達也が新居に顔を出すということで、雫とほのかは朝からそわそわしている。他の婚約者たちも多かれ少なかれ気にしている様子は見られるが、この二人の落ち着きようのなさは群を抜いている。
「達也さんがこっちに来るのって久しぶりだし、変なところないよね?」
「大丈夫、ほのかは何時だって可愛いから。そんなことより、私の方も変なところはない?」
「雫だって可愛いから大丈夫だって」
先ほどからこのような遣り取りが繰り広げられているのだが、二人ともそのことを忘れているのではないかと思うくらい同じことを確認している。それだけ達也と会うのが久しぶりだということなのだが、それにしても落ち着きがない。
「雫、端末が鳴ってるよ?」
「誰、こんな時に……お母さん?」
通信端末に表示された相手の名は北山紅音。雫の母親にして、達也に苦手意識を持っているように雫は思っているが、ここ最近話すこともないので電話もしていなかった相手が、何故このタイミングで電話を掛けてきたのかと、雫は首を傾げながら通話ボタンを押す。
「もしもしお母さん? 何かあったの?」
『今日司波達也くんと会うって言ってたわよね?』
「お父さんから聞いたの?」
雫の父、北山潮は達也のESCAPES計画の出資者の一人であり、誰よりも早く達也の研究への出資を決めた『北方潮』である。今日達也がこっちに顔を出すと潮には話していたので、父親経由で紅音の耳に入ったのだろうと雫は考えたのだ。
『別にそんなことは良いでしょ。それより、一度こっちに顔を出してもらえないかしら』
「達也さんに?」
『えぇ。潮君が一度無事を確かめたいからって言って聞かないのよ』
「私たちだってまだ直接見てないから分からないけど、達也さんなら大丈夫だと思うよ」
真実は深雪から聞かされて知っているのだが、そのことを潮や紅音に話すわけにはいかない。なので雫は断言することはせずに、憶測で紅音を納得させようとしたが、それでは紅音を黙らせるには至らない。
『魔法師からしても司波達也くんの研究テーマは非常に有意義なものだけども、潮君からしても貴重な収入源になるかもしれない研究だし、その中心人物の無事を直接確かめられないなら、出資も見直さなければならなくなるかもって言っているの。だから、わずかな時間でも良いからこちらに顔を見せてもらえるように言っておいてちょうだい』
「ちょっ、お母さ――」
娘の返事を聞くことなく通話を切った紅音に、雫はため息を堪えられなかった。雫の正面で会話を聞いていたほのかも、苦笑いを浮かべている。
「小母さん、相変わらずだね」
「達也さんのことを認めたくないのかもしれない。最初は企業連合の情報網でも達也さんの素性を調べられなかったことで苛立って、その次は達也さんが四葉の後継者に指名されたことで。その次は達也さんがトーラス・シルバーで、加重系統魔法の三大難問でもある課題を実現しようとしているわけだし。同じ魔法師としての嫉妬が強く出ても仕方ないとは思うけど」
「小母さんも優秀な魔法師だからね」
潮と紅音が話していた内容を聞いたわけではないので、何故紅音が必要以上に達也のことを危険視しているのかは雫にもほのかにも分からない。だがたとえ何を言われたとしても、達也の側から離れるという選択肢など二人の中に存在しない。深雪がいるからと諦めていた達也との結婚が、すぐ手の届く場所まで来ているのだ。今更そこから逃げ出すなどありえない。
「とりあえず、達也さんに都合を聞いてみないと」
「あまりこっちに長居できないって言ってたけど、少しくらいなら大丈夫かな?」
さすがの達也も、出資に関する話なら多少の融通は付けてくれるかもしれないが、ただでさえ余計なことで時間を割いていたのだ。研究の遅れを取り戻すためには、一分一秒が惜しいということもあるかもしれない。二人はそのことを気にしたのだが、ここで自分たちが考えても答えなどでないと考えなおして、話題を変える。
「そういえば水波ちゃんも取り戻せたって深雪から連絡があった」
「達也さんなら当然。だけど、詳しい話を聞いてみたいかもしれない」
「私たちには想像できないようなことをしてきたのかもしれないしね」
達也がUSNAで何をしたのか分からないから笑いながら話せているが、もし達也がしてきたことを聞かされたら二人はどのような反応を示しただろうか。
『おーい、雫にほのかー! そろそろ達也くん到着するってー』
部屋の外からエリカが声をかけてくれたお陰で、二人は達也がUSNAでどのようなことをしたのかを考える暇が無くなった。もうすぐ達也に会える。そのことで思考がいっぱいになったのだ。
「とりあえず、下に降りようっか」
「うん。あっ、ほのか」
「なに?」
「髪が少し跳ねてる。ちょっとジッとして」
「ありがとう」
親友に髪の乱れを直してもらい、ほのかは満面の笑顔で雫にお礼を告げる。雫の方もほのかに微笑みかけ、すぐに緊張した面持ちで共有スペースへと向かうのだった。
紅音も良い母親ではあるんだが