劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

2008 / 2283
ただの喧嘩のようになったな……


驚愕の肉弾戦

 レオとヘンリー・フーの戦いは、白兵戦と言うより殴り合いの様相を呈していた。ヘンリーの短剣は刀身が普通のガラス製だったとはいえ、魔法で強度を上げていた。だが同種の魔法で強化したレオの拳を受けて、呆気なく砕けた。

 音声認識型を思考操作型に変えたことにより、レオはCADと一体になったプロテクターの着用も止めている。その代わりに彼は、拳の部分を強化したオープンフィンガーグローブを両手に着けていた。――念の為に付け加えておくと、グローブは普段から着けているのではなく、こういう時のために持ち歩いているのである。ガラスの刃を砕いたのは、魔法で硬度を上げたこのグローブのナックル部分だ。

 ヘンリー・フーの魔法で強化された刀身を、レオの魔法で強化された拳が砕いた。これはレオの魔法がヘンリーの魔法を上回ったということに他ならない。それに加えて、両側から挟んで折るのではなく固定されていない状態で殴って砕くレオの非常識なパワーに、ヘンリー・フーの口元が引き攣る。

 だが想定外の事態にフリーズしたままでは、非合法工作員どころか下級兵士も務まらない。ヘンリーは柄だけになった短剣をレオに投げつけて時間を稼ぐと、川の中という劣悪な足場をものともせず後方へ大きく距離を取り、右手で左の袖をめくった。真夏にも拘わらず長袖のジャケットを着ていたその左手首には、CADではなく砂鉄を錘にした細いリストウェイトが二本、巻かれていた。ヘンリーが右手のリストウェイトを外す。

 

「ハッ! ハンデのつもりだったのかい?」

 

 

 鼻で笑うレオのセリフには応えず、ヘンリーは重りの部分を外側に回してリストウェイトを拳に巻いた。レオも本気で、相手が自分からハンデを負っていたと考えていたわけではない。ヘンリーがリストウェイトを左手首から両拳に移した意味を、レオはすぐに理解した。

 これは拳を保護すると共に、打撃を内部に浸透させるためのグローブ代わりだ。そうと理解した時には既に、レオはヘンリー目掛けて突進していた。あと一歩まで迫ったレオに、ヘンリーは自分から踏み込んだ。

 レオとヘンリーの拳が交差する。鋼の強度を有するレオの拳。砂鉄のクッションで覆われたヘンリーの拳。レオの右ストレートを、ヘンリーが首を振って躱す。ボディを狙うヘンリーの右フックを、レオが左腕でガードする。

 そこから先は乱打戦だった。ヘンリー・フーはレオのパンチに顔を切りながら、直撃だけは貰わない。レオはヘンリーのパンチを何発も浴びながら、急所だけは打たせない。両者ともすぐに、魔法を使う余裕を失った。

 レオの硬化魔法も切れている。ヘンリー・フーは短剣を強化する魔法が破られた後、格闘補助の魔法を細かく使っていたようだが、それも中断している。二人は魔法師でありながら、身体能力だけで肉弾戦を演じていた。レオの顔が、歓喜に染まる。ヘンリーの顔が、苦渋に歪む。

 イリーガルMAP・ホースヘッド分隊のヘンリー・フーにとって――暗殺者や工作員にとって、こういう真っ向勝負の戦闘は本来不本意なものであるはずだ。一対一の近接戦闘が避けれないシチュエーションでも、普通ならば正面衝突にはならないだろう。これが街中の舗装された路面ならば、フットワークを使って距離を取り、逃げると見せかけて追いかけてきた相手にカウンターを打ち込むなどの、真っ向勝負にならないテクニックを駆使する余裕があるはずだ。

 だがここは川の中で、ふくらはぎの半ばまで水に浸かった状態だ。川底の状態も、動き回るのに適したものではない。こんなところでボクシング流のフットワークを使おうものなら、足を滑らせて隙を曝すのが関の山だろう。ヘンリー・フーはレオと殴り合いながら、この作戦は失敗したと考えていた。これ以上状況が悪化する前に、撤退すべき局面だ。

 とはいうものの、一人で勝手に逃げ出すことはできない。ホースヘッド分隊の中では例外的に軍人気質を多く残しているヘンリーは、レオにショートフックの連打を叩き込みながら、そうも考えた。彼らは分断されている。三人が一斉に撤退するなら兎も角、連係が断たれた状態で一人が離脱すれば、残された二人が数的劣位に陥ってしまう。相手が高校生だと侮る気持ちは、ヘンリーの中から消え失せていた。三対四で――実質三対三で勝てない敵だ。数の上で不利な状態になれば、逃げることすらままならなくなるかもしれない。何とか、他の二人に撤退の合図を送れないか……。

 ヘンリー・フーがそう思い始めた時に、それは起こった。土手の道から聞こえてきた、小さな爆発の音。ヘンリーはレオの拳を抱え込むようにして押さえ、それによって稼いだ時間で視線を上に向けた。

 

「(あの煙幕は! イギーのヤツ、負けて逃げ出しやがったのか!?)」

 

 

 道の端から流れ落ちる黒い煙を見ただけで、ヘンリー・フーは何が起こったのかを覚った。同時に彼は、強い危機感に捕らわれた。目の前の高校生は魔法技能こそしれているが、肉体のパワーとスタミナはネイビーシールズやグリーンベレーの隊員並み。ここに事前の調査で要注意人物とされた「千葉の女剣士」が加わったら、「持て余す」ではすまない。ヘンリー・フーの脳裏を最悪の事態が過った。イリーガルMAPにとっての「最悪」は戦死ではなく、敵の手に落ちて素性と任務の内容に関わる証拠を握られてしまう事だ。




レオ相手に肉弾戦は不利だろ……

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