劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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達也だからできる方法


海中運航

 水波に見送られて、達也、深雪、リーナの三人を乗せたエアカーは海の中に突入した。夜明け前の海中は文字通り一寸先も見えない完全な暗闇。そこを達也はライトを点けず後ろ向きに突き進んでいく。

 エアカーの推進力は、水の中でも重力制御魔法だ。車体に掛かる地球の重力の方向を進行方向から引っ張られる形に改変している。空気中であればほぼ自由落下状態となり車内は人工衛星の中と同様に重力を感じなくなる。しかし水の抵抗を無視できない水中では、絶えず進行方向へと自分を引き寄せる重力を乗員は意識せずにいられない。達也がエアカーを後ろ向きに進ませているのは、進行方向に向かって生じる加重をシートベルトで受け止めるより背もたれに預けた方が、深雪たちが楽だろうと考えたからだ。確かにその方が肉体的な負担は少ない。前向きだと、ずっとブレーキを掛け続けている車に乗っているようなGを感じることになる。後ろ向きに進んでいる今は、シートの座面には体重が掛かっておらず、背中にだけ軽い加重を感じ続けている状態だ。

 十分も進まない内に、リーナは自分がどのような体勢でいるのか分からなくなってしまった。車体と車内には慣性中和の魔法が働いており、窓の外は闇一色。どちらに進んでいるのか、手掛かりもない。薄暗い車内で浮いているのか座っているのか、前進しているのか後退しているのかも分からない不確かな状態。後部座席に一人で座っているリーナは、徐々に強まっていく不安に心を圧迫されていた。

 

「ねぇ、達也。ライトを点けなくて良いの?」

 

 

 遂にリーナはプレッシャーに耐えられなくなり、運転席の達也に話しかけた。

 

「点けない方が良い。海中ではあまり役に立たない。発見されるリスクを徒に高めるだけだ」

 

「でも海山とかクジラとかにぶつかったら危ないんじゃない?」

 

「この辺りにこの深度で衝突するような海山はない。それに、ライトを点けなくても外の状況は『視』えている」

 

「……何それズルい」

 

 

 リーナが妙に子供っぽく不平を鳴らす。唇を綻ばせた深雪が、助手席からリーナへと振り返った。

 

「リーナ、もしかして怖いの?」

 

「こ、怖くなんかないわ!」

 

 

 深雪の口調は揶揄するようなものではなかったが、リーナは顔を赤くして間髪入れず言い返した。

 

「……ただ外の様子が分からないから、少し不安になっただけよ」

 

 

 すぐにリーナのトーンが下がったのは、むきになっては深雪のセリフを認めるようなものだと考えたからだろう。とはいえ完全なポーカーフェイスは為し得ず、リーナは少し恥ずかしそうにそう付け加えた。

 

「敵が何処に潜んでいるのか分からない、みたいな感じかしら?」

 

「そう、それよ」

 

「リーナはアメリカ軍の少佐殿ですものね。私には分からない感覚だわ」

 

 

 本気なのかからかっているのか分からない口調で呟いた深雪が、達也へ目を向ける。

 

「達也様。リーナの気持ちも理解できなくはないと思います。そろそろ空に上がっては如何でしょうか」

 

「そうだな。予定より少し早いが浮上することにしよう」

 

 

 こともなげに達也は頷いた。深雪のリクエストに不安を覚えたのは、切っ掛けを作ったリーナだった。

 

「予定より早いって、巳焼島から十分に離れなくて大丈夫なの?」

 

「もうすぐ日本海溝だ。カムフラージュには十分だろう」

 

「日本海溝って……まだ三十分くらいしか経っていないのに!?」

 

 

 達也が告げた現在位置に、リーナが驚きの声を上げる。

 

「いったいどれだけスピードが出てるのよ?」

 

「最高で時速四百キロメートルだな」

 

「時速四百キロってことは……水中で二百ノット超ですって!?」

 

 

 密閉されたエアカーの車内にリーナの叫び声が轟く。深雪は不快げに顔を顰めたが、達也は平然として眉も動かさなかった。

 

「大袈裟に驚くほどではないだろう。全盛期のスーパーキャビテーション魚雷でも二百ノットを記録している。このエアカーは国防軍のムーバルスーツや君たちのスラストスーツと同じ様に、周囲に空気の繭を形成し飛行中の抵抗を軽減する。水中ではこの空気の繭がスーパーキャビテーションと同じ効果を発揮するんだ」

 

「……そういうものなの?」

 

「現実を否定しても意味はない」

 

 

 完全に納得しているようには見えなかったが、リーナはそれ以上質問も反論もしなかった。

 車体を上に向けて、エアカーが海面へ浮上する。後ろ向きで航行していたエアカーを進行方向に向けて反転させ、さらに水平ポジションから仰角を大きく摂る姿勢に移行したのだが、リーナも深雪もその変化を感じなかった。四十五度を超えた角度で急上昇していると彼女たちが認識したのは、海面を離れた瞬間だった。

 巳焼島から東に二百キロの海域は日の出の直後。朝日に煌めく海面が、自分たちが乗るエアカーの体勢を二人に教えた。僅かに夜の色を残した空へ、エアカーは真っ逆さまに落ちていく。――外から見れば仰角六十度で急上昇している状態だが、「落ちている」というのが深雪とリーナの、嘘偽り無い実感だった。

 

「深雪、ステルスコントロールを頼む」

 

「は、はいっ」

 

 

 景色に見入っていた深雪が、達也の指示に慌てて応えを返す。電磁波迷彩魔法の制御が達也から深雪に手渡された。外気温と同じ波長の赤外線と単色の可視光のみを放出し、他の電磁波を一切反射しない魔法のスクリーン。その偽装魔法から解放された達也は飛行魔法に力を集中する。エアカーは瞬く間に、時速一千キロに達した。




周りが見えない恐怖は何となく分かる

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