風間が何か言いたげなのは佐伯も気付いていたが、彼女はそのことにとり合おうとはせず、大きくため息を吐いて先を続けた。
「そのくらい、彼にも理解出来ていると思ったのですが……昨晩、湘南で観測された火球は彼の雲散霧消によるものです。証拠はありませんが、成層圏プラットフォームの赤外線カメラが撮った映像を私のスタッフが分析した結果、ほぼ間違いないと結論付けられました」
「初めて聞きました」
風間の発言は、何故自分のところに情報が下りてこなかったのかという不満の表明だ。達也は『大黒竜也特尉』として風間が指揮する独立魔装大隊に所属している。一次的な分析を師団本部の情報部隊が担当するのは妥当としても、最終的な結論を出す前に自分が指揮する大隊に意見を求めるのが筋ではないか、と風間は考えたのだった。
佐伯は風間の心情を理解できたし、予測もしていた。その上で、佐伯は風間の不満を無視した。
「当旅団は、昨日司波達也が犯した数々の不法行為に関して、彼を擁護しません。ここ最近の彼の振る舞いは目に余ります。戦略級魔法師だから好き勝手が許されると考えているのであれば、考え違いを正さなければなりません」
「達也はそんな誤解などしていないと思いますが……」
一条将輝という新しい戦略級魔法師が手に入ったから、達也は用済みですか?――とは、風間は口にしなかった。だが目では言っていると自覚していたので、風間は強引に話題を達也から逸らす。
「ところで、九島蒼司は九島光宣の逃亡をサポートしたということですが……、九島光宣は達也の追跡から逃げきれたのですか?」
「九島光宣は桜井水波を連れて、米軍の輸送艦で太平洋に逃れたようです」
「米軍が手引きしたのですか?」
「米軍内のパラサイトが協力したのでしょう」
スターズを中心として、USNA軍内でパラサイトが影響力を拡大しているという事実は、日本軍もキャッチしていた。今はまだ情報部の一部と一握りの幹部だけに留め置かれている情報だが、佐伯は私的なルートによってこれを入手済みだった。
「なるほど」
佐伯はこのことをまだ風間に伝えていなかったが、彼に驚いている様子はない。風間の反応に佐伯は意外感を覚えたが、「知っていたのか」とは尋ねなかった。情報の入手ルートに話が及ぶと藪蛇になるのではないか、という懸念が佐伯の意志を過っていた。
「……おそらく、司波達也も九島光宣の逃亡手段は知っているでしょう。逃亡先も掴んでいる可能性があります」
「達也にはあの『眼』がありますからね。しかし、それが何か不都合でも?」
「九島光宣を乗せた輸送艦は、北西ハワイ諸島に向かっているようです」
「北西ハワイ諸島……閣下は達也がミッドウェー島に向かう可能性を危惧されているのですか?」
「そうです。中佐、独立魔装大隊は決して、司波達也のミッドウェー襲撃に手を貸してはなりませんよ」
「分かっております。部下にも徹底しておきます」
風間の弁えた態度に、佐伯が軽く、安堵の息を吐く。どうやら自分は、米軍基地攻撃という暴挙の片棒を担ぐと疑われていたらしいと、佐伯の態度からそう考えた風間は、国益よりも私情を優先する人間だと思われているようで大層不本意だった。
「お話しはそれだけですか」
彼の言葉に棘が生じたのはその所為だ。風間はこの時、あえて不快感を隠さなかった。
「いえ。本題は別にあります。三月に捕えたオーストラリアの魔法師、ジャスミン・ウィリアムズとジェームズ・J・ジョンソンを解放することになりました」
「オーストラリアに引き渡すのですか?」
「そうです」
風間は解放の理由を問わなかった。政府の決定であれば自分が口を挿む筋合いではないし、藪をつついて蛇を出したいとも彼は思わなかったのだ。オーストラリアで捕虜になっている日本の将兵は、公的な記録上では存在しない。だがもしかしたら捕虜ではなく罪人として拘束されている工作員がいるのかもしれない。風間自身、非合法業務とは無縁でないから余計に、その手の連中とは関わりたくないというのが本音だった。
「中佐には、彼らの護送任務を引き受けてもらいたいと考えています」
「小官がですか?」
しかし話題に出た時点で、二人のオーストラリア魔法師工作員の解放にタッチしないで済まされないのも分かっていた。
「日帰りです。大隊の運営に支障はないはずですが」
「日時と場所を伺っても?」
「当基地出発は七月十四日○九○○。二人の身柄は今日中に当基地へ移送される予定です」
「明日ですか……護送先は何処でしょう。オーストラリアですか?」
「硫黄島です。そこで捕虜を引き渡します」
「引き渡すだけでよろしいのですか?」
「捕虜交換ではありません。ただ」
そう言って佐伯は、デスクの中から封をした手紙を取り出した。
「これを先方の責任者に渡してください。必ず本人に、手渡しするように」
「本人と仰いますと、誰でしょうか?」
封筒には宛名が書かれていない。風間の質問は、当然のものだった。
「中佐も顔と名前は良く知っている人物です」
それに対する佐伯の回答は、普通ではなかった。今、この旅団司令官室には佐伯と風間しかいない。それでも、名前を口に出せない相手ということだ。
「了解しました」
風間はそれ以上、詮索しなかった。
結末を知っていると無様にしか見えないな……