詩奈も作業が終わったので、そろそろ帰ろうかと思ったタイミングで、生徒会室に来客が訪れた。
「小野先生と安宿先生? お二人がここに来るなんて初めてではありませんか?」
「そうね。殆ど用事なんて無かったし、あったとしても司波君経由で伝えていたからね」
神妙な面持ちで話す遥とは対照的に、深雪は普段通りの表情で二人に席を勧める。勧められた席に腰を下ろした二人の前に、水波がお茶を置く。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、お客様をもてなすのも、私の仕事ですので」
「水波ちゃん、ここはお家じゃないんだから、そこまでしなくても大丈夫よ」
深雪としてはピクシーに用意させるつもりだったので、水波の行動は深雪にとって計算違いだったのだ。それを感じ取った水波は、深々と頭を下げて脇に移動した。
「(水波さんって、普段はあんな感じなんですね)」
「(私はあくまでもメイドですので、反射的にお客様にお茶を出してしまうんです)」
「(メイドっていうのも大変なんだね。ボクたちももう少し労わってあげたら良かったかも)」
「(私はちゃんとお礼を言っていましたけど、香澄ちゃんはたまに何も言わなかったりしましたもんね)」
「(疲れてたんだよ! そもそも、泉美ほどこき使ったりしてなかっただろ)」
「(私がメイドさんたちをこき使ってたって言うんですか? そんな事してませんし、していたとしても、お姉様ほどではありません)」
「(そこと比べなくたっていいだろ! こき使ってる事には変わらないんだから!)」
だんだんとヒートアップしてきた双子に、深雪がやんわりと注意の言葉を投げ掛ける。
「二人とも、喧嘩するなら他所でしてくれるかしら?」
「も、申し訳ございません!」
「すみませんでした」
弾かれたように頭を下げる泉美に対して、香澄は何処か不貞腐れたような態度で頭を下げる。彼女としては、泉美に巻き込まれた形で怒られたと感じているので、その態度も仕方なかったのかもしれない。だが、泉美はそんな香澄の態度を見て、ますます苛立ちが募った。
「深雪先輩にそのような態度をとるなんて」
「仕方ないじゃん。ボクはヒートアップした泉美に巻き込まれただけなんだから」
「何ですって!?」
「二人とも、こっちにこい」
達也に掴まれて風紀委員本部に繋がっている螺旋階段側まで引き摺られた二人は、睨みつけるように達也を見上げる。
「何するのさ!」
「あのままだと深雪が怒っただろうからな。生徒会室を氷漬けにしたかったのなら別だが、その場合泉美は深雪に、香澄は雫に怒られていただろうな」
「み、深雪お姉様に……」
「北山先輩のお説教……」
それぞれ怒られたくない相手の名前を出され、二人は漸く冷静さを取り戻した。それどころか、冷めすぎて顔色が悪いようにも見える。
「落ち着くまでここにいると良い。落ち着いたら戻ってこい」
そう言って達也は生徒会室に戻っていき、この場に残された二人は互いの顔を見て、それだけ怒られたくなかったのかという事を理解した。
「北山先輩ってそんなに怖いイメージは無いのですが、香澄ちゃんの顔を見れば何となく分かりました」
「司波会長に怒られることが、泉美にとってそれほど絶望的な事なんだね……確かに怒らせたらヤバそうなのはボクも知ってるけど、泉美の場合はそれだけじゃないんだね」
「当然ですわよ。深雪先輩にだけは、呆れられたくありませんもの」
もう手遅れなんじゃないかとも思ったが、香澄はその事は言わずに頷くだけに留めた。
「それにしても、達也先輩って絶妙な力加減なんだね。あれだけ強く掴まれたら痕にでもなってるかと思ったんだけど」
「そう言われれば……掴まれている時は痛かったですが、今はなんともありませんわね。痕もありませんし、さすがは深雪先輩の婚約者、といった感じなのでしょうか」
「何で司波会長の方が上だと思ってるのかは分からないけど、達也先輩は四葉の次期当主なんだよ? 何で下なのさ。せめて対等じゃないの?」
「深雪お姉様の神々しさに並べる方など、この世に存在しませんもの」
「あーはいはい……まったく、泉美の趣味はボクには分からないって言ってるのに」
「私は別に同性愛者ではありません。そもそも、深雪お姉様をそんな目で見る事なんてありませんもの」
「ふーん……」
疑ってるのを隠そうともしない香澄に、泉美はもう一度念を押すように同性愛者であることを否定した。
「深雪お姉様にその気がないのに、私が詰め寄ったら迷惑じゃないですか。だから私も深雪お姉様に対しては、そのような邪な感情を懐かないようにしているのです」
「司波会長にその気がないのはボクにだって分かる。でも、それで我慢してるって事は、やっぱり泉美は司波会長の事を『そういった目』で見てるって事じゃないの?」
「違います! そもそも私は、お姉さまのように自分の欲望に忠実ではありませんから」
「まぁ、お姉ちゃんはあからさまだけどね……他の人に何と思われようと関係なく、達也先輩に甘えようとしてたし」
「その所為で深雪お姉様のご機嫌が急速に下降していきましたもの」
「達也先輩が何とかしてくれなかったら、あの場所は氷漬けになってたんだろうね……」
それだけ深雪の嫉妬は恐ろしいのだと理解している二人は、自分の姉を思い浮かべ、同時にため息を吐いたのだった。
深雪も雫も、怒らせたら怖そうだ