劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

2027 / 2283
腐っても師匠ですから


八雲優勢

 八雲の幻術によって墜落を強いられた達也は、辛うじて両足で着地した。身体を起こし、今度は水平に、東に向かって飛ぶ。八雲の幻術圏内から逃れた後に上昇しようと考えたのだ。だが再び、飛行の中断を余儀なくされた。彼はわずかに両足を後ろ向きに滑らせて身体を止め、棒立ちに見える八雲へ目を向けた。

 達也の右手が腰に伸びる。彼はホルスターから『トライデント』を抜いて、「銃口」を八雲へ向ける。八雲の姿がゆらりと揺らぎ、煙のようにかき消えた。

 達也の両足が舗装された路面を蹴る。飛び上がったのではない。八雲の姿が消えた一メートル左に、拳を打ち込む態勢で踏み込んだ。

 柔らかな風が達也に纏わり付く。達也を取り巻く空気が、重油並みに粘性を増した。達也の右手人差し指が、引き金を模したCADのスイッチを入れる。身体に纏わり付く空気を吹き飛ばす、のではなく、空気に粘性を与えていた魔法を消し去り、身体の自由を取り戻す。

 達也が左手を突き出した。拳ではなく、掌を前にして。揃えた指を上向きに立てた左掌が、誰もいないと見える空間を打つ。

 音が鳴った。グローブが布の手甲を打った音ではない。金属の槌と打ち合わされたような甲高い音だ。音に吹き払われたかの如く、透明の靄が晴れる。達也の左掌を右腕でブロックしている八雲が姿を見せた。

 達也が後方に跳ぶ。彼の残像を、八雲が左手に握る苦無で薙いだ。達也が右手の『トライデント』をホルスターに戻す。代わりに何処からか、ナックルガード付きの戦闘ナイフを抜いて右手に構えた。愛用のCADを手放したのは、近接戦闘に対応する為だ。

 起動式の出力は、スーツ内蔵の完全思考操作型CADでも代用できる。使い慣れた拳銃形態のCADより、彼は刃を手に取ることを選んだ。達也は、魔法だけでは八雲を倒せないと判断したのだった。

 八雲がニヤリと笑って苦無を投げる。達也はそれを躱すのではなく、右手のナイフで打ち落とした。達也は八雲から、ほとんど目を離していない。だが僅かな時間差で投擲された後発の苦無へ目の焦点を合わせた直後、八雲は達也の視界から消えた。

 達也が『精霊の眼』に意識を向ける。しかしその途端、達也の「視界」に九人の八雲が現れる。彼らは達也の周りを、跳び回り駆け回っていることになっている。

 しかし実際に見えるのは、殺風景な高速道路上の風景だけだ。時折、達也が立っている車線を避けるようにして自走車が通り過ぎていく。

 

「『纏いの逃げ水』か」

 

 

 達也の唇から呟きが漏れる。彼は左手の中に想子を集め、その手を握り締めた。左手を突き出す。放たれた想子弾は九発。圧縮された九つの想子球が、八雲がいるはずの実体空間座標を貫いた。

 情報次元に「視」えていた八人の八雲が消え、残る一人が場所を変えて出現する。九人目は、達也の正面にいた。

 姿を現した八雲が小太刀を振り下ろす。達也はその刀身を、ナイフのブレードで受け止めた。

 

「やるね」

 

 

 刃と刃が交わる先で、八雲がニヤリと唇を吊り上げた。ヘルメットのバイザーに隠れたままの、達也の表情は変わらない。

 達也が左手を伸ばした。自分の手首を掴もうとする達也の左手を、八雲は大きく跳び退って躱す。

 

「組打ち狙い? 掴んでしまえば、僕が何処にいるか幻術を使われても分かるって寸法か」

 

 

 自分の目論見をはっきり指摘されても、達也はバイザーの下で焦りを見せなかった。達也は滑るような足捌きで八雲との間合いを詰めた。八雲の姿が消える。達也は構わず右手のナイフを突き出した。金属同士が擦れる音。それが先に生じた。

 次に八雲の姿が現れる。八雲は身体の横に小太刀を立てて、達也のナイフを滑らせている。伸びてきた達也の左手を、八雲が小太刀の柄から離した右手で振り払う。達也が右手のナックルガードで小太刀の小さな鍔を殴った。左手一本で支えられていた小太刀が、八雲の手からこぼれ落ちる。

 達也はナイフを投げ捨てて、右手を八雲の襟に伸ばす。八雲は右手を上から下に振り下ろした。彼の右手には、小さな玉が握られていた。

 道路に叩きつけられて破裂する煙玉。達也と八雲の間を濃い煙が遮る。八雲の姿が煙の中に消える。情報次元を「眼」で「視」ても、八雲のエイドスは見つからない。

 

「今のはかなり驚いたよ。君、僕の姿が見えているのかい?」

 

 

 その声は、前から発せられているようにも、後ろから発せられているようにも、前後左右上下、あらゆる方向から聞こえてくるようでもあり、実際には聞こえない空耳のようでもあった。

 達也は素より、声の出所から八雲の実体を探そうとはしていない。彼の意識は現在を見据えながら、同時に過去へと遡っていた。

 過去から現在を追跡する。現在に重ねられた偽りの情報と、過去を積み重ねて得られた現在の情報。達也の突き出した左拳が、八雲の右掌で受け止められた。

 

「見事だ」

 

 

 八雲が感嘆を漏らした。自走車が達也と八雲に迫ってくる。運転席で驚愕に目を見開いたドライバーの顔が見て取れた。

 達也と八雲は、左右に跳んで自走車を避けた。今までは八雲の幻術が、彼らの戦いを邪魔しないように自走車を誘導していたのだと、達也はこの時覚った。自分と戦いながら自走車のドライバーも支配していた八雲の余裕を、ようやく突き崩せたと理解する。

 八雲が高架道路の壁を飛び越えた。達也も八雲を追いかけて、高速道路から飛び降りた。




運転手はたまったもんじゃない……

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。