劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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慰められてもなぁ……


リーナの慰め

 日付はもうすぐ、七月十日から十一日に変わろうとしていた。リーナに与えられた部屋は、フロアこそ深雪と同じ最上階だが、住居としては別だ。鍵が掛かる別の扉があり、独立したバス、トイレ、キッチン、リビング、そして寝室も当然ついている。だがこの時間になっても、リーナはまだ深雪の部屋にいた。彼女のベッドがまだ届いていない、とかいう理由ではない。明日の、編入試験対策のためだ。

 深雪が普段使っているデスクの前にはリーナ。その隣――家庭教師ポジション――に、深雪がスツールを持ってきて座っている。

 

「そろそろ終わりにしましょうか」

 

 

 深雪のこのセリフを受けて、リーナはデスクに突っ伏した。

 

「……疲れた……」

 

「大袈裟ね」

 

 

 額を乗せた両腕の隙間から、リーナのうめき声が漏れ、それを聞いた深雪は失笑を漏らす。

 

「大袈裟じゃないわ! 断じて!」

 

 

 リーナは勢いよく起き上がり、深雪の言葉に異を唱える。リーナの剣幕に、深雪が小首を傾げる。

 

「試験前は、これくらい普通だと思うけど……」

 

「これが普通……? ほんとに? 深雪が特別なんじゃないの?」

 

「この程度で特別って……。勉強していた時間は、正味で精々五時間よ?」

 

「時間だけ見れば大したこと無いかもしれないけど、普通の人はこんなに集中力が続かないでしょ!」

 

 

 リーナの正論は、深雪の周辺においては正論ではない。従ってリーナの反論に深雪は少し呆れた様子で答える。

 

「達也様はもっとすごいわよ?」

 

「達也こそ普通じゃないでしょう! もっと他にいなかったの!?」

 

「他にって、一緒に勉強した人?」

 

「そうよ!」

 

「もちろん、いるわよ。でも、ほのかも雫も水波ちゃんも……」

 

 

 不意に深雪が黙り込む。リーナが「あちゃあ……」という表情を浮かべ、片手で顔の半分を覆う。彼女は詳しい事情を知らされていないが、何か予想外の事件が起こった事は察していた。興味はあったが、自分が踏み込むべき事ではないだろうと考えて今まで触れずにいたのだが、どうやら自分は深雪を地雷原へ誘導してしまったらしいと、リーナはそう思った。

 

「ねぇ……一昨日、何があったの?」

 

 

 知らないふりをして自分の部屋に戻るという選択肢もあった。多分、そちらを選ぶ方が賢いのだろう。しかしリーナはあえて、深雪にそう尋ねた。

 

「達也のあんな顔、見た事なかった。一昨日、深雪からの通信を受けている最中よ。深雪に何か、余程ショッキングな事が起こったんでしょう?」

 

 

 深雪の瞳が頼りなさげに揺れる。彼女は短くない躊躇の後、小さく頷いた。

 

「一昨日はショックだったけど……今はもう、大丈夫。達也様に慰めてもらったから」

 

 

 その答えは、百パーセントの本音ではないと、リーナには感じられた。不意を突かれれば、それが自爆であっても言葉を失うくらい、まだ尾を引いている。だが、嘘でもないのだろう。こうして、無理にでも笑みを浮かべながら話せるくらいには、痛みも薄れているようだ。

 

「そうね……聞いてくれる?」

 

 

 深雪が一昨日の事を直接には関係のないリーナに打ち明ける気になったのも、彼女がそれを乗り越えようとしている証に違いなかった。

 水波が光宣に連れ去られた時の事を、深雪がリーナに詳しく語る。その後、深雪を慰める為に達也が何を言ったのか、そのセリフも付け加えて。

 

「……私も、達也の言う通りだと思うわ」

 

 

 深雪の話を聞き終えて、リーナは彼女にそう伝えた。何時もみたいな冗談なのか本気なのか分からない口調ではなく、真剣な眼差しでしっかりと。

 

「達也様の言う通りというのは、水波ちゃんの気持ちのこと……?」

 

「えぇ。私は水波がどういう人間なのか知らないけど……。深雪に知り合いを殺させたくないという達也の言葉は、納得出来る。達也が水波の動機も同じだというのなら、きっとそうなんでしょう」

 

 

 リーナはスターズで、重大な罪を犯した戦闘魔法師を処分する任務に携わっていた。彼女が処分する対象には、スターズの隊員も含まれていた。起居を共にした仲間に銃口を向けて引き金を引く辛さを、リーナは実体験として知っている。「知り合いを殺させたくない」という言葉は、リーナの偽らざる本音でもあった。

 

「……ありがとう、リーナ」

 

「こんなことでお礼なんていらないわよ」

 

 

 真っ直ぐに見詰める深雪の眼差しから、リーナは慌てて目を逸らした。彼女の顔は、頬の辺りが少し赤らんでいた。それに気付いた深雪は、彼女をからかう余裕を取り戻し、その事を指摘する。

 

「何で赤くなってるのかしら?」

 

「べ、別に赤くなんてなってないわよ!」

 

「そうかしら? まぁ、リーナがそう言うならそうなのかもしれないけど」

 

「そうよ」

 

 

 深雪のからかいを撃退出来たと安堵したリーナだったが、深雪が人の悪い笑みを浮かべている事に気付き再び身構える。

 

「それだけ大声を出せるくらい元気なら、もう一時間くらい勉強しておきましょうか?」

 

「えっ!? い、いや……長い時間勉強すればいいってわけじゃないし……睡眠不足で試験に失敗したら大変でしょ?」

 

「それもそうね。リーナが不合格になると、達也様が考えている方法が取れなくなってしまうものね」

 

「何処までも達也優先の考えね……」

 

 

 リーナの反論に、深雪は何を当然のことを言っているんだと言いたげな表情で彼女を見詰める。リーナはその視線の意味を理解し、ため息を漏らすのだった。




深雪の考え方はブレないから

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