劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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往生際の悪い奴らが……


艦内の温度差

 深雪は達也に尋ねたのだが、答えは別の人からもたらされた。

 

『民間人である我々には軍の持ち物を鹵獲する権限も無ければ捕虜を取る権限も無いからな。処置に困るという意味では、どちらも同じだろう』

 

 

 勝成のセリフで大体の所は深雪も理解したようだったので、達也からの追加の説明は無い。

 

『とりあえず丸腰で艦から退去するよう求めるつもりだ。ついては、海を凍り付かせている魔法を解除してもらいたい。この魔法は深雪さんのものなのだろう?』

 

「そうですね。それが妥当でしょう」

 

 

 達也は勝成のセリフに同意を示して、深雪に目配せをする。深雪は達也の視線に一礼した。

 次の瞬間、海に異変が起こる。いや、今の季節と緯度を考えれば、正常化したと表現すべきか。半径一キロ、五キロ、十キロの氷原が瞬く間に消滅する。自然融解でない証拠は、消失速度ばかりではない。周囲の海水に温度低下は見られない。逆に、氷原の出現によって冷やされていた周りの海も元の水温を取り戻した。

 何事もなかったような、まさしく何時も通りの声で、深雪がマイクに話しかける。

 

「勝成さん、交渉の続きをお願いします」

 

『了解した』

 

 

 勝成の返答には、「まったく、君たちは……」という呆れ越えの副音声が、確かに付随していた。

 

「達也様、これで終わりますね」

 

「そうだな……」

 

「達也様?」

 

 

 既に投降勧告を受け容れ、捕虜にはできないにしても艦内から人がいなくなれば脅威も無くなると思っていた深雪は、達也の歯切れの悪い返答に首を傾げた。だが、達也から具体的な説明は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グアムのアニー・マーキス艦長は、抵抗する気力を完全に喪失していた。自分の艦を襲った天変地異。それは彼女が知る魔法とはまるで別物だった。次元が違った。

 一瞬と言っても過言ではない短時間で、全長三百メートルを超える巨体が氷の中に閉じ込められた。艦内は冷気の侵食を免れたが、艦の外側は甲板まで氷に囚われていた。凍結は電磁推進機関内部の海水にまで及んでいて、身動きは全く取れなかった。

 攻撃目標の島にいる魔法師の仕業だとは、誰に教えられなくても理解できていた。だが、この状態で反撃などできるはずもない。動かない単なる的と化している艦艇では、反撃の直後狙い撃たれるのがオチだ。第一、砲塔もミサイルハッチも凍り付いていて、動かそうと思っても動かないだろう。

 無線で突き付けられた投降勧告に、長く悩む必要は無かった。選択の余地はなかった、と言う方が正確か。それでも部下の手前、五分程悩んだフリをして、マーキスは投降を受け容れた。その直後にもう一度、マーキス艦長だけでなくクルー全員が度肝を抜かれる。艦を閉じ込めていた氷が、氷原ごと消え失せたのを目の当たりにして。

 まるで夢を、悪夢を見せられているような気分だと、クルーの誰もが感じていた。人間に負けたという実感が欠如しているからだろう。艦長の退艦命令にクルーは誰も逆らわなかった。

 

「ドクターも艦を降りていただけますか」

 

 

 搭載艇などの戦闘用舟艇ではなく非常用のゴムボートで艦を離れる部下の姿を艦外カメラの映像で見ながら、アニー・マーキスは戦闘指揮所に残っていたエドワード・クラークに退艦を促した。

 

「この状況ではやむを得ませんね……。いったんキャビンに戻って良いですか? 私物を取ってきたいので」

 

「武器でなければ構いません」

 

「武器ではありません。では、失礼します」

 

 

 クラークの態度は、不満を隠そうとしても隠しきれていないというものだった。退艦に――降伏に本当は納得しているのではないという本心が透けて見える。

 だからかえって、マーキス艦長は安心した。彼女は「物分かりの良すぎる態度はこちらを騙そうとしている証だ」と考える種類の人間だった。マーキスは艦内警備システムで自分以外に人が残っていないことと、機関が全て停止していることを確認して、戦闘指揮所を後にした。彼女は機械音痴ではないが、専門の技術者と同等の知識を持っているわけではない。自分の艦の情報システムがクラーク一味によってクラックされていることに、マーキス艦長は気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘指揮所が無人になってすぐ、クラークは彼の協力者と共にそこへ舞い戻った。艦の電子頭脳を掌握しているクラークにとって、今、艦内の何処に何人の人間がそこにいるのか把握するのは造作もない。彼の「協力者」は市民権を餌に釣り上げた外国籍の兵士ではなく、航海前に金銭で買収した海軍の下士官および兵士だ。その中にパラサイトは一体もいない。全員が操艦スキルの持ち主であり、これはつまり、クラークが作戦開始前から自分だけ逃亡するつもりだったことを示している。

 最初から負けるつもりだった、というのは穿ち過ぎだろう。だが負けた後に備えていたのは間違いない。彼はUSNAにおいて、自分の立場が日々悪化しているのを理解していた。今回の作戦が一発逆転の大博打であることも、正確に認識していた。負ければ、USNAに帰る場所は無い。クラークはそう思い込んでいたのかもしれない。

 そしてそれは、決して的外れではなかった。後になって判明したことだが、ペンタゴンもホワイトハウスも、作戦の成否に拘わらずクラークを切り捨てるつもりだったのだ。




切り捨て決定してるのになぁ……

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