劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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気にしていなかったことが一気に……


仕事への疑問

 達也に敗れ黒羽貢の配下に拘束された藤林長正は、甲府の病院に入院している。四葉家の影響下にある病院だ。怪我の治療は行っているが、実質的には監禁と言ってもいいだろう。その病院を娘の藤林響子が訪れたのは、七月二十一日、午前十一時のことだった。

 

「いらっしゃい、藤林中尉」

 

「……津久葉夕歌さん、ですか」

 

 

 長正が入院しているのは個室だが、病室にいたのは彼だけではなかった。響子がお見舞いに来ることを知っていた夕歌が、病室で彼女を出迎えた。

 

「お久しぶりですね。ここ数日貴女はあの家に帰ってきませんので、何かあったのかとは思っていましたが。まさかお父上が達也さんの邪魔をしたことに対して責任を感じていたとは……まぁ、お父上も交えて、中尉にご相談したい事があるのですが……。よろしいでしょうか?」

 

 

 形式は許可を求めるセリフだが、状況が拒否を許さない。

 

「えぇ、結構ですよ」

 

 

 事実上の強制に、響子は形式的な同意を示す。この個室はかなり広々としており、ベッドの横に二人が対面で座れる簡易応接セットが置かれている。その奥の席に響子が座り、手前の椅子に夕歌が腰を下ろした。

 

「さて、父と娘の語らいに部外者が何時までもお邪魔するのは野暮ですので、手早く四葉家の要求をお伝えします。四葉家は九島真言とその共犯者の罪を暴かないことに決めました」

 

 

 緊張に強張っていた響子の身体がビクッと震えた。夕歌が言った「共犯者」に、藤林長正が含まれているのは明らかだ。夕歌は響子の反応に構わず、要求の言葉を続ける。

 

「その代わり、藤林中尉に、佐伯少将の利敵行為について証言していただきたい」

 

「利敵行為とは……何でしょうか」

 

 

 血の気が引いた顔で、響子が夕歌に尋ねる。彼女のその表情は「心当たりがある」と自白しているとも解釈できるものだった。

 

「そうですね。例えば、呂剛虎の密入国を知りながら、これを放置した件。他にも心当たりがお有りなのでは?」

 

 

 夕歌のセリフは、ハッタリかもしれない。「他の件」など四葉家は掴んでいなくて、呂剛虎の件も証拠が乏しいのかもしれない。だが初手から夕歌にペースを握られて、響子は強気を貫ける精神状態ではなかった。

 

「……家の者と相談したいのですが」

 

「御当主・長正様と御総領・長太郎様には、御承諾をいただいておりますが」

 

 

 時間稼ぎを図った響子だが、それすらも夕歌に先回りされてしまっていた。

 

「……せめて、少し父と二人で話させてください」

 

「分かりました。廊下で待っていますので、お話がまとまりましたら呼んでください」

 

 

 あまり時間は与えられない、と言外にプレッシャーをかけて、夕歌は病室を出ていく。扉が閉まる音と共に、響子は静かに、深く、息を吐き出した。

 

「お父様、四葉家との取引に応じたというのは、事実ですか」

 

「――事実だ」

 

「……っ」

 

 

 長正の答えを聞いて、響子が呑み込んだのは、愚痴か、非難か。

 

「こうして囚われている身では、お父様に選択の余地がないと理解できます。しかし……」

 

「自分が虜囚になっていなくても、私は四葉家の要求を受け容れた。敗者は勝者に従う。それが我々の定めだ」

 

「ですが、裏切るのは私ですよ!」

 

 

 父親の言葉は響子の耳に、随分と薄情なものに聞こえた。まるで自分の今の立場などどうなっても良いと言われているように響子は感じた。

 

「お前は軍人である以前に、藤林家の人間だ。それに、不正に加担してまで忠義を尽くす価値が佐伯閣下にはあるのか? 司波達也殿との婚約を破棄する可能性があるとしても」

 

「それは……っ」

 

 

 軍人である自分に疑問を懐いたのは、疑問を自覚したのは達也と婚約してから。先日四葉真夜に「惜しい」と言われ、軍を辞める覚悟はとっくに出来ていたのだが、喧嘩別れになるとは思っていなかった。

 そもそも響子は、軍人である自分に疑問を抱く以前に、自分の仕事に疑問を懐いていた。それも、もっと前から。

 

「(おかしくなり始めたのは……去年の八月。お祖父様の陰謀を暴いた後、佐伯閣下は何かの箍が外れてしまったように見える……)」

 

 

 積年のライバルを下して自制が緩んだのだろうか。響子の実感としては、自分の所に下りてくる命令の内、一旅団の司令官としての職分を超えるものが増えていた。元々響子に与えられる任務は超法規的な性格のものが多かったが、それにしても違法性の限度を超えていると感じられることが、この一年で、一度や二度ではなかった。

 

「響子。佐伯閣下は、お前の忠誠に値する上官か? 第一〇一旅団は、藤林家・四葉家よりも優先すべき組織なのか?」

 

「……不正は、正されるべきです」

 

 

 響子は自分の気持ちに、こう折り合いをつけた。

 

「私が証言できる事案は二つだけです。その内一方は、利敵行為ではありません」

 

 

 これが夕歌に対する響子の回答だった。最初と同じ位置関係で簡易応接セットの椅子に座った夕歌は、表面上満足そうな笑顔で頷いた。

 

「一つは、呂剛虎の密入国黙認の件ですね」

 

「はい」

 

「もう一つは、どの件でしょうか」

 

「九島家――真言伯父様にパラサイドールの開発資金と資材を提供していたのは、佐伯閣下です」

 

「それは、旧第九研に凍結状態で保管されていた物以外のパラサイドールのことですね」

 

「去年の九月以降に製造されたパラサイドールの素体のことです。閣下は魔法師の歩兵部隊をパラサイドールの部隊で代替えするお考えでした」

 

「その開発費用は、防衛省の許可を得ていない?」

 

「軍令部の許可も得ていません」

 

「つまり、裏金ですか」

 

「そうです。資金ルートを知ろうとは思いませんでしたが、調べれば閣下が懇意にされている軍需企業の名前が出てくるでしょう」

 

「そこまでしていただくわけには。裏金の出所はこちらで調べます」

 

 

 夕歌の言葉に、響子は無言・無表情で頷いた。




佐伯も立派な犯罪者だな……

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