達也が追跡していた自走車を肉眼の視界に捉えたのは、ホースヘッドの襲撃を撃退した約十五分後、鎌倉市内に入って少し経ってからだ。達也が予測していたよりも十分以上遅れている。ホースヘッドの撃退に要した時間よりも、その後で機動隊の車両を撒く為に、一旦高速道路から下りたことによるタイムロスが大きかった。
「(あれは……違うな)」
情報次元で認識するだけでなく、同時に物理次元でも視認することにより、小田原駅前の時点では分からなかった違和感がはっきりと知覚できた。自走車に乗っている光宣と水波のエイドスには、時間的な厚みがない。精々一時間半の履歴しか存在しない。つまり、一時間三十分前に創り出されたコピーということだ。
「(なるほど……二十四時間以内に作成された分身なら、エイドスの履歴を遡っていけば見分けられるということか)」
達也は「今更遅いが」という自嘲の念と共に、この発見を心に刻んだ。西湖の手前で、九島蒼司が身代わりを務めているのを発見した時に気付いていれば良かったのだが、過ぎてしまったことにくよくよ拘っても益は無い。今回は見事に騙された。だが同じ手を喰わない為には、覚えておかなければならない。
達也がこの時点で自走車の追跡を中止しなかったのは、コピーされたエイドスから本体の情報を取得しようと考えているからだ。彼は情報の読み取りをより確実のものとする為、自走車を停めてエイドスのコピーを貼り付かせている何者かに接触するつもりだった。タイヤを外すとかモーターを壊すといった乱暴な方法で強制的に停車させるのは、事故を引き起こす恐れがあって好ましくない。事故に直結しない故障で、車輛の安全システムに停止命令を出させるのがベターだ。
何を壊すか検討した結果、達也は衝突時衝撃緩和装置の制御コンピューターを断線させることにした。慎重に照準を定め、分解魔法を発動。エアバッグの展開タイミング、シートの角度、スライドブレーキをコントロールするコンピューターをシステムから切り離す。
達也の目論見通り、自走車はゆっくりと路肩に停止した。自走車の前に回り込んでバイクを駐め、達也は助手席の横に歩み寄ってドアレバーを掴んだ。鍵が掛かっていたが、魔法で破壊する。ドアを強引に開けて、助手席に収まっていたガイノイド(女性型アンドロイド)の頭部に左手を当てた。
ガイノイドには、水波のエイドスがコピーされていた。そのコピーが作成された時点まで遡る。そして今度は、作成元になったエイドスの履歴を追う。こんな真似が可能なのは、擬装用のエイドスがオリジナルを忠実に複写したものだからこそだ。コピーは作成時点で必ずコピー元の情報に接触するから、その時点まで遡ればオリジナルのエイドスにたどり着く。
これが本人の衣服や装飾品では、こう上手くいかない。本人の身体の一部、例えば髪の毛や体液ならば、同じことが可能だ。樹海の隠れ家が藤林長正の『火遁』で焼き払われていなかったら、達也は水波の髪の毛を探し出すことでもっと早くその行き先を掴んでいただろう。もっとも水波のことだ。隠れ家の中は完璧に掃除して、髪の毛など残していなかった可能性も高い。退院直前の、入院中の病室がそうだったように。
「(そこだけ切って考えると、俺の方が水波にストーカーをしているような気がするな)」
女子の髪の毛を探すなどという、考えるだけで気味が悪い想像をして、達也は苦笑いを浮かべてその考えを思考の外へ追いやった。
それは兎も角として。水波が攫われてから初めて、達也は『仮装行列』の影響も『鬼門遁甲』の影響も受けていない水波のエイドスに接触した。これでもう達也が目を離さない限り、彼女を見失うことはない。いくら光宣が現在のエイドスを偽装しても、過去から追いかけて得られる情報を誤魔化すことはできないからだ。
「ムッ?」
達也の口から短い声が漏れる。いきなり、アンドロイドが宿していた光宣と水波のエイドスのコピーが消えた。光宣が達也の接触に気付いて、魔法を解除したのだろう。あるいは、あらかじめ「誰かに接触されたら解除する」という条件付けがされていたのかもしれない。
どちらであろうと、結果は一つ――いや、二つだ。達也は、光宣に対する手掛かりを失った。達也は、水波を見失うことがなくなった。前者は、もう一度接触しない限り、という条件がつく。後者は、自ら望まない限り、という条件がつく。
だが、この結果は満足すべきものだった。彼は水波の現在位置を確認した。
「(横須賀軍港か)」
現在水波は、横須賀軍港のゲートにいる。そこに光宣もいるはずだ。決着を付けるべく、達也は横須賀へ飛行装甲服『フリードスーツ』で飛ぶことにした。
「(――何っ?)」
しかし彼は、飛び立つことができなかった。このタイミングで、達也にとってできることなら入って欲しくない邪魔が入った。ホースヘッドや機動隊のように、簡単に退けることができない相手に、達也は横須賀へ向かうのを諦め、その邪魔者と対峙することにしたのだった。
そして最強の邪魔者が