劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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お偉方はうだうだと……


現実的な脅威

 二〇九七年八月三日。防衛省は朝から緊迫した喧噪に包まれていた。日本時間七月三十日朝、ハワイ州オアフ島を出港したUSNA海軍強襲揚陸艦『グアム』の目的地が、ほぼ間違いなく伊豆諸島だとその針路から判明した為だ。

 戦術AIによる予測を最初、背広組も制服組も信用しなかった。ただ無視することもせず、制服組はUSNA海軍太平洋艦隊司令部に『グアム』の目的を尋ねた。問い合わせに対するUSNA海軍の回答が、防衛省をパニックに陥れた。彼らは「グアムは秘密作戦中であり質問には答えられない」と返してきたのだ。また「グアムに生じた情報機器の故障により、現在位置を把握できていない」とも。

 何処にいるか分からないと言うのは、明らかな嘘だ。日本以上に多数の軍事衛星を運用しているUSNAが海上を航行中の自国艦船を見つけられないはずはない。こんな見え透いた嘘を平気で吐くのは、非友好的な意図があるとしか考えられなかった。

 こうなると、戦術AIの予測を「機械の判断ミス」と片付けられなくなる。USNA艦艇による伊豆諸島攻撃に備えなければならないという声が、主に制服組の間で高まった。

 元々海軍士官の間では、USNAに対する反感が燻っている。新ソ連の侵攻と歩調を合わせるようにして、伊豆諸島・巳焼島に対して行われた輸送艦による奇襲上陸攻撃。島の実質的所有者である四葉家と防衛省の利害が一致した結果、公式記録上は無かったことになっている事件だが、奇襲に使われた輸送艦はUSNA海軍所属の『ミッドウェイ』だったと分かっている。

 敵対関係にあるならいざ知らず、日米の同盟関係はまだ維持されている。USNA海軍による奇襲は裏切りであり、だまし討ちに他ならない。しかも奇襲が失敗した後、何事も無かったかのように謝罪どころか言い訳の一つすらない。

 制服組にとってUSNAの態度、振る舞いは虚仮にされているとしか思えないものだった。国防軍内では海軍の尉官、佐官を中心に即時迎撃を主張する論調が高まっていた。だが防衛省の背広組の間では制服組とは逆に、交戦は絶対に避けるべきだという意見が主流をなしていた。

 二〇九五年十一月以降、日本とUSNAは微妙な緊張関係にある。日本が大亜連合に勝ちすぎたことがきっかけだ。これはUSNAが一方的に脅威を覚えているのであって、日本としてはどうすることもできない。大戦前であれば自ら軍事力を落とすという対応もあったかもしれないが、有事の際に同盟国の援助を全面的には当てにできなくなっている大戦後の状況で、自分から弱体化を選ぶのは国民に対する義務の放棄に等しい。

 だからといってUSNAと明確な敵対関係に陥るわけにはいかない。多少面子を潰されたからとUSNAに対する全面対決に踏み切るのは、日本にとって自殺行為だ。ただでさえこの国は、西に大亜連合、北に新ソ連という敵対的な大国を抱えている。せめて東は、表面的であろうとも友好を維持しなければ国の安全が保てない。「栄光ある孤立」が通用する時代ではないのだ。

 背広組の本音は「名を捨てて実を取る」、決定的な決裂を避ける為ならば多少の損害は甘受すべきというものだ。この防衛省内の意志不統一が、外国の戦闘艦接近に対する措置の遅滞につながっていた。民間へ警告が中々出されなかったのも、その一つだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水波が着信を告げに来たのは、久々に友人たちとテーブルを共にした昼食が終わった直後のことだった。

 

「達也さま、お電話です」

 

 

 退院がマスコミで報じられて以来、達也の許には様々な電話が――詐欺に等しいセールスの電話も――掛かってきている。その全てに応じていては時間がいくらあっても足りない程だ。それは水波も心得ていて、彼女の所でもある程度の取捨選択をしてくれているのだが、受け取るかどうか、達也が判断しなければならないものも少なくない。

 

「誰からだ?」

 

 

 何人か電話を掛けてきそうな相手を思い浮かべながら達也はそう尋ねた。

 

「三高の一条様からです」

 

「一条から?」

 

 

 正解は、達也が思いもよらない相手だった。「三高の」と水波がつけたのは、一条剛毅と区別する為だろう。電話の相手が予想外だったのは達也だけではない。深雪も訝し気な表情を浮かべ、友人たちの間にもざわめきが起こる。

 

「――分かった。応接だな?」

 

「はい、第一応接室です」

 

 

 彼らが食事をしていたのは仮の自宅として使っている部屋ではない。来客用の小食堂だ。隣には商談用の応接室が幾つか設けられており、第一応接室はテレビ会議用の設備が導入されている部屋で師族会議にオンラインで参加することもできる。おそらく一条将輝は、この十師族用の回線を使ってコンタクトしてきたのだろう。

 立ち上がった達也を先導すべく、水波が出入り口の扉に向かう。だが達也が彼女を止めた。

 

「水波、皆に飲み物を頼む」

 

 

 この食堂には給仕が別にいるのだが、次期当主である達也の専属メイドでスキルも十分な水波が手伝っても文句を言う者などいない。

 

「お前と話をしたそうにしている者もいる。飲み物を配り終わったら、少し相手をしてやってくれないか」

 

「――かしこまりました」

 

 

 やや納得がいかないような顔をしながら丁寧に一礼する水波を置いて、達也は一人で第一応接室へ向かった。




意外感たっぷりの相手

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