ? お仕事はよろしいのですか?』

 

「一通り、案内は終わった。後は随時、ミーティングを持つ形になる」

 

 

 達也の言葉は嘘ではない。USNAから派遣された技術団の案内は昨日で終わっている。後は自由に見学してもらって、分からないところをミーティングで纏めて説明するだけだ。

 

『そうですか』

 

 

 ディスプレイの中で深雪がホッと安堵の表情を浮かべた。リーナが側に居るとはいえ、やはり達也が不在では心細かったのだろう。

 

『お待ちしております、達也様』

 

 

 画面の中で、深雪が丁寧に一礼した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水波の不調は取り憑かせているパラサイトを通じて、神戸の光宣にも伝わった。

 

「……光宣、大丈夫かい?」

 

 

 日が西に傾いた頃には、光宣はすっかり憔悴していた。レイモンドが心配して、こう声を掛けてきた程だ。

 凍結状態にあるパラサイトに、意思疎通の能力は無い。ただ取り憑いている対象である水波の想子活性度がパラサイトを縛り付けている術式を通して伝わって来るだけだ。

 詳しい状態は分からない。その所為で光宣は朝からずっと、焦りと戦わなければならなかった。所在を知られてしまうリスクを冒してでも、水波の詳しい容態を知りたいという焦りだ。

 光宣は達也から何時までも逃げ隠れしているつもりは無い。だが、ただ殺されるのでは、あるいは捕らえられ封印されてしまうのでは、日本に戻ってきた意味が無い。殺されるのなら、水波の側でなければならないのだ。

 

「……決めたよ、レイモンド」

 

 

 光宣は顔を上げてレイモンドに笑顔を向けた。

 

「今夜のうちに移動しよう」

 

 

 その言葉を聞いて、レイモンドが目を見開いた。

 

「じゃあ、いよいよだね」

 

「うん。明日、達也さんに挑戦状を送る」

 

 

 光宣は固い決意を感じさせる声音で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也が調布のビルに着いたのは昼前のことだった。エアカーで屋上のヘリポートに降りて部屋に迎え入れられた時には、水波は自分用の住居として割り当てられた最上階のワンルームで眠っていた。彼女が起きてきたのは午後五時過ぎだ。

 

「水波、もう起きて大丈夫なの?」

 

 

 真っ先に声を掛けたのは、水波を心配して昼食の時からずっと深雪宅のリビングにいたリーナだった。リーナは水波とは別に、やはり同じビル、同じ最上階のワンルームを住居として与えられている。

 

「はい、大丈夫です。ご心配をお掛けしました」

 

 

 水波はリーナに続いて達也、深雪に向かって、一度ずつ頭を下げた。

 

「水波ちゃん、無理はしないでね。少しでも調子が悪かったら正直に言うのよ」

 

「かしこまりました」

 

 

 深雪の言葉に、水波がもう一度頭を下げる。

 

「兎に角、大事が無くてよかった」

 

「達也さま。お仕事の邪魔をしてしまい、まことに申し訳ございません」

 

「気にしなくて良い。一日や二日で遅れが出るような仕事はしていない」

 

 

 罪悪感に塗れた顔を見せる水波に、達也は安心させるような表情で彼女の髪を撫でる。

 

「うわっ。思い上がりに聞こえないところが何か、むかつく」

 

 

 リーナが態と憎々しげな口調で茶々を入れる。まず深雪が失笑し、リーナ、水波へと笑い声が広がった。




そりゃ達也の実績を考えたらな

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