九島真言はティーカップを傾け、満足げに吐息を漏らした。アイスではなく熱い紅茶が供されているのは真言のリクエストで、水波が淹れたものだ。
「そろそろご用件をうかがっても?」
光宣の問い掛けは本人が「そろそろ」と前置きしたとおり、タイミングを計って切り出したものだった。水波にお茶の用意をしてもらったのは、光宣自身が態勢を整えるためでもあった。前以て侵入者の正体が父親であると分かっていたにも拘わらず、実際に顔を合わせて見て動揺を免れなかったのだ。
「その前に、蒼司を中に入れてやってくれないか」
「蒼司兄さんも来ているんですか?」
光宣の口調には意外感がこもっていたが、これは演技だ。結界の外に二台の大型乗用車が停まっているのも、その中に蒼司が乗っているのも光宣は『精霊の眼』で把握していた。相手が達也でなければ、逆探知を恐れることなく『精霊の眼』を駆使できる。そして結界をバラバラに解いてしまうのではなく一時的に中和する手段を取ったことから、侵入者が達也ではないのは分かっていた。
真言は光宣の演技に気付いた様子もなく――あるいは気付いた素振りを見せず――頷いた。
「ああ。お前の身代わりを務めてもらう予定だ」
「……詳しいお話しは、蒼司兄さんが揃ってから聞かせてもらいます」
応えを返すまでの、不自然なタイムラグ。光宣はまたしても、真言に動揺を曝してしまう。
「私がお迎えに上がりましょうか?」
水波の申し出は、単なるメイドとしての職業意識の表れではなく、光宣がペースを取り戻すまでの援護射撃という意味合いもあったのかもしれない。
「ありがとう。でも、良いよ。出迎えはガイノイドに行ってもらうから」
ここに逃げ込む際、運転手に使った戦闘用ガイノイドは、パラサイドールに改造することなくサスペンド状態で玄関ホールに待機させている。光宣は胸ポケットから薄い端末を取り出してサスペンド解除のコマンドを打ち込み、ガイノイドに「客」の出迎えを命じた。
端末を胸ポケットに戻し、光宣が自分のティーカップに口をつける。真言もカップを手に取った。水波がお代わりの紅茶を用意する為に、キッチンへ引っ込む。光宣の兄、九島家の次男である九島蒼司がダイニングに姿を見せたのは、水波が戻ってくる前だった。
光宣と顔を合わせて、蒼司が微かに怯みを見せる。生駒の自宅で光宣の襲撃を受けた際の記憶と恐怖は、まだ薄れていなかった。
「兄さん、どうぞそちらに」
「遠慮は無用だ。蒼司、座れ」
光宣に促され真言に命じられて、蒼司は硬い表情のまま無言で父親の隣に座った。そこへ水波がティーカップの載ったトレーを持って戻ってくる。彼女は蒼司が醸し出している張り詰めた空気にも表情を変えず、真言と光宣の前から古いティーカップを回収し、三人の前に新しい紅茶を置いた。
「水波さん。ここはもう良いから、悪いんだけど……」
「かしこまりました」
歯切れの悪い口調で、光宣が席を外すように水波に頼むと、水波は素直に頷いて、丁寧なお辞儀の後にダイニングを退出した。
「別に、あの娘を同席させても構わなかったのだがな。お前が人間を辞める切っ掛けを作ったのは彼女なのだろう?」
「僕は彼女の為に、パラサイトになりました」
父親の言葉に、光宣は強い口調で言い返す。水波の存在を、まるでついでのように言われたのが気に食わなかったのだ。
「そうか」
自分と息子の温度差に、真言は微かに笑みを漏らした。それは嘲笑とも見える表情だったが、光宣は、今度は反発しなかった。
「それで、わざわざお越しいただいた理由はなんでしょう」
光宣の言葉遣いはかなり他人行儀だが、これは今に始まったことではない。光宣と真言の関係は、もう何年も前から冷え切っていた。真言の光宣に対する態度はネグレクトに近く、もし祖父の烈がいなかったら光宣はもっと前に、今とは違う形で人間から転落していたに違いない。
「助けがいるのではないかと思ってな」
「助け?」
光宣が見せた驚きの表情は、ポーズではない。まさか今更、親らしい愛情に目覚めたとは考えられない。父親が自分に手を差し伸べる理由が、光宣には理解できなかった。
「今のままでは逃げきれまい」
光宣が懐いていた不審感に、真言は気付いていた。だが真言は、助力を申し出た理由を自分からは説明しようとはしなかった。
「仮装行列を使って追手の目を誤魔化すにも、幻影を纏わせる『器』が不足しているのではないか?」
「……蒼司兄さん以外にも『役者』を用意していただいているのですか?」
光宣は質問に質問を返すことで、真言の指摘を間接的に認めた。
「蒼司以外はアンドロイドだが、仮装行列の『器』にするだけなら人である必要はなかろう」
「……ありがとうございます。つまり、それを使ってここを去れ、と?」
「そうだ。行き先の当てはあるか? 台湾かインドシナで良ければ伝手がある。お前が望むなら、話をつけてやろう」
どれ程冷淡に見えても、子を思わない親はいないということか――とは、光宣は考えなかった。光宣は真言の顔を見詰めながら、彼の本音を知り笑みを浮かべた。
犯罪者に手を貸しているという自覚はあるのだろうか