夏休みの、しかも土曜日であるにも拘わらず、一高の校内は大勢の生徒でにぎわっていた。中止になった九校戦の代わりに交流戦の開催が決定したというニュースが、この短時間で広く伝わっているということだろう。生徒たちはそれだけ九校戦の中止を残念に思っており、モノリス・コードだけでも復活したと知って居ても立ってもいられなくなったのだ。
そんな状態だから、深雪とリーナが高級セダンで登校した姿を目撃した生徒は少なくなかった。そして誰も、奇異の目を向けなかった。深雪が何者なのか知らない一高生は、今やいない。彼女に向けられる視線の中にあるのは恐怖――ではなく憧憬と称賛、そして崇拝。
「深雪お姉様! あぁ、お会いしとうございました」
……彼女ほど熱烈で直球の想いは稀だが。
「先日は素晴らしいご活躍だったとうかがっております! ですが、お怪我はありませんでしたか? ご無理をなさってはいませんでしょうか?」
「泉美ちゃん、少し落ち着いて。私は怪我もしていないし無理もしていないわ」
深雪ももう、慣れたもの。今では泉美の態度に顔の一部を引きつらせるようなこともない。――反射的に少し引いてしまうのは、どうしようもなかったが。
「泉美、いきなり抱き着いたりするから会長が引い……驚いてるだろ」
エキサイトする泉美を、双子の姉である香澄がたしなめる。
「くっ……か、香澄ちゃん、苦しい! 苦しいですよ!」
「良いから離れる」
香澄に後ろから襟を引っ張られて、泉美は渋々深雪から手を離した。
「深雪先輩もモノリス・コードの件でいらっしゃったのですか?」
だが離れようとはしない。今の泉美は、久しぶりに会えた飼い主に、一所懸命尻尾を振ってじゃれつく子犬のようだった。
「私もお手伝いできればと思って」
節度さえ守られていれば、深雪も慕われて悪い気はしないのだろう。深雪は微笑まし気な表情を向けて泉美に答えた。
「ほのかは生徒会室?」
「いえ、光井先輩は部活連本部にいらっしゃいます」
「ありがとう。リーナ、行くわよ」
深雪は放置状態になっていたリーナに声をかけて部活連本部がある部室棟へ向かう。
「ご一緒します」
その横に泉美がぴったりとついて行く。一歩下がった距離感を保ちながら、リーナが「やれやれ」と言わんばかりに肩を竦めた。彼女がふと隣を見ると、香澄が歩きながら同じような仕草をしている。リーナと香澄の間に、友情に似た共感が生まれた。
深雪が部活連本部に着いた時、ほのかはちょうどそこを離れようとしていた。ぎりぎりで行き違いにならずに済んだ格好だ。
「深雪!? お家の方はもう良いの?」
「ええ。元々、私がしなければならない仕事なんてほとんど無いのよ」
「そうなの? 凄く忙しいんだと思ってた」
ほのかの言葉に、深雪は注意して見なければ分からない程度の微かな苦笑いと共に答え、意外そうにほのかが返した。
「達也様はお忙しくていらっしゃるわ。そうとは仰らないけど、多分私の分まで」
「そうなんだ……」
ほのかが落胆の呟きを漏らした。その気持ちは深雪にもよく理解できた。達也が忙しいのは事実。一緒にいられる時間が減って、深雪も本当は寂しさを覚えている。
だが今日一緒に登校すると達也が言ってくれたのを、止めたのは深雪だ。彼女はその罪悪感を、話題を変えることで誤魔化した。
「それよりほのか、交流戦を開催できる目途が立ったのでしょう? 良かったわね」
「うん、それはそうなんだけど……」
「何があったの?」
ほのかの奥歯に物が挟まっているような言い方に、深雪が首を傾げる。
「何だか、いきなりだった」
そこへほのかの背後から歩み寄った雫が口を挿んだ。雫がここにいるのは何ら不思議ではない。彼女は自他共に認めるモノリス・コードのフリークだ。交流戦の準備に関わろうとしないはずはなかった。
「いきなりって?」
今度は深雪の背後にいたリーナが進み出て尋ねる。多分、リーナは会話に参加する機会を窺っていたのだろう。
「達也さんにアドバイスしてもらってすぐに、五十嵐くんがOBの伝手をたどって陸軍の広報部にお願いしてみたんだけど。彼、感触が良くないって昨日までずっとぼやいていたの」
「それが今朝、急に向こうから連絡があった」
「国防軍から?」
ほのかのセリフを受けた雫の言葉に、裏の事情に心当たりがあることを隠しながら、深雪が問いを返す。
「うん、そう」
「モノリス・コード交流戦を、例年の九校戦と同じレベルで後援したい、って」
雫が頷き、ほのかが詳しい内容を捕捉する。
「五十嵐君がそう言ったの?」
深雪は敢えて、疑う様なセリフを口にする。
「電話がかかってきた時、私もその場にいたから間違いないよ。びっくりしちゃった」
「そうでしょうね」
ほのかがその時を再現するように目を丸くして見せて、相槌を打ち深雪の袖をリーナがクイッ、クイッと引っ張る。
「ねぇ、それって……」
小声で囁きかけるリーナを、それに続く「やっぱり」というセリフを、深雪は目で止めた。
「深雪先輩、リーナ先輩、お昼はまだですよね? 詳しいお話はお食事をしながらにしませんか」
「そうね」
「では食堂に参りましょう」
泉美の気遣いに深雪が即、頷く。
「営業してるの?」
「いつもに比べてメニューは少ないですけど、営業していますよ」
リーナが深雪に釘付けの泉美ではなく香澄に尋ね、突然話しかけられたにも拘わらず、香澄はすぐに答えを返した。
リーナはもう少し空気を読もう……