劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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敵にしたら厄介だな……


八雲の奥義

 達也が八雲の懐に踏み込む。左フックはフェイント。右ボディアッパーを、八雲は左肘で受けた。達也は右拳を開きながら滑らせて、八雲の右手を取りに行く。グローブ越しではあるが、八雲の腕に接触している感触は確かにある。八雲は間違いなく、達也の前にいる。

 それなのに、達也は背中に、強い衝撃を受けた。前のめりに体勢を崩した達也の頭部を、八雲の右手が狙う。後ろから回り込んでくるような打撃は、ヘルメットの中から見る視界の死角から飛び込んでくる。達也は半分以上直感で右斜め前に頭を振った。完全には躱しきれず、八雲の開いた右手がヘルメットを掠める。達也は衝撃に逆らわず頭を振った方向に転がり、立ち上がりざまヘルメットを投げ捨てた。今の打撃は、ヘルメットを貫通する威力があった。いや、威力がヘルメットを貫通していた。

 今の八雲の打撃は、鎧や兜でも防げない。装甲を貫通する衝撃に、ヘルメットは視界を遮る邪魔者でしかない。自らヘルメットを脱いだのは、それを瞬時に理解したからだ。頭部を剥き出しにした達也は、直前のスピードを上回る勢いで八雲の間合いに踏み込んだ。彼が伸ばした左ジャブは、八雲の顔をすり抜けてしまう。

 紙一重で躱されたのではない。幻影だ。達也は左ジャブを伸ばしきる直前で止め、掌を開いて下に向けた。そのまま左手を下に振る。左手が八雲の作務衣に触れる。幻影が解け、八雲の実体が現れる。達也は八雲の逆襟、作務衣の鎖骨の辺りを掴んでいた。

 達也は左手の指先に分解魔法を発動しようとした。八雲の身体の、自分の左手で触れている部分に『分解』で穴を穿ってダメージを与えようとしたのだ。だが彼が魔法を発動するより先に、横殴りの衝撃が達也の右顔面を襲った。思わず達也は左手を放し、八雲から距離を取る。同時に八雲も、背後のヤマザクラを背にする位置まで後退した。

 

「危ない危ない。これは迂闊に近づけないね」

 

 

 八雲が余裕を失った口調で呟く。今の攻撃はそれなりに八雲を追い詰めていたようだ。しかし達也の方には、声を出す余裕もなかった。達也は、自分にダメージを与えた攻撃を認識できなかった。

 

「(今の衝撃はなんだ? 左手を使った打撃ではない。九重八雲の左手は見えていた。右手では、あの体勢からあの角度の攻撃は繰り出せない。足でもない。左足は見えていた。右足からでは、右手以上にあの角度は出せない)……『ダイレクト・ペイン』か?」

 

 

 達也は、たどり着いた推測を思わず口に出していた。精神干渉系魔法『ダイレクト・ペイン』。肉体を経由せず、精神に直接痛みを与える魔法。

 

「(文弥以外にも、使える者がいたのか?)」

 

 

 『ダイレクト・ペイン』は彼の再従弟である黒羽文弥が得意とする魔法で、達也は文弥以外の使用例を知らなかった。達也はこの魔法を、文弥にしか使えない、先天的な異能の一種だと考えていた。だがそれは――

 

「(……俺の思い違いだったのか?)」

 

「ちょっと違うなぁ。『ダイレクト・ペイン』ではないよ」

 

 

 彼の迷いを見透かしたかのようなタイミングで、八雲が達也に声を掛ける。

 

「今の術は名を『欺身暗気』という。歴とした忍術だ。まぁ、忍術の中でも奥義に数えられるものの一つだけどね」

 

「『欺身暗気』……」

 

「奥義といっても、仕組みは簡単だ。相手に『攻撃を受けた』という幻覚を与える、幻術の一種。ほら、催眠術なんかで有名だろう? 焼けた鉄の棒を押しあてたという暗示を与えられた被験者の皮膚に、火ぶくれができるという現象。『欺身暗気』はそれを、催眠導入の手続きを経ずに、また言葉によらず闘気を打ち込むだけで行う技。『ダイレクト・ペイン』と違って、痛みを覚えているのはあくまでも肉体だ。だがこの痛みは、幻術を破らない限り消せないよ」

 

 

 そのセリフの末尾と共に、達也の腹を衝撃が襲う。息が詰まり、彼は思わず半歩、後退った。八雲の長広舌は、蘊蓄と披露して悦に入る為のものではなかった。『欺身暗気』という術の存在を強く印象付けることで、その効果を高める為のものだった。

 達也は苦し紛れに『分解』を放った。だがその魔法は、ヤマザクラの枝の上で虚しく破綻する結果に終わる。『変わり身』の術だ。

 八雲程の高位忍術使いが『変わり身』を使えないはずはない。並の『変わり身』と違って、八雲の術はエイドスの分身を枝の上に残してあった。達也の魔法は、そのダミーに作用したのである。実体の無い構造情報を分解しても、それが物体に反映されることはない。

 達也は自分の焦りを自覚して舌打ちを漏らす。そしてすぐ、八雲の反撃に備えた。予測した攻撃は『欺身暗気』。達也は自分自身に『精霊の眼』を向けた。幻覚によって痛みを与えているのなら、幻術が自分の肉体に掛けられているはずだと考えたからだ。

 情報次元には、そもそも固定された視点が無い。鏡が無くても自分自身を「視」ることができる。達也は情報次元における自分の身体に、足下から這い上がった二匹の大蛇が螺旋状に絡みついているのを「視」た。大蛇は、魔法式の連なりだ。八雲は一つの幻影を行使するのに、二グループに分かれた何十という魔法式を構築していたのだ。




忍術使いの本領発揮って感じでしたね

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