劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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癖が出てる……


自然な言葉

 達也が調布碧葉医院――水波が入院していた病院の前に到着したのは、深雪の助けを求める通信を受けてからちょうど二十分後のことだった。かかった時間は調布から巳焼島の二十数分より少し短い。四葉本家の緊急出動要請に応じた往路よりも復路の方が速かったのは、達也の中での優先順位を表していた。

 

「お兄様!」

 

 

 深雪が飛びつくように駆け寄ってくる。辺りに克人以下、十文字家の魔法師たちの姿は見えない。逃亡した光宣の追跡に出発した後なのだろう。だが夕歌をはじめとした津久葉家の者は残っている。従兄妹ではあるが第三者がいるところで「お兄様」は本来なら好ましくなかったが、今は深雪も動揺しているのだろうと夕歌たちにも好意的に解釈していた。

 

「深雪。お前に怪我がなくてよかった」

 

 

 達也の口から出たこのセリフは、計算されたものではない。彼の内側から自然に湧き出した言葉だった。まさかそんな風に声を掛けられるとは予想していなかった深雪は目を見開いたが、彼女よりも達也自身の方が驚きは大きかった。自分が深雪を心配するのは当たり前で、それ自体は不思議でも何でもない。ただ自分のものとは思えない率直な言葉が、達也には意外だった。

 

「ありがとう、ございます」

 

 

 もしかしたら深雪の返事は、このケースに適切なものではなかったかもしれない。しかしこの、感謝の言葉もまた、彼女の心が自然に紡ぎ出したものだった。

 深雪ははにかみ、俯き――かけたところで、ハッと顔を上げた。今の短い遣り取りがパニックを鎮める役目を果たしたのだろう。

 

「達也様! 私の事より、水波ちゃんが!」

 

 

 呼び名が「お兄様」から「達也様」に戻り、深雪が他人の目を気にする余裕を取り戻した。抱き着く寸前の体勢で訴えかける深雪の両肩を外側から包み込むように、達也は両手をそっと添える。達也の掌には、微かな震えが伝わってくる。

 

「詳しい話は後で聞く。今は水波を取り戻すのが先だ」

 

「……取り戻せますでしょうか?」

 

「約束は出来ない」

 

 

 ここで気休めをするのは簡単だったが、達也は深雪に対してそんな不誠実な真似をするつもりは無かった。

 

「光宣は手強い。それにアイツの仮装行列はリーナ以上だ。魔法技能が低下していても、確実に発見できるとは言い切れない。だが、時間が経てば経つほど、奪還は難しくなる。今すぐ助けに行くのが最良の策だ」

 

 

 達也の言葉を受けて、深雪の身体の震えが止まる。

 

「助けに……そうですよね。光宣君がしようとしている事は間違っている。水波ちゃんがどう考えていようと……」

 

 

 深雪のセリフは、達也の心に不審感を呼び起こした。まるで、水波が自分から光宣に付いていったようだ、と。だが彼はそれを意識の中だけに圧しとどめ、表情に反映させることはなかった。今、採り上げるべき問題ではない。

 

「そういう事だ。すぐに発つ」

 

「達也様! 私も連れて行ってください」

 

 

 深雪がこういいだすのは達也にも予想できた。水波が攫われたのは自分の責任だと深雪は考えている。自分が躊躇なく光宣に向かって『コキュートス』を放っていれば、水波が心にもない振る舞いに出る事は無かったし、光宣にその隙を突かれる事もなかった。深雪はそう思い込んで、自分を責めている。だから自分の愚行を少しでも自分の手で償いたい、と彼女は思いつめているのだ。

 その心理が、達也には手に取るように分かる。だから彼にも、連れて行ってやりたいという思いが無くもない。だが頷くわけにはいかなかった。危険だからではなく、手段の問題で。

 

「フリードスーツで空から追跡する。エアカーでは小回りが利かない」

 

「……分かりました」

 

 

 深雪は達也に負けないくらい飛行魔法を使いこなせる。だが飛行魔法用のスーツ無しでは、達也の足手纏いになってしまう。それを理解している深雪は、無理に同行を乞わなかった。

 

「達也様、お気をつけて。水波ちゃんをよろしくお願いします」

 

「行ってくる」

 

 

 深雪の言葉に短い応えを返して、達也は西の空目掛けて飛び立った。それを見送っていた深雪に、背後から夕歌が声を掛ける。

 

「動揺していたから仕方なかったのかもしれないけど、もう達也さんは深雪さんの『お兄様』ではないのよ?」

 

「達也様は私の従兄です。従兄を『兄』と呼ぶ人は少なくないと思いますが? 現に雫は従兄の事を『兄さん』と呼んでいますし」

 

「そうなんだけど、深雪さんの場合はいろいろと問題がありそうなのよ。ただでさえ達也さんに並々ならぬ想いを懐いていたんだから」

 

 

 夕歌のセリフには「達也が実の兄だと思っていた頃から」という一文が省略されている。だが深雪にはその省略された部分も正確に伝わっており、彼女は素知らぬ顔で夕歌から視線を逸らした。

 

「水波ちゃん、無事に帰ってきてくれると良いのですけど」

 

「達也さんが動いてるのだから、そう簡単に逃げ切れないとは思うわよ? もちろん、思いもよらない邪魔が入れば、達也さんでも難しくなるのかもしれないけど」

 

「邪魔、ですか?」

 

「えぇ。達也さんがリーナさんから受けた依頼を、面白くないと思ってる人たちからの、とかね」

 

 

 それが誰を指すのか、深雪には瞬時に理解出来た。そしてもしそんな事をしたのなら、自分がその人たちを停める覚悟を、この時決めたのだった。




面白くないだけで攻撃されたくないな……

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