劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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まだ達也に慣れていないです


九亜への質問

 達也が口にした「調整体」という言葉に、レオがピクリと震えた。暗い雰囲気がリビングを覆う中、その焦点となった九亜だけが「調整体」の意味を理解していないようだった。

 

「……九亜ちゃん、これ、美味しいよ」

 

 

 気を取り直したほのかが、九亜にクッキーを勧める。九亜は野生の小動物のような仕草でクッキーの匂いを嗅ぎ、用心深く、一口齧った。途端に、九亜の顔が輝く。彼女は夢中でクッキーを頬張った。

 微笑みの中に微かな哀しみをのぞかせて九亜を見詰めていたほのかが、思い切って中断していた事情聴取を続けた。

 

「……それで、九亜ちゃんは研究所でどんなことをしていたの?」

 

「時々、大きな機械の中に入っていた、です」

 

「大きな機械?」

 

 

 ほのかが首を傾げ達也を見詰めたので、達也が解説を挿む。

 

「おそらく大型のCADだろう。大型のCADを使う場合、変数部分も含めた全ての要素を起動式に記述し、魔法師はただ出力された起動式に従って魔法式を組み立てるだけというケースも珍しくない。九亜も自分が何をやらされているのか分からなかったと考えられる」

 

「……それじゃあまるで、魔法師は機械のパーツじゃないか」

 

 

 幹比古が不快感を露わに、顔を顰めた。達也は幹比古が懐いた感想を、否定しなかった。

 

「魔法師に意思は必要無い。むしろ無い方が良い。かつてそう考えていた者は少なくなかったし、今もゼロではない。――多分、これからも」

 

「……悲観的だね、達也」

 

 

 どこか咎めるような口調の幹比古だったが、その言葉に応えたのは、達也ではなくレオだった。

 

「調整体は兵器として製造された魔法師だ。それってつまりは、軍事システムのパーツとして生産されたってことだ。幹比古、達也が言っている事は、驚くほどのこっちゃねぇよ」

 

「レオ」

 

「……悪い」

 

 

 エリカが低い声でレオの名を呼ぶ。彼女が言わなかった事――「本人の前だから気を遣え」というあえて口にしなかったセリフを理解して、バツが悪そうにレオが頭を下げた。

 

「九亜はどうして研究所を抜け出したの? 自分が何をやっているのか分からなかったんだからさ。それが嫌になったってわけじゃないよね?」

 

 

 重苦しい雰囲気を少しでも変える為か、エリカが軽めの口調で九亜に尋ねた。

 

「逃げなさいと言われた、です」

 

 

 九亜自身はムードの悪化を感じていないのか、今までと変わらない口調で答えを返す。

 

「誰に?」

 

「盛永さん。お医者さんの、女の人、です」

 

「お医者さん? 九亜ちゃんの、お世話をしてくれていた人の事?」

 

 

 ほのかが目線を合わせるように九亜の顔を覗き込みながら尋ねると、九亜はこくりと頷いた。

 

「その人は何故、九亜ちゃんに逃げろって言ったのか、理由は分かる?」

 

 

 ほのかの質問に、九亜は少し考え込んだ。たぶん九亜ははっきりと理由を示されておらず、関係ありそうなことを思い出しているのだ。

 

「……このまま実験を続けると、自我が消えて人形のようになってしまう。と、言われた、です」

 

 

 九亜が記憶から引き出した答えは、これだった。だが盛永が九亜に告げたセリフの意味が、エリカにはピンとこない。ほのかも、理解出来ていないようだ。

 

「……自我が消える? 達也くん、そんなことあり得るの?」

 

 

 結局エリカは自分で推測するのを諦めて、達也に解釈を委ねた。

 

「無いとは言えない……九亜」

 

 

 達也はひとまずエリカに答え、九亜に不確かな点を確認しようと声をかけたが、達也が目を向けた途端、おびえた表情でエリカにしがみついてしまった。

 

「あ、あの、達也さん! 九亜ちゃんも悪気があるわけじゃ……」

 

「そ、そうですよ。小さな子共には、大きな男の人が怖く見えるものだと言いますし……」

 

 

 九亜の反応に、ほのかが慌て、美月が慌ててフォローに入った。

 

「いや、すまない。二人とも、気にしないでくれ」

 

 

 達也は慌てた二人に軽く手を振ってから、深雪へ顔を向けた。

 

「大型CADに接続したのは九亜一人なのかどうか、聞いてくれ」

 

 

 自分が纏っている軍人の雰囲気が怖いのだろうと理解して、達也は自分で九亜に質問する事を諦め、深雪を通して疑問を解消する事にした。深雪は達也の意図をすぐに悟り、九亜に顔を向けた。

 

「九亜ちゃん。その『大きな機械』の中に入ったのは、九亜ちゃん一人だったの?」

 

「私たち、です」

 

「私たちというのは、わたつみシリーズの事か?」

 

「私たちというのは、九亜ちゃんわたつみシリーズの事かしら?」

 

 

 達也の質問を、深雪が柔らかな表現で言い直す。

 

「はい。私たち九人、です」

 

「調整体は九人か……」

 

 

 達也が眉を顰めたのは、事態が予想を超えて深刻なものだと判明したからだろうか。

 

「その『大きな機械』の中から出た後は、どんな気持だった?」

 

 

 この質問は深雪自身が疑問を覚えたことだ。だが達也もそれが聞きたかったのか、九亜をじっと見つめて答えを待っている。

 

「気持ち?」

 

「ええ。九亜ちゃんがどんな風に感じたのか、聞かせてちょうだい?」

 

 

 キョトンとしている九亜に、深雪は噛み砕いた表現でもう一度尋ねた。

 

「感じ……ふわふわ、溶けていくみたいだった、です」

 

「何が溶けていくの?」

 

「私が、私たちの中に」

 

 

 九亜に、危機感を覚えている様子はあまりない。だが達也は、深刻そのものの口調で呟いた。

 

「自我消失の自覚症状があるということか……」

 

「そんな!」

 

「っ!」

 

 

 ほのかが声を上げ、美月が口を押える。エリカと幹比古も厳しい目つきで、眉間に皺を寄せていたのだった。




達也は特に雰囲気が怖いからなぁ……

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