劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1972 / 2283
弱いわけじゃないのに


決着

 摩利は呂剛虎の急襲に一瞬、死を覚悟した。その危機から自分を救ってくれた恋人の雄姿に、彼女はしばし心を奪われていた。

 大木をなぎ倒し山を崩す、嵐のような呂剛虎の剛拳。それをいなすのではなく、断ち切るかの如き修次の鋭い刃。修次は呂剛虎の「剛」に対し、「柔」で立ち向かうのではなく「鋭」で対抗していた。

 恋人の剣理を極めた鮮烈な技に、摩利の眼は釘付けだったが、二人の攻防が十合を数えたところで彼女はハッと我を取り戻し、慌てて状況の把握に努める。彼女はまず、林を乗せてきたオープントップ車に駆け寄った。

 

「クッ……死んでいるか」

 

 

 そして護衛兼監視兵が二人ともこと切れているのを確認する。摩利は呂剛虎が飛び出してきた薬局の中に踏み込む。呂剛虎にそれを阻む余裕はない。修次と呂剛虎の戦いは全くの互角だったが、残念ながら摩利が横から手を出せるレベルの死合いではなかった。

 摩利が店舗内に侵入したのと同時に、サプレッサーで減衰した銃声が鳴った。彼女が狙われたのではない。撃たれたのは床に転がっていた林少尉。銃を構えているのは、見知らぬ女だった。

 その女、ここの店員を隠れ蓑にした新ソ連のエージェントが、摩利に銃を向ける。しかしその引き金を引くより早く、摩利の三節刀が銃を握る手の甲を切り裂いた。

 女の手から銃が落ちる。その時には、摩利はエージェントのすぐ横まで間合いを詰めていた。摩利の右手には三節刀。女エージェントに向かって動いたのは、指の股に三本の金属製シリンダー容器を挟んだ彼女の左手。容器からぶちまけられた香気を、摩利は気流操作の魔法で女の鼻孔に送り込んだ。

 途端に、女の目から意志の光が抜け落ちる。崩れ落ちそうになる女エージェントの身体に手を貸して、摩利は床に座らせた。

 摩利は林の傍らに膝をつく。林は既に死んでいた。銃弾が急所に血の穴を穿っているから、即死だったのだろう。建物の外で続いている修次と呂剛虎の戦いも気になったが、摩利は先に、林を射殺した女の訊問を行う事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呂剛虎と千葉修次の戦いは、全くの互角だった。全てをなぎ倒す剛拳で相手をねじ伏せる戦い方は、何時もの呂剛虎のもの。それに対して鋭い剣閃で呂剛虎の拳勢を斬り落とす修次の戦い方は『幻刀鬼』あるいは『イリュージョン・ブレード』の異名を取る、修次が多用するスタイルではなかった。

 慣性制御魔法を使った、完全な停止からタイムラグ無しのトップスピード、そして減速無しの完全停止。この繰り返しで間合いを幻惑するのが、修次の得意とする戦法だ。

 だが今日の修次の戦い方は、力ではなく鋭さでという違いはあるものの、全てを、相手の攻撃すらも断ち切る剛の剣。予備動作を巧妙に隠し、立ち会っている相手ばかりか傍で観察している者にも次の動作を覚らせない「天才の剣」は健在だ。だが緩と急の使い分けで相手を惑わせ疑心暗鬼の自滅に追い込む「幻の剣」は、あえて使っていないように見える。何が何でも相手を、呂剛虎を斬り伏せるという焦りすらも見え隠れしている、そんな印象の戦いぶりだ。だが本当に焦りを抱えていたのは、呂剛虎の方だった。

 呂剛虎が摩利に襲いかかったのは、横浜でやられた自身の復仇目的ではない。単に目撃者を消す為だった。彼にも自分と並び称される『イリュージョン・ブレード』と雌雄を決する欲がなかったとは言えないが、それよりも明確に任務が優先された。

 千葉修次と呂剛虎、両雄の戦闘力は全くの互角。それは横浜事変の前哨戦でも明らかになっていた。だからこの戦いの勝敗を分けたものは紙一重。この戦いを本来の目的とするか、しないか。ただそれだけの、心構えの違いにあったと思われる。

 呂剛虎の縦拳打ち下ろしを、横に振られた修次の刀が切り払う。呂剛虎の腕は切れず、その拳は修次に届かない。その代償として、修次の両足はしっかりと地面を踏みしめていた。

 修次の足が居着く。好機と判断した呂剛虎が大技を繰り出す。押し潰すような双拳打。戦車の前面装甲すら突き破る『鋼気功』を使用した虎形拳。この一撃に見舞われたなら、修次の胴体はゼロ距離でダイナマイトの爆発に曝されたように破裂していたことだろう。

 だがその打撃は、ほんの少しの差で修次に届かなかった。呂剛虎が間合いを読み違えたのではない。修次が僅か半歩の慣性制御を発動したのだ。

 彼は「幻の剣」を自ら捨てていたのではなかった。この技を、相手の意思から隠していたのだった。「幻の剣」の技術を幻と、ここには無いものと錯覚させる。これぞ真の「幻」の剣技。修次の突きが、呂剛虎の胸に伸びる。その刃を呂剛虎は、両手で挟み取った。途中で四分の一回転した刀身は、呂剛虎の右掌に食い込み、刀の峰をしっかりつかんだ呂剛虎の左手が、胸に突き立つ寸前の切っ先を止めた。

 呂剛虎がニヤリと笑う。彼の右手は死んだも同然、左手は塞がっているが、まだ両足は健在だ。刀を掴みとめられた修次は、蹴りを躱せる体勢にない。

 しかし、何時まで経っても呂剛虎の蹴りが放たれることはなかった。修次がフッと息を吐き、柄から両手を話す。呂剛虎の身体は、修次の刀を掴んだままゆっくりと崩れ落ちた。仰向けに倒れ、刀を手放す。それを見届けて、修次は残心を解いた。

 

「……裏の秘剣、突陰」

 

 

 修次の口から、技の成就を確かめるように呟きが漏れる。研ぎ澄まされた想子の刃による刺突。意識にではなく、肉体の想子情報体「魄」に「心臓を貫かれた」と錯覚させる技。錯覚により心臓を止める、無系統魔法の秘剣。修次のこめかみから一筋の汗が流れ落ち、彼は力尽きたように片膝をついた。




周りの建物に被害がないだけマシな結果か……死者は出たけど

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