七月二日、火曜日の夜。四葉新居では、一高生が試験勉強に励んでいた。光宣の迎撃フォーメーションは、今日も続いているが、高校生である香澄は泉美同様学業優先で任務はお休みだ。今日は二人だけでなく、真由美もローテンションの都合でお休みだ。その真由美を、予定にない客が訪ねてきた。
「摩利……!? どうしたの、いきなり」
「少し、話をしたいと思ってな。迷惑じゃなかったか?」
「迷惑なんてとんでもない! ちょっと待ってて。達也くんにパスを発行してもらうから」
巳焼島にいる達也から、来客用のパスの発行方法を聞き摩利に手渡す。何時にも無く遠慮気味にパスを受け取った摩利を、真由美が屋敷の中に引っ張り込んだ。
「お茶でいい?」
「いや、お構いなく。それに、あまり人に聞かれたくない話だからな」
「そうなの? じゃあ、私の部屋でいいわね?」
「別に構わないが、隣の部屋に聞こえたりしないだろうな?」
「各部屋に防音対策がされてるから、隣の部屋どころか、扉越しでも話は聞かれないと思うわよ」
「なら安心だな」
「先に行ってて。お茶の用意をするから」
「いや、先に行けと言われても……」
七草邸の真由美の部屋ならまだしも、この屋敷の真由美の部屋を摩利は知らない。その事を思いだして、真由美は軽く頭を下げて急いでお茶の用意をし、摩利を自分の部屋に案内した。
「ここが私の部屋よ。隣はリンちゃんの部屋だけど、彼女なら摩利が気にするような事はしないから安心して」
「市原なら、お前より信用出来るからな」
「それって酷くない?」
言葉だけなら摩利に対して抗議しているようにも思えるが、真由美の顔は笑っている。久しぶりの親友との会話を楽しんでいる様子だ。
摩利の前にアイスティーを置き、自分は彼女の正面に腰を下ろす。お茶を一口飲んでから、真由美は軽い感じで口を開いた。
「来てくれるなら連絡すればいいのに。今日は偶々家にいたけど、昨日だったら行き違いになってたわよ?」
「九島光宣を捕まえる為か」
真由美としてみれば親しい友人同士の軽口で、特に深い意味のないセリフだったのだが、摩利の口から全く予想していなかったセリフを聞いて、思わず息を呑んでしまう。
「何故、光宣くんの事を……」
「やはり十師族が動いていたのか。十文字も関わっているのだろう?」
鎌をかけられたと思い、真由美がムッとした表情を摩利に向ける。だが摩利の方には、真由美を引っかけたつもりは無い。単純に、推測を口にしただけだ。これから持ち出そうとしている話題の前振りとして。
「実はあたしも、九島光宣追跡に加わる事になった」
「えっ、貴女が? 何故?」
「第一師団から遊撃歩兵小隊を中核とする追跡本隊が出動する。あたしもその一員として作戦に加わるよう命じられた」
「貴女、まだ学生じゃない……」
「魔法大学とは学生の意味が違う。知っての通り、防衛大の学生は入学時点で国防軍の一員だ」
摩利の口調に、皮肉なニュアンスは無かった。彼女は出動に不満を覚えていないようだ。
「遊撃歩兵小隊というと……確か『抜刀隊』よね? 老師の熱烈な信奉者で構成されている魔法師白兵戦部隊」
「ああ、その小隊だ。そこまで知っているなら話が早い。遊撃歩兵小隊は老師の仇討ちに立ち上がった。私怨で軍を動かすのは問題だと思うが、話を聞いた限りでは九島光宣を放置しておくわけにはいかない」
「仇討ちって……光宣君が老師を殺したの……?」
「確かな情報だそうだ。何なら、達也くんに聞いてみるがいい」
「そんな……」
真由美はショックを露わにしている。どうやら真由美はその事を聞かされていなかったようだと、摩利はアイスティーを少しずつ飲みながら、彼女が落ち着くのを待った。
「……国防軍は箱根より西に捜索網を展開するから、現場でかち合う事は無いと思うが、念の為だ。真由美たちを混乱させないように、報せておこうと思ってな」
真由美の顔色が多少まともになったのを見計らって、摩利が話を続ける。どうやらこれが、彼女の本題だったようだ。
「……気を付けて、摩利。光宣くんは手強いわよ」
「老師に勝った相手だ。一対一じゃ敵わない事くらい分かっている。無謀な突撃などしないさ」
心配する真由美に、摩利は気負いのない表情で応える。それを見て、「高校の時とは違うんだな」と真由美は思った。
「そういえば、エリカちゃんが下にいたけど、挨拶していかなくて良いの?」
「え、エリカとは特に話す事は無いしな。今回の任務だって、シュウとあたしの問題だ」
「未来の義妹相手に、まだビクビクしてるの? まぁ確かに、今この屋敷に達也君はいないから、エリカちゃんに責められたら摩利は逃げるしかないもんね」
「というか、アイツがいてくれないと、エリカと会っただけでアイツの機嫌が一気に降下するだろうが」
「もうエリカちゃんの方も気持ちの整理を着けてるとは思うけど、摩利が必要以上に委縮するから、エリカちゃんも態度を改める事が出来ないのかもしれないわよ?」
「そんな事言われてもな……」
ついさっき、成長したんだなと感心したのにこの態度を見て、真由美は「変わってないんだな」と摩利に対する評価を改め直すのを止めたのだった。
そう簡単に変わらないって……