達也が術式解体を放った直後、無人の境内に突如人影が湧き出る。拍手をしながら話しかけてきたのは、この寺の住職にして高名な「忍術使い」九重八雲。そして、彼が今朝アドバイスを求めて訪れた相手である。
「やぁ、惜しかったね。もう少し念圧の掛け方を工夫すれば、封玉は完成していただろうね」
「師匠、おはようございます」
「ああ、おはよう、達也くん」
「それで師匠、封玉とは何ですか?」
「君が今、作ろうとした物さ」
まるで何事も無かったように朝の挨拶をして、何かの話の続きのように問う達也に、八雲は苦笑い気味の笑顔で応じた。
「パラサイトを封印する方法を聞きに来たんだろう?」
「光宣の事を、もうご存知でしたか」
「アメリカで再発生した事も知ってるよ。今度は前以上に厄介そうだ」
「恐れ入ります。それで……封印の術式は伝授していただけるのでしょうか?」
「もちろん、教えない」
「そうですか」
八雲が口にしたのは、相手によっては「ふざけているのか」と怒りを爆発させる類の答えだったが、達也はそれを当然のものとして受け止めた。達也は八雲を「師匠」と呼んでいるが、彼は「忍術使い」九重八雲の弟子ではない。達也は八雲の好意で稽古をつけてもらっているだけだ。魔法を教わる権利はない。だが同時に、なにも教えてくれないというわけでもなかった。
「僕が教える必要もないだろう? さっきの封玉はよくできていたよ。初めてとは思えない程だ」
「封玉というのは、内側に独立情報体を押し込めて『徹甲想子弾』の要領で想子を球形に固めたものですね?」
「なるほど、徹甲想子弾の技術を応用したのか」
「あれで、パラサイトを封印出来ますかね?」
「風精の護法を僕の術から隔離したんだ。パラサイトにも十分、通用するんじゃないかな」
護法とは、護法童子の略。本来の意味は密教僧や修験者が使役する神霊、鬼神だが、もっと広く、密教系の術式における「使い魔」の意味で用いられる事もある言葉だ。今の八雲の発言を言い換えると「八雲が使役する風の精霊を閉じ込める段階までは成功した」という意味にある。八雲の気分次第という条件はつくが、こうして術式の伝授に近い助言をしてくれる。達也が弟子としての務めを果たしていないという事を考えれば、破格の厚遇だ。
「先程『念圧の掛け方を工夫すれば』と仰いましたが、何がまずかったのでしょう?」
「あのままでも、十時間程度念を込め続ければ自爆で破られる事もなかっただろう」
「時間を掛ければ良いと?」
「いやいや、そうじゃない。工夫といっただろう? 封玉の錬成に時間は必須じゃない」
ではどうすれば良いのか、とは達也は尋ねなかった。達也と八雲の付き合いは五年目を迎えている。これ以上のヒントを与えるつもりは無いと見抜く程度には、八雲の人柄を達也は理解していた。
「分かりました。自分で工夫してみます」
「吉田家の次男坊相手に練習してみると良いよ」
このおまけで今朝の収穫は十分、むしろ期待以上だった。
「それにしてもそのスーツ、随分と頑強だね。達也くん相手だから手加減しなかったけど、確実に左腕を取ったと思ったんだけど」
「俺相手だったから良かったですが、普通の相手にあの威力では確実に師匠は警察の厄介になっていたでしょう」
「君相手じゃなきゃあんなことやらないから大丈夫だよ」
つまりは、本気で殺しに来ていたという事なのだが、達也はその事に対して抗議するつもりは無い。もし深雪が襲われたとなれば、彼はこの寺毎消し去ったかもしれないが、自分が襲われる分にはそれ程気にする必要は無いと考えているのかもしれない。
「それは君が考案したムーバル・スーツではないよね?」
「ムーバル・スーツを四葉家が改良したフリードスーツです。中に完全思考操作型CADが組み込まれているので、魔法を使う際にCADを操作する必要もありません」
「いやいや、相変わらず君が考える事は普通の高校生の次元を超えているねぇ。ムーバル・スーツだけでもすごいのに、ここまでやるとは」
「ムーバル・スーツもフリードスーツも、俺一人の技術力では完成できませんよ。俺はあくまでもアイディアを出しただけで、実現させたのは真田さんと四葉家の技術者たちですから」
「そうかもしれないけど、君が考えなければ、こんなものを作ろうなんて思わなかったんじゃないかい? トーラス・シルバーの片割れとして様々な技術革新を進めてきた君は、その凄さを実感できていないのかもしれないけど、君のお陰で魔法技術はかなり進歩しているんだから」
「昔似たような事を言われた事がありますが、やはりピンときませんね」
高校に入学したての頃、生徒会室であずさに言われた事を思い出し、達也はそこまでの事をしたつもりは無いと改めて思った。彼にしてみればさほど凄い事をしてきたわけではないので、周りが言う程その凄さを実感できていないというのが事実だ。
「まぁとにかく、また何かあったらおいで。答えてあげるかは分からないけど」
「ありがとうございます。では師匠、俺はこれで」
「今度は深雪くんも連れてくると良い。たまには会いたいしね」
「……師匠に会わせると深雪の身が危険に曝される恐れがありますので」
「そんな事は無いよ。僕は坊主だからね」
これほど信用出来ない言葉もないと達也は思ったが、それ以上何も言わずに頭を下げて山門をくぐり八雲の寺を後にしたのだった。
これほど信用出来ない言葉もないな……