劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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原作復帰です


病室の水波

 二〇九七年七月一日、夜。ここ最近では珍しく、今夜は星が見えている。例年より随分早いが、梅雨明けが近いのだろう。水波は明かりの消えた病室の窓を開けて、空を見ながらぼんやりとそんな事を考えていた。

 つい十分ほど前まで、この病室は若い女の子の声で賑わっていた。水波自身、「若い女の子」に他ならないが、お見舞いに来てくれた二人の上級生、深雪とエリカのお喋りだった。

 水波が入院してから、深雪は一日と欠かさずに彼女の病室に来ている。自分の主に毎日足を運ばせるのは水波にとって申し訳ないというより畏れ多く、彼女は何度も遠慮の言葉を告げているのだが、深雪は全く耳を貸さない。まさか「来るな」とも言えず、自分の忠誠が認められている証拠だと水波は自分に言い聞かせて居心地の悪さに耐えていた。

 その反面、深雪が自分を気に掛けてくれるのが、水波は嬉しかった。深雪は水波の主で、彼女が入院するきっかけになった事件にも関わっていた。深雪が水波を見舞うのに、何ら不思議はない。だがエリカが病室に姿を見せた瞬間、水波は正直なところ戸惑いを覚えた。

 客観的に見て、水波とエリカはあまり接点がない。同じ上級生と比較してみても、ほのかのように生徒会で一緒に仕事をしているという事もなければ、頻繁に生徒会室を訪れる雫のように顔を合わせる機会が多いというわけでもない。レオのように、部活の先輩・後輩という関係でもない。水波がエリカと行動を共にするのは、ほぼ深雪のお供をする下校時だけだ。それも、駅に向かう通学路で話しかけられる事は殆どなく、言葉を交わすのは途中で喫茶店に寄る時くらいのものだった。

 そのエリカが、何時ものメンバーを伴わず深雪と二人だけでお見舞いに来た理由を、水波は何となく察していた。たぶんボディガードの助っ人に来てくれたのだ。

 達也は今晩、病室に姿を見せていない。「明日の夜はお見舞いに行けない」と、昨日の内に本人の口から聞いていた。何故来られないのかは説明されなかったが、深雪と別行動を取るのだ。きっと重要な任務を果たさなけばならないのだろう。

 達也の仕事内容を、水波が知る必要は無い。彼女に関係があるのは、もしその時間に病院が襲われても、達也が助けに来られないという点だった。だからといって水波には、達也を責めるつもりは無い。本来、水波は守られる立場ではないからだ。水波が四葉家の魔法師として守らなければならない相手は深雪だけだが、達也は四葉家の次期当主であり、水波が達也に守ってもらうのは役割がひっくり返っている。少なくとも水波はそう思っていた。

 

「(達也さまはご自身が来られないことを気にして千葉先輩をこちらに寄越したのでしょうか?)」

 

 

 ふと脳裏に浮かんだ思い付きを、水波は慌てて打ち消した。この病院には四葉家配下の魔法師が警備員として詰めている。それを知っている達也が、いくら腕が立つとはいえ同級生の女子生徒に用心棒を頼むはずがない。水波は自分の思い付きを「自意識過剰だ」と恥じた――事実は、当たらずとも遠からず、だったのだが。

 なお深雪とエリカは、遊び気分で騒いでいたのではない。エリカは深雪に教科書の分からない箇所を教わる、賑やかな勉強会だった。

 

「本当ならば、達也さまに教わりたかったのでしょうがね……」

 

 

 一高は明日から五日間、一学期の期末試験なのである。深雪の成績は言わずもながだが、理論の成績のみを見れば、深雪よりも達也の方が上であり、水波は知らないが一年の時からエリカたちは達也に勉強を教わってきている。そのお陰で一人で勉強するよりもいい成績を残してきたのだから、今回も達也に教わりたかったに違いないだろうと、水波は自分も勉強会に参加した時、熱心に達也に質問していたエリカの姿を思い出しそう結論付けた。

 

「それにしても、期末試験ですか……」

 

 

 試験の事を考えて、水波は憂鬱になった。彼女の退院予定日は七月九日。それに対して期末試験は七月六日、土曜日まで。事情を考慮して別途試験を受けさせてもらえることになっているし、テストの評価が悪くても――テスト欠席による評価ゼロという事になっても、進学するつもりは無いから実害は発生しない。最悪高校中退でも、水波は構わないのである。ただ「追試」という言葉の響きが、わけもなく鬱な気分を誘発していた。

 

「達也さまや深雪様にご迷惑をおかけする事になってしまう……」

 

 

 水波もそれほど頭は悪くない――むしろ頭は良い方である。だが入院期間の授業を聞いていないので、その範囲の問題を解くのは難しいと思われる。達也たちの試験が終わり、退院までの間にその範囲の特別講義とその他の復習をしてくれると深雪が言ってくれているのだが、恐らく講師は深雪ではなく達也だ。ただでさえ忙しい達也に、そんな事までしてもらうのが水波は心苦しいのだ。

 

「USNAへの対応に加えてESCAPES計画の進行、光宣さまへの警戒に加えて、今夜のような緊急な任務があるというのに、私に勉強を教えてくださるなんて……幾ら達也さまが丈夫だといっても明らかなオーバーワークです」

 

 

 水波は、自分が達也の愛人の一人として認められた事は嬉しく思っているが、その立場を利用して達也を困らせたいとは思っていない。だから勉強も自分一人でするつもりだったし、授業に参加していなかった期間を無視すれば、それなりの点数を確保出来る自信はある。だから水波はこんなにも申し訳ない気持ちに苛まれているのだった。




奥ゆかしいのか遠慮し過ぎなのか……

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