劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1984 / 2283
悩むのも仕方がないな


逡巡する詩奈

 午前七時三十分。正確な時間はこれより五分は前後するが、深雪とリーナは始業時間の約三十分前に一高の生徒会室に到着した。

 二人を泉美が出迎える。昨日深雪の変装を見ている泉美に、戸惑いは無かった。その代わり、もう一人の下級生が頭上に大きな疑問符を浮かべている。今日は泉美に加えて詩奈も早朝から生徒会室に来ていた。

 

「詩奈ちゃん。随分早いけど、どうしたの? 何か気になることでも?」

 

 

 変装を解いた深雪が、その変貌を見て目を丸くしている詩奈に尋ねる。深雪は生徒会役員に朝の活動を強制していない。彼女自身、普段は登校したら直接教室に向かう。詩奈は以前から時々、早い時間に登校していたようだが――どうやら家にいたくない理由があるらしい――、詩奈が始業前の生徒会室に顔を出しているのは珍しかった。

 

「はい、いえ、その……」

 

 

 詩奈の返事は、ハッキリしないものだった。改めて目を向ければ、顔も迷いに曇っている。

 

「……会長、実は……お耳に入れたいことが」

 

「私に? 場所を変えましょうか?」

 

 

 途中言葉を途切れさせながら、詩奈は漸くそれだけを言い、視線を下に向けた。詩奈は未だに逡巡に囚われている様子だと、彼女の表情からそれを読み取った深雪は、二人きりで話さないかと提案した。

 その深雪の思い遣りにいち早く反応した泉美がさりげなく立ち上がり、深雪に一礼した。

 

「深雪先輩。私、今朝はこれで失礼いたします」

 

「ええ、ご苦労様。また放課後に」

 

「はい。では、お先に」

 

 

 泉美の意思に気付かない深雪ではない。彼女も自然な口調で泉美に答えを返し、泉美が生徒会室を出て行く。

 

「深雪、私も教室に行くわね」

 

 

 ここにいたり漸く泉美が気を遣って席を外したのだと気づいたリーナが、焦り気味のやや不自然な態度で扉に向かう。その背中を微笑まし気に見送った深雪は、扉の閉まる音と共に詩奈に向き直った。

 

「詩奈ちゃん、座りましょう? ピクシー、飲み物をお願い」

 

「かしこまりました」

 

 

 達也の命令で生徒会室に常駐しているピクシーが、深雪の言葉に従ってドリンクサーバーを操作する。深雪の前にアイスカフェオレ、詩奈の前にアイスココアを置いてピクシーは部屋の隅に戻った。

 詩奈は緊張の面持ちでココアのグラスを手に取り、喉を湿らせても硬い表情は変わらず、彼女はなかなか話を始められずにいる。

 深雪は詩奈を急かさなかった。リラックスした態度でカフェオレのグラスを持ち上げる。赤い唇が半透明のストローを包み込んだ。白い喉が小さく動き、微かな吐息と共にグラスをテーブルに戻す。グラスから目を上げた深雪は、詩奈が食い入るように自分を見詰めているのに気づいた。

 

「……どうしたの?」

 

「あっ! あの、いえ、その、実はうちの父と兄が!」

 

 

 さすがに不信感を覚えた深雪から尋ねられ、まさか「色気に見惚れていました」と正直に打ち明けるわけにもいかず、詩奈は顔を赤らめたまま慌てて本題を切り出した。

 詩奈の不自然な態度に、深雪は勿論気付いている。だがこの慌て方は、深雪にとっては割と馴染みな光景であり――ただし原因については理解していない――、対処法も放置が一番と経験上分かっていた。なので深雪は黙って詩奈のセリフの続きを待った。

 

「……父と兄は、司波先輩の計画を国防軍に、つ、告げ口、しようと……しています……」

 

 

 しりすぼみに詩奈の声が小さくなる。それでも、目の前にいる深雪に聞き取れないほどではなかった。なおこの三ヵ月で、詩奈は達也の事を「司波先輩」、深雪のことを「会長」と呼ぶようになっている為、深雪も誤解はしなかった。

 

「達也様の計画? 先日お邪魔した時にお話しした件かしら」

 

「はい……その件です」

 

 

 問いかける深雪の口調は厳しいものではなかったが、詩奈はおどおどした表情で、声と一緒に姿勢まで小さくなっている。深雪が口にした「先日」の話を、詩奈は聞いていないことになっているはずなので、聞き耳を立てていたと思われ責められると思ったのかもしれない。

 

「そう……。仕方ないわね。詩奈ちゃんのお父様方にも、お立場がおありでしょうから」

 

 

 まるで自分が詩奈を苛めているような気分にさせられて、深雪は詳細を尋ねなかった。本当は三矢家が国防軍の誰に密告したのか、深雪はとても気になっている。しかし詩奈がそこまで知っているとは限らない。問い詰めて生徒会の後輩と気まずくなるより、自力で調べた方がいいというのが深雪の判断だった。

 

「兄は『第一〇一旅団の佐伯少将』に告げ口すると言っていました」

 

 

 もっとも、それは無用な気遣いだった。深雪が問うまでもなく、詩奈の方から密告の相手が伝えられた。思いがけなく知っている名前が出てきたが、深雪にショックは無かった。詩奈は、三矢家の方から佐伯に情報を流すと言っているだけで、佐伯が達也を裏切ろうとしているという話ではない。だが仮にそうだったとしても、深雪は意外感を覚えただけだっただろう。

 元々深雪は、達也に危険な仕事を押し付ける佐伯や風間に、あまり好感を懐けずにいる。佐伯が達也にとって不利益なスタンスを取るなら、深雪は遠慮なく第一〇一旅団を敵として認定するだけだ。

 

「ありがとう、詩奈ちゃん。達也様のお耳に入れておくわね」

 

 

 ただ、達也には報せておかなければならない。深雪はそう思い、詩奈を労って教室へ向かう。詩奈も慌てて生徒会室から教室へと向かうのだった。




詩奈が消される心配はないんだが

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。