七月十九日午後一時、達也は霞ケ浦基地の第一〇一旅団司令部を訪れていた。電話による呼び出しに応じたものだ。今朝、九時に電話を掛けてきたのは藤林響子。彼女も達也も事務的な口調で言葉を交わしただけだが、達也の態度は必要以上に冷淡なものではなかった。彼はまだ、真夜が響子を勧誘した件については聞いていないが、彼女たちが九島烈の葬儀の後に場所を変えて話をしたことは知っている。藤林長正が自分を妨害した件については何らかの手打ちが行われたのだろうと達也は推測していた。
もっとも、それ自体は達也が佐伯の召喚に応じた理由ではない。彼は、自分の立場をはっきりさせるちょうど良い機会だと考えて旅団司令部に乗り込んだのだった。
「特尉、良く来てくれました」
形ばかりの笑みを浮かべて達也を迎えた佐伯少将に、達也は敬礼ではなく会釈で挨拶した。彼は平服で無帽だから、作法としては間違っていない。だがこれまで(誤った)慣例で挙手の敬礼をしていた達也が見せた会釈に、佐伯の隣に控えていた風間は違和感を覚えた。もしかしたら佐伯も、達也の態度が今までとは違うことに気付いていたかもしれない。だが彼女は予定通りに訊問を進めようとした。しかし、達也が口火を切る方が早かった。
「佐伯閣下。その地位は、ただ今を以て返上致します」
「――どういう意味ですか?」
佐伯の問いかけに、達也はサマージャケットの内ポケットから縦長の封筒を取り出す。デスクに置かれた封筒には「退役届」と書かれていた。
「私は――」
達也が使った一人称に、風間は先程よりも強い違和感を覚える。しかしそんなことを気にしている場合ではないということも、彼には分かっていた。
「正規の軍人ではないので届け出は必要無いかもしれませんが、これが私の意思です」
佐伯は表情を消して退役届の封筒に目を向け、そのまま「受け取れません」と応じた。
「閣下。それは『退役願』ではなく『退役届』なのですが。そもそも私が特尉の階級を拝命した際に、軍役年数の定めは存在していません。何時辞めても自由なはずです」
「だからといって、『この仕事が嫌になったので今すぐ辞めます』なんて言い草が社会で通用すると思っているのですか!」
「社会的通念を問題にするならば」
苛立ちを隠さない佐伯に向かって、達也は真面目くさった顔で反論する。
「未成年に軍役を強要することの方が、社会的通念に反していると思いますが?」
「――っ」
達也の小賢しい論法は、佐伯に対して一定の効果があった。
「……自分が何者なのか、忘れたのですか? 貴方は戦略級魔法師です。勝手に軍を離れることなど許されません」
「何故です?」
「何故って……戦略兵器に匹敵する破壊能力を国家が野放しにするはずないでしょう。こんなことも改めて言わなければ分からない程、貴方は頭が悪くなかったはずですが」
佐伯は苛立ちを隠せなくなってきている。一方、達也は冷ややかな表情を隠さなくなってきた。
「戦略級魔法を野放しにしないのは国家ではありません。政府です」
「……何が違うと言うのですか」
「政府は、兵器を自分の手で所有することに拘ります。国家は、兵器が自分の為に使われることを重視します」
「どのように使うのが国家の為であるかは、政府が決めます」
「普通はそうですね」
達也はあっさり、佐伯の言葉を認めた――留保付きで。その応えがますます佐伯を苛立たせているのだが、達也は佐伯の感情などお構いなしに話を続ける。
「少なくとも、戦略兵器の使い方を決めるのは政治家であって軍人ではありません」
佐伯の顔が、微かに赤らむ。羞恥故ではなく、怒りを反映して。
「私のことを、文民統制を無視する軍事独裁者だとでも言いたいのですか?」
「一般論です。そして一般論で言えば、軍事力は個人に属するものではありません。個人で戦略兵器相当の軍事力を有する戦略級魔法師は、一般論の枠内に収まらない特殊な存在なのですよ」
「――自分が特別扱いされるべき存在であると?」
佐伯が嘲る口調で訊ねるが、達也はその挑発に乗らなかった。元々彼の感情には、上限が設けられている。それは達也に掛けられた呪いのようなものだが、こういう場合は彼の武器として機能する。
「特別なのではありません。特殊なのです。良い方向にも悪い方向にも、一般的な基準が当てはまらない。戦略級魔法師という特殊な存在に、一般論は適用できません。私の身柄を所有しなくても、私の魔法を国防に役立てることはできます。逆に私の身柄を拘束していても、私が国家の為に魔法を使うとは限りません。――洗脳は魔法技能を損なうという事実もお忘れなく」
達也は最後の一言だけ、皮肉は口調で付け加えた。
「……戦略級魔法師がその力を振るったとして、政府以外の何物が結果に責任を負えるというのです。司波達也、貴方は既に戦略級魔法を他国の領土に向けています。国防軍との縁を切って、あの大破壊の責任を個人で背負えるというのですか」
「西暦二〇九五年十月三一日の段階では、私は特務士官であり、あの時は国防軍の命令で大亜連合艦隊を攻撃しました。時系列を無視するのは詭弁であるということくらい、賢明な佐伯少将閣下には申し上げるまでもないと思います」
先程の皮肉返しではないが、達也の指摘は佐伯の怒りを最高潮にするには十分な威力があった。
精神面でも負けてたな……