劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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八つ当たりですがね……


世界を魅了する

 達也が文弥と話をしていた頃、深雪は亜夜子を客に迎えていた。

 

「月曜日に移られたと聞いていましたが、すっかり片付いていますのね」

 

「大して荷物も無かったし、水波ちゃんが頑張ってくれましたから」

 

 

 深雪は丁度お茶と茶菓子を運んできた水波に目を向けながら、亜夜子のお世辞に応えた。

 

「わたくしと同い年ですのに、有能なんですね」

 

 

 亜夜子の称賛に、水波は「恐縮です」と小声で一礼する。水波にも亜夜子の言葉が社交辞令だということくらい、当然分かっていた。

 給仕を終えた水波の姿が、閉ざされたドアの向こうに消える。深雪と亜夜子が、同時に相手の顔へ目を向けた。

 

「亜夜子ちゃん、今日はどんなご用事なのかしら」

 

「今日のわたくしは単なるメッセンジャーですよ、深雪お姉様」

 

 

 二人が微妙な緊張感を孕んだ笑みを交換する。ここにはブレーキをかける達也も文弥もいない。このまま際限なくライバル同士的な雰囲気が高まっていくかと思われたが、深雪がフッと目を逸らした。彼女はテーブルに目を向け、惚れ惚れするような所作で湯呑を持ち上げ、熱すぎないお茶に口をつけた。僅かな時間さで、亜夜子が上品な手付きで羊羹を小さく切り分けて口に運ぶ。

 

「叔母様からご伝言?」

 

「ええ、そうです」

 

 

 亜夜子が口の中のものを呑み込むのを待って深雪が質問し、亜夜子がフォークを音も無くお皿に戻して答える。

 

「聞かせてもらえますか」

 

「近日中に、国防軍が達也さんに対して拉致を試みる可能性が高まりました」

 

「そうですか」

 

「驚かれませんのね」

 

 

 亜夜子自身、あまり意外ではなさそうな口調で深雪に尋ねる。

 

「普通に予想出来た事ですから。私は達也様と違って、国防軍を信用していません」

 

「達也さんが独立魔装大隊に籍を置いているのは、信用しているからでは無いと思いますが」

 

「そうね。でも親しくされている方がいれば、多少なりとも情は移るものでしょう? 達也様は完全に感情を失われているわけではありませんから」

 

「……日曜の詳細については、国防軍の動向が掴め次第お知らせします。ですが、わたくしに出来るのはそこまでです」

 

「……もっと分かり易くお願いするわ」

 

「つまり、本家も分家も情報以上の支援は出来ないという事です」

 

「それが叔母様の決定なのね?」

 

「はい」

 

「そう……」

 

 

 その呟きと同時に、室温が急激に低下した。テーブルのお茶が氷結し、羊羹の表面に霜が降りる。冷却現象はそれだけに留まらず、亜夜子の髪や眼に氷が貼り付き始める。

 

「亜夜子ちゃん、本気で抵抗しないと凍ってしまうわよ?」

 

「どうぞ、お気の済むように」

 

 

 静かに、優しく、降り積もる雪のように柔らかく深雪が告げ、血の気が引いた唇を震わせながらも、亜夜子が気丈な口調で答える。

 

「そう」

 

 

 その呟きを合図に、室温が急激に回復した。

 

「深雪様、何事ですか!? 深雪様!?」

 

「水波ちゃん、入ってきて」

 

「失礼します! っ!?」

 

「水波ちゃん、亜夜子ちゃんをお風呂にご案内して。この部屋は私が乾かしておくから」

 

「か、かしこまりました。亜夜子様、どうぞこちらに」

 

「ありがとう」

 

 

 水波に促されて立ち上がった亜夜子は、ドアの手前で足を止めた。

 

「深雪お姉様」

 

「何か?」

 

「先程の、そして今のお姉様は、ご当主様にそっくりですわよ」

 

「光栄ね」

 

 

 それだけ言って亜夜子は浴室の入口まで水波に案内され、ここからは一人で大丈夫と告げた。

 

「亜夜子様、本当にお手伝いしなくても宜しいのですか?」

 

「大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」

 

「……私はここでお召し物を整えておりますので、御用がお有りの際は何なりと、お声掛けください」

 

「ええ。何かあればお世話になります」

 

 

 そう言って亜夜子は、一糸纏わぬ姿でバスルームに入り扉を閉めた。このバスルームの扉はありがちな磨りガラスなどではなく、中と脱衣所をしっかりと仕切るものになっている。脱衣所からは、シルエットも見えなければ中の音もよく聞こえない。だから亜夜子はシャワーのお湯を出しっぱなしにしながら、安心して床にへたり込んだ。

 

「(あれが深雪お姉様の御力……あれでも本気じゃないなんて……)」

 

 

 先ほどは意地で平然とした顔を取り繕っていたが、その反動なのか両目に涙が滲んでいる。

 

「(事象改変なんて生易しいものじゃない……まるで、世界が自分の意思で深雪お姉様に従っていたかのよう。世界の精神を魅了し、虜にして、直接支配下に置いているかのような魔法だった……)」

 

 

 亜夜子が知る魔法とは、理を別にする超自然の法。そんな妄想が心を過り、熱いシャワーに打たれながら、亜夜子はブルっと身体を震わせた。

 

「出来る事なら、わたくしだって達也さんの手助けをしたいですが、わたくしはまだ分家の人間。本家当主が下した決定に逆らう事など出来ない……深雪お姉様、達也さんの事をお願い致しますわ」

 

 

 相手が国防軍だろうが十師族であろうが、達也と深雪がいれば負けるはずがないと亜夜子は確信している。自分がそこに加わっても足手纏いになるだけだとも理解している。だが婚約者として、達也の力になりたいと思っているのも事実なので、亜夜子は不甲斐ない自分に呆れながらも、深雪に期待を寄せる独り言を呟き、漸く熱を取り戻した自分の身体を抱きしめたのだった。




深雪も怒らせるとヤバいな……世界が滅ばないだけマシだと思ったら駄目なのかもしれないけど……

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