――これは劉麗蕾が一条家に移動する前日、七月十九日の夜の会話。場所は小松基地内、劉麗蕾に与えられた個室。シチュエーションは劉麗蕾と一条茜の、二人きりの他愛もないお喋り。
『レイちゃん、もしかして兄さんのことが好きなの?』
『……いきなりですね。何故そんなことを?』
『うん、やっぱり妹としては気になるって言うか』
『茜、ブラコンだったんですか?』
『やっ、それは無い。あたしは真紅郎君一筋だから』
『真紅郎というと、あの有名な「カーディナル・ジョージ」こと吉祥寺真紅郎さんですか? もっとも学者然した冷たい感じの人だと想像していたのですが、優しそうな方ですね』
『うん! ……いやいや、あたしのことじゃなくて。レイちゃん、兄さんのこと好きでしょ?』
『……答えなければダメですか?』
『聞きたい!』
『……好き、なのだと思います。将輝さんは、優しい人だから』
『優しい、かぁ。レイちゃん、目の付け所が違うね。兄さんを好きになる女の人って、大抵「カッコいいから」とか「強いから」とか言うんだけど』
『強い人は、大勢見てきました。でも本気で優しくしてくれた男の人は、将輝さんが初めてです。他の男の人は皆、笑顔の裏で私を利用しようとしていたから』
『あっー……。兄さんって良くも悪くも嘘を吐けない性格だからなぁ』
『祖国が粛清部隊を送ってきたあの日、林姐のことを――林少尉のことを否定しないでくれた将輝さんの思い遣りが、私はとても嬉しかった』
『なる程、それがきっかけだったか。でもね、レイちゃん。兄さんは鈍いから本気でゲットしたいのなら、自分からせめていなかきゃダメだよ』
『ゲット……あぁ、恋人同士になるという意味ですね。でも女の子からなんて……はしたなくないですか?』
『違う! 違うよレイちゃん! それは二十世紀のノリだよ! もうすぐ二十一世紀も終わりだよ!』
『はぁ……』
『でも、あんまりガツガツするのもNGだからね。男の人って、「羞じらい」とか「お淑やか」とか好きだから。ドリーマーだよねぇ』
『ええと……「夢見がち」という意味ですか?』
『そう、それ。特に兄さんは、従順な感じの大和撫子がタイプみたいだから。「貴方に付いて行きます」的なアプローチが効果的じゃないかな』
『……分かりました。試してみます。でも茜、良いのですか?』
『良いって、何が?』
『日本の女の子は、兄に恋人ができるのを嫌がり邪魔するものだと聞いていたのですが』
『何処情報!? さっきも言ったよ! あたしはブラコンじゃなーい!』
『す、すみません』
『まぁ、そういう子もいるけど、あたしはレイちゃんを応援してるよ。――兄さんが馬に蹴られる姿も見たくないし』
『馬? 蹴られる?』
『まったく、高嶺の花過ぎなんだよね。あんなの、無理に決まってるじゃん』
『?』
『だからレイちゃん、頑張って!』
『はぁ……。いえ、ありがとう、茜。頑張ってみます』
今日、将輝が受けた突然の奇襲。その裏には二日前の夜に交わされた、二人の少女の他愛もないおしゃべりがあった。
一条剛毅、将輝、劉麗蕾を送り出してすぐに、佐伯少将も木戸大尉と共に金沢基地を後にした。金沢基地のヘリポートに待たせたままにあったヘリに乗り込み、霞ケ浦基地に向けて飛び立つ。
飛び立った基地が見えなくなった頃、佐伯は身体をシートに預けて大きなため息を吐いた。
「……閣下、一条家の回答に、何かご不満な点でも?」
木戸大尉が佐伯に、遠慮がちな口調で声を掛ける。
「いえ、期待以上でした」
その答えとは裏腹に、佐伯は浮かない顔だ。木戸大尉の訝しげな表情を見て、佐伯は再度、ため息を吐く。
「……同じ十師族、同じ年齢で、ああもちがうものかと思ったのですよ」
「一条将輝君と司波達也君の違いですか? 確かに、司波君に比べれば一条君は、少年らしいといいますか、少々青臭いところが感じられました」
「大尉、それは違います」
木戸が述べた感想を、佐伯は鋭い口調で否定した。
「……いえ、表面的にはそう見えますが」
その口調は佐伯が意図したもの以上だったようで、彼女は取り繕うように声のトーンを落とした。
「国家にとって何が優先されるべきかについては、一条君の方がずっと深く理解しています。自分の義務を理解しているという点で、一条君の方が大人です」
「一条家と四葉家のスタンスの違いも反映されているのではないでしょうか。それに司波君は研究者としての面が強いですから、国防軍の考えとも違ったものを持っていたとしても不思議ではないかと」
「家のスタンスですか……それはあるでしょうね。十師族を一つの集団として見るのではなく、個別に評価……いえ、各個撃破すべきですか」
「戦術の基本ですね」
生真面目な印象を与える顔立ちに似合わない木戸の軽口に、佐伯の口元が緩む。だが彼女の両目は、全く笑っていなかった。
「(何が研究者だ。彼は世界のパワーバランスを一気に覆す力を持つ戦略級魔法師、それだけのはずだったのに。ここ最近の傍若無人な態度……どうしてくれましょうか)」
東道が懸念したように、佐伯と九島烈との間に残っていたしこりが、そのまま達也に向けられようとしていた。
ほんと調子に乗ってるな……