ペンタゴンとホワイトハウスの考えは、冷静に考えれば、それ程理解しがたい話でもない。エドワード・クラークは裏社会では『七賢人』の黒幕として大きな影響力を有しているのかもしれないが、表社会では政府機関の一職員に過ぎない。『七賢人』としての力の源である『フリズスキャルヴ』も、連邦軍参謀本部がその気になれば、何時でも切断可能なものでしかなかった。
それに対して達也は、現時点で世界最強の破壊力を持つ戦略級魔法の遣い手だ。確かにその魔法がUSNAの覇権を揺るがすという面はある。だがその反面、新ソ連と大亜連合を日本以西に抑え込む役割も期待できる。達也が日本軍と余り上手く行っていないという最近の動向を、USNAの情報機関は正確に把握している。交渉次第で達也を西太平洋地域におけるUSNAの強力な同盟者として利用できると、ペンタゴンの専門家は考えていた。
この軍事的な価値に加えて、達也の『恒星炉』技術は、入手できたならばUSNA経済に大きなメリットをもたらすとホワイトハウスの経済官僚は期待していた。アメリカ経済界は、その本音では、不安定な所謂再生可能エネルギーに満足していない。何時でも望む時に、国土の何処でも、望むだけのエネルギーを消費できる。『恒星炉』は、かつて享受した「大量生産・大量消費の豊かな社会」を取り戻すきっかけになると考える者も、大っぴらに口にはしないが、決して少なくなかったのだ。
ここで軍艦を奪って逃走するというクラークの選択は、彼とUSNAの関係だけから判断すれば、決して悪いものではなかった。クラークは艦外カメラでマーキス艦長を乗せたゴムボートが十分に離れたのを見て、機関の再始動を命じた。軍の艦長に与えられる、艦の全機能を問答無用で凍結する「非常コード」は、無線では使えない。マーキスが艦に戻ろうとしても間に合わなくなるまで離れる必要があったのである。
「あの島の東岸を狙ってミサイルを発射してください」
このクラークの命令は、あくまで達也の暗殺を果たそうとしたものではない。その証拠に狙いは四葉関係者の居住施設があると分かっている西岸ではなく東岸だ。囚われた「捕虜」と、グアムを離れたゴムボートを収容しようと待ち構えている守備隊を攻撃することで混乱を引き起こし、逃げる時間を稼ごうとしたのである。結果的には、これがクラークの命取りになった。
「全速力で南に向かってください」
「了解。機関全速」
機関全般を操作し航法を兼務している水兵がクラークの指示に従い電磁推進機関の出力を一気にマックスまで引き上げる。
「ドクター! VLSのハッチが開きません!」
同時に、火器管制席に着いていた下士官が強襲揚陸艦『グアム』に生じた最初の異変を伝える。『グアム』のミサイルシステムは
「やむを得ませんね。ミサイル攻撃は中止します」
クラークの切り替えは早かった。所詮は牽制、攻撃に拘泥する必要は無い。彼は発進をさらに急がせようと、航法担当の水兵に顔を向けた。しかし彼が急かすよりも早く、艦の状況を監視しているシステムが警報を発した。
「何事です!?」
けたたましいブザーの音に負けないよう、クラークが声を張り上げる。
「浸水です! 艦の外殻に複数の亀裂が発生しています!」
回答の声はクラークのよりも大きく、ヒステリックだった。
「隔壁緊急閉鎖!」
「駄目です、間に合いません!」
戦闘指揮所をパニックが支配する。
「亀裂拡大! 艦が、分解します!」
不吉な軋みのすぐ後に、クラークは大きな揺れと浮遊感を覚えた。椅子が傾いている。『グアム』が沈没しているのだと、クラークは覚った。
「―――」
叫ぼうとして声にならず、彼の思考はそこで途絶えた。幸いに、と言うべきだろうか。エドワード・クラークは、溺死の耐え難い苦しみを体験せずに済んだ。『グアム』の沈没が誰の目にも明らかになった時点で、クラークの生命は尽きた。彼の死体が引き上げられることは無い。バラバラに散った白骨から、その死が明らかになることも決してない。彼の肉体は、意識の断絶と同時に消失していた。元素レベルにまでバラバラに分解されて、一部は海の溶け、残りは泡となって消えた。
沈み行く強襲揚陸艦を映しているメインスクリーンに向けていた『シルバー・ホーン』を、達也がホルスターに戻す。指令室に詰めているのは皆、四葉家の優秀な魔法師ばかりだ。特に恵まれた超感覚の持ち主が選び出されている。にも拘らず、達也の身体から放たれた魔法の気配を感じ取れた者は、僅か三人しかいなかった。
「達也様、お疲れ様でした」
その内の一人、深雪が抑えた口調で達也を労う。彼女の声を耳にした指令室スタッフは、そこに勝利の歓びも、露わな賛美も込められていなかったことに訝しさを覚えた。しかしすぐに、次期当主に対して個人的に労うことを見られるのに何か問題があるのだろうと独りで納得していた。
達也が『分解』で『グアム』を沈めたことに気付いたのは三人。だがエドワード・クラークを『雲散霧消』で葬ったことに気付いていたのは、深雪一人だった。
慈悲深いのか、容赦ないのか