目の前の光景に、将輝は言葉を失っていた。油断していたわけではない。むしろ達也が担当していると知っているだけに他の選手以上に警戒していたと言っても良いだろう。だが心のどこかで「自分が負けるはずがない」と慢心していたのも否めない。
だが自分と幹比古を冷静に比べれば、そういった思いを懐いてしまっても仕方がないと将輝は試合前そんな事を考えていた。しかし彼の目の前には今、互いの氷柱が全て砕け散ったプールという光景が広がっているのだ。
「(まさかあんな隠し玉があったとは……前の試合まで六ケ所同時照準だったから一撃で終わらせればこちらの勝ちだと思っていたのがマズかった)」
将輝は自分の氷柱が全て破壊される前に、幹比古の氷柱を全て『爆裂』で破壊してしまおうと考えていたので、防御は一切固めていなかった。そんな事をしなくても勝てる自信があった。十師族の跡取りとして、そして自分の後ろには真紅郎がいてくれる、自分が勝てばまだ総合優勝を諦めなくて済むという思いが混ざり、自分が負けるはずがない、負けられないと気負っていたのかもしれない。
「(ここでも俺の邪魔をするのか、司波達也!)」
幹比古の実力も多分にあるが、自分がここまで追い込まれた原因はどう考えても達也だった。彼は悉く自分の邪魔をしてくる、将輝にとっては目の上のタンコブに近い存在なのだ。
「(お前さえいなければ、司波さんだって俺との婚約を受け容れてくれたはず! 師族会議内で跡取りの話題で俺が真っ先に出てくるはずなんだ!)」
定例会議で話題に上がるのは、圧倒的に達也の話題。将輝の話題は殆どと言って良い程話題に上がらない。むしろ琢磨の方が話題に上がる回数が多いのだ。それは別に達也の所為というわけではないのだが、将輝はその事も達也が原因だという事で、自分の心の中の平穏を保っているのだった。
「(ジョージが何かを警戒していたが、俺はそれを聞かなかった……あんな隠し玉があるなんて思って無かったというだけでなく、司波達也に勝てるという思いが冷静な判断を下せなくしていたのか?)」
将輝は今更になって、自分が冷静ではなかったと気付く。彼とさほど親しくない人間には気付かれない程度だったが、彼の右腕である真紅郎はその事に気付いていた。そして忠告もしてくれていたというのに、将輝はそれを聞き入れなかった。
「(トーラス・シルバーの片割れだと分かっていたというのに、俺は司波達也の実力を軽んじていたという事なのか……)」
まだ結果は出ていないが、将輝は既に自分が負けたという思いにとらわれている。彼にとって圧倒的勝利以外は勝ちに該当しないのだろう。
判定中の間、幹比古は将輝とは違い落ち着いた気持ちで結果を待っていた。彼にとって元々負けて当然の試合であって、達也の手助けがあったお陰でほぼ同時に全ての氷柱を破壊し尽くすという結果になったと分かっているからだ。
「(達也に頼りっきりという事は僕のプライドが許さないけど、圧倒的な力の差を前に自分だけの力だけで勝てるなんて自惚れは持ち合わせていないし)」
これが相手が真紅郎だったら達也の助けなど無く勝ってみせると意気込んだかもしれないと、幹比古は自分の考えに苦笑を浮かべた。彼の中で将輝よりも真紅郎の方が圧倒的に下だと思っていたことに気付いたからだ。
「(社会的地位で言えば、僕なんかより圧倒的に上なのに)」
カーディナル・ジョージと言えば世界的に有名な研究者であり、実績も伴っている。そんな相手を自分より下に思うなんて、二年前の彼からすればあり得ない考えなのだ。
「(達也やエリカのお陰で、僕は自信を取り戻せた。達也やレオを見たお陰で、魔法力だけじゃなく身体を鍛えた方が良いと思えた。そして柴田さんのお陰で、僕は自分一人で戦うという考えを捨てる事が出来た)」
それは達也に指摘された事でもあるが、美月がいてくれたお陰で、自分がどうなっても勝てば良いという無謀な考えを捨てる事が出来たのだった。
「(この大会が終わったら、ゆっくりする時間も出来るだろうし、少しは柴田さんとお出かけとか……ぼ、僕は何を考えてるんだ! まだ結果が出たわけじゃないし、モノリス・コードだって残ってるんだから!)」
弛緩しかけた空気をもう一度引き締めて、幹比古はモニターに視線を向けた。ちょうどそのタイミングで審議中の文字が消え、結果が表示された。
『勝者、第一高校吉田幹比古』
「えっ……」
モニターに表示された自分の名前に、幹比古は言葉を失った。感覚的には同体、あるいは自分の方が先に全滅したと思っていたので、将輝に勝ったという事実がなかなか彼の中に浸透しなかったのだ。
だが客席から向けられる彼を称える声援に、幹比古は漸く自分が勝ったという事を自覚し、その場でこぶしを突き上げた。
「(今は達也のお陰でも良い。でも、卒業するまでにはもう少し実力を伸ばしておきたい)」
客席の何処かにいるであろう美月の姿を思い浮かべ、幹比古は照れくさそうにステージから控室へと引っ込んだのだった。
自惚れたヤツと、謙虚な人の差ですね