自分のメンタリティがパラサイトに近づいている可能性は、認められなかった。精神を自分のままに保つ。それは、光宣の行動を支える大前提だ。ここが崩れてしまえば、彼は自分の行為を正当化出来なくなる。水波をパラサイトにしても問題ないと言い切れなくなる。
急に吐き気を覚えて、光宣は自分の口に手を当てた。彼はそれを、祖父の葬儀のスケジュールから「お祖父様」の死を実感したからだと思った。
「(……嘆くのは、全てが終わってからだ)」
光宣は自分にそう言い聞かせて、前に進んだ。自分が直前まで考えていた事――自分の精神がパラサイトに近づいている可能性――からは、無意識に目を背けていた。
九島家の屋敷は広い。裏口からダイニングまで、そこそこ距離がある上に部屋数も多いのだが、ここは光宣が育った家だ。彼は一度も迷うことなく、誰にも気づかれず、家族用のダイニングにたどり着いた。ドアをノックしようとして、声に出さず苦笑いする。自分が「侵入者」であることを思い出したのだ。光宣は頭を振って手を下ろし、うち開きのドアを押し開けた。
「誰だ!? ……光宣?」
慌てて反応したのは、ドアに最も近い席に座っていた二番目の兄だった。背中を向けていたから、余計に動揺したのだろう。もっともその狼狽は、光宣があえて露わにしたパラサイトの気配が最大の理由だったに違いない。
「光宣……っ!」
上の兄は、次兄とは違った反応を見せた。椅子を蹴って立ち上がったところまでは同じ。だが長兄はただ驚くのではなく、CADを操作して起動式を呼び出していた。読み込んだ魔法は『ルナ・ストライク』。屋内である事を反射的に考慮して、物理的な影響力が無い術式を選択したのだろう。
それでなくても、九島家の長男・九島玄明は四系統八種類の魔法より系統外・精神干渉系魔法を得意としている。精神干渉系魔法の基本術式である『ルナ・ストライク』を、玄明がしくじるはずがなかった。
しかし現実に、『ルナ・ストライク』は発動しなかった。
「玄明のルナ・ストライクをキャンセルしたですって……?」
信じられない、という口調で長女の白華が呟く。得意魔法だけあって、玄明の『ルナ・ストライク』発動は速い。少なくとも、彼女や次女の朱夏、次男の蒼司には術式の発動を妨害できない。
「何の用ですか?」
落ち着きを保った顔と声で光宣に問い掛けたのは、戸籍上の母親である九島柴乃だ。だが光宣は柴乃の質問に答えず、逆に問い返した。
「父さんはまだ帰っていないんですか?」
「真言様は工場視察で遅くなると仰っていました」
柴乃は真言より一回り以上年下だ。光宣が相手だから、ではなく、家の中でも外でもこういう言葉遣いをしている。
「工場?」
九島家は様々な軍事企業に出資している。訝し気な声を漏らした光宣だが、その事を思いだして「別におかしなことではない」と思い直した。
「何処の工場か教えていただけますか」
「ええ、いいですよ。真言様にご用事だったのなら、最初からそう言いなさい。玄明たちが無用に混乱したではありませんか」
柴乃は二つ返事で頷き、屋敷がある生駒市の外れに位置する住所を伝えながら、光宣を他人行儀に叱りつける。柴乃の態度に、光宣はショックを受けなかった。
「義母さんには、他に用はありません」
柴乃だけでなく、白華と朱夏も眉を顰めた。「用は無い」という遠慮を無視した物言いにも不快感を刺激されたが、それ以上に「かあさん」という単語に「母さん」以外の意味が込められているように感じられたからだ。しかし長女にも次女にも、それに拘っている余裕はなかった。
「兄さんたちと姉さんたちには、僕の力になってもらいますけど」
「どういう意味?」
強気な言葉を返したのは次女の朱夏だ。だがそれが強がりでしかない事は、不安げな表情を見れば明らかだった。
「僕の配下になってください。ああ、九島家の当主になるという意味ではありませんから安心してもらっていいですよ。僕の目的を達成するまでの、一時的なものです。僕一人では、手を組んだ七草家と十文字家、それに四葉家を出し抜けないと分かりましたから」
「同じ十師族を裏切れというのか!」
光宣の言葉に、次男の蒼司が声を荒げる。
「何を言っているんですか、蒼司兄さん。九島家はもう、十師族に入ってませんよ?」
「くっ……」
しかし光宣に軽くいなされ、蒼司は言葉に詰まってしまう。
「たとえ十師族の一員でなくても、妖魔の言いなりになどなるものか! ましてやお祖父様を殺したお前に!」
気骨を見せたのは、長男の玄明。さすがは次期当主の意地と言うべきか。彼は光宣に向けて、再び魔法を放とうとした。
「グッ……!」
しかし起動式の読み込みが完了する前に、胸を押さえて俯いてしまう。圧倒的なスピードで発動した光宣の精神干渉系魔法攻撃だ。
「無駄な抵抗は止めてもらえませんか。元十師族として、魔物に膝を屈する事は出来ないという気持ちは理解出来ます。だから当主の座は要求しませんし、表立った助力を求めるつもりはありません。十師族に分からないよう、こっそり力を貸してくれるだけで良いんです」
光宣が無邪気な笑みを浮かべる。相手のご機嫌を取ろうという下心が一切存在しない、相手の気持ちを当たり前に考えない、子供のような、帝王のような笑みだった。
達也が認めた光宣に勝てるわけがなかった……