亜夜子と軽く話した後、達也はもう一人盗み聞きしている相手に近づき声をかける。
「今度はいったい何の用でしょうか、小野先生?」
「これでもバレるのね……もう司波君相手に隠れ通そうとするのは止めるわ」
陰から素直に出てきた遥に、達也は盛大にため息を吐いてカフェに移動する。
「元々隠れてるつもりなど無かったのではありませんか?」
「そんな事ないわよ。まぁ、達也君相手に隠れ切れる自信は無かったけど、九十九崎や黒羽さんからは隠れ切ったわよ?」
「香蓮は兎も角、亜夜子は気づいていたと思いますよ。あれでも諜報が専門なんですから、気配に敏くなくてはやっていけません」
「私の隠形より、黒羽さんの索敵の方が上だっていうの? これでも年長者なんですけど?」
「年齢ではなく経験ですよ。亜夜子は単身で九島烈と対峙した経験もありますし、その時に震えることもせず対等に話し合ったと聞いています」
「震えあがるも何も、最初っから会う事になってたんじゃないの?」
「いえ、暗闇でいきなりです。気配を掴んでなかったら、十六の少女があの人相手に対等に出られるわけがありません」
「つまり、黒羽さんはそれだけ優秀だって事なのね……私だったら、暗闇から九島閣下が現れたら驚いちゃうわよ。ところで、魔法師界の老師を呼び捨てにしていいのかしら?」
「本人の目の前というわけでもないですし、気にしなくて良いのではありませんか?」
遥が烈とつながりを持っているとも思えないし、例え相手が響子だったとしても、達也は呼び捨てにしただろう。それだけ迷惑を被ったり邪魔をされたりしているので、今更敬う気にもなれないのである。
「それで、先ほど話した以外で何か用があるのですよね? わざわざ気配を消して盗み聞きをされていたわけですし」
「何だか刺々しくない? まぁいいけど」
遥はコーヒーを一口啜ってから、真面目な表情を作り達也を見詰める。それほど真剣な話なのかと、達也は一応覚悟を決めて遥の言葉を待った。
「私もあの家に住まわせてくれない?」
「はっ?」
覚悟していたからこそ、達也の返事は間の抜けたものになってしまった。わざわざ放課後の行動を監視し、気配を消して近づいてきた相手の話が、まさかそんなものだとは思ってもみなかったのだろう。
「だって、セキュリティは万全だし立地も良いし、何より家賃の事を気にしなくてもいいわけでしょ? 食費や光熱費なんかも四葉が出してくれるって話だし、私も一応は関係者になるんだし」
「遥さんをOKにしたら、怜美さんも黙ってないと思いますが。そもそも遥さんは響子さんになにかと喰いついてると聞きましたが、家の中で喧嘩とかしないでしょうね?」
「いったい私の事を何歳だと思ってるのよ。それくらいの我慢くらい出来ます」
「我慢してる時点でダメだと思いますが」
達也の冷たい視線を受けて、遥はゆっくりと視線を逸らしていく。遥の仕事上セキュリティ対策は必要だし、危険な仕事な割に給料は大したこと無いと以前に愚痴られたことがあるので、家賃の件もある程度納得は出来る。だが遥は正式な相手ではなく、あくまで「愛人」扱いなので、彼女を家に招き入れる場合、婚約者全員の許可が必要になるのではないかと、達也はそんなことを考えていた。
「別に達也君にちょっかいを出したりはしないわよ。そもそも君はまだ高校生で、私はその高校で教師として働いてるわけだし」
「高校生云々を除いたとしても、他の人が許さないと思うので『ちょっかい』の部分は聞かなかったことにしておきましょう」
「それにしても、本当に凄い忍耐力ね。普通の高校生なら一日もたずに手を出しちゃうと思うけど」
「俺にはそういった感情がありませんからね。恋愛感情と性欲は別物です」
「随分とあっさり言い切るけど、聞いてるこっちが恥ずかしいんだけど」
「それは失礼しました」
感情のこもってない謝罪をする達也に、遥は冷ややかな目を向けるが、その程度で達也がたじろぐ事など無く、涼しい顔でコーヒーを啜った。
「とにかく、私もあの家に住みたいの。何なら掃除くらいなら毎日してあげるわよ」
「掃除洗濯料理など、諸々の事は当番制になっていますので、遥さん一人が担当する事は無いと思いますよ、どうしてもというなら、中庭のメンテナンスを頼むと思いますが」
「庭のメンテナンスなんて、私出来ないわよ?」
「ですから、交換条件にはなりません」
何とか譲歩を引き出そうとしても、達也からそんなものを引き出せないと痛感した遥は、達也にではなく別の相手に頼む為にカフェから移動する事にした。
「深雪に頼んでも無駄ですよ。深雪はあの家で生活してませんので」
「じゃあどうすればいいのよ!」
突如大声を出した所為で、遥はカフェにいる全員の視線を一気に受けたが、彼女はそんな事気にせず達也に迫る。
「前回同様、母上を納得させられたのでしたら、俺からは何も言いません」
「そんな簡単に会える相手じゃないじゃないのよ……この前だって、本当にたまたま会う事が出来たんだから」
「それ以外でしたら、あの家で生活する全員から許可を貰えば、こちらでシステムを書き換えて小野先生と安宿先生を住人として受け入れますよ」
そう言って立ち上がり、達也は遥より先にカフェを後にしたのだった。
気が付けば二月になってた