リーナに料理を教える為にキッチンに下りてきた深雪は、嗅いだことのない臭いに思わず両手で鼻を押さえた。
「何があったの?」
「火力が足りないと思って、ちょっと魔法を使ったら鍋が溶けちゃって……」
「普通使わないでしょ!? 貴女、何考えてるのよ」
かなり本気で怒った深雪を前に、さすがに反省しなければと思ったのか、リーナが素直に頭を下げる。深雪の大声と、異臭を嗅ぎ付けてキッチンにやってきた達也が鍋を再成し、異臭はとりあえず収まったが、深雪の怒りは収まらない。
「火力が足りないなら普通に強火にすればいいだけでしょ! 何で魔法を使ったのよ」
「だって、やり方が分からなかったから……」
「だったら聞けばよかったでしょ! ほのかや雫だっていたんだから!」
自分にも飛び火してきて、ほのかと雫は居心地の悪さから視線を逸らし、達也の背後に隠れた。
「深雪、少し落ち着け」
「ですがお兄――達也様! さすがにこれは失敗の範疇を超えています。簡単に許せることではありません」
「確かに鍋を溶かす程の火力はやり過ぎだが、そこまで怒ること無いだろ。こうして元に戻したから鍋も問題ない」
「そういう事ではありません。達也様に『再成』を使っていただかなければいけない状況にしたことが問題なのです! そもそも、料理に魔法を使おうと考える事が気に入らないのです!」
「深雪、悪いのは私でしょ。達也にまで怒る必要は無いじゃないのよ」
自分が悪いと理解しているリーナは、深雪が達也に対して語気を強めているのが気に入らなかったのか、当事者として間に入った。
「……とりあえずリーナは今後料理をしようとか考えない事ね。こんな調子なら同じ失敗を繰り返しそうだし」
「さすがにそうするわ。達也、ミアをここで暮らしてもらうように手配できないかしら?」
「それは構わないが、何故彼女を?」
「私は家事などで力になれないから、私の代わりをミアにしてもらおうと思って」
「まぁ、部屋は余っているわけだし、他の人が許可するなら俺は構わない」
「ほのかや雫はどう思う? このまま私が手伝うわけにはいかないし」
達也の背後に隠れていたほのかと雫に尋ねるリーナ。二人は顔を見合わせてから頷いて答える。
「彼女は達也さんに敵意を懐いているわけでもないですし、必要以上に近づこうとしないですし、私とほのかは構わないよ」
「ありがとう。それじゃあ私は、他の人たちに聞いてくるから」
少し泣きそうな表情にも見えたが、リーナは気丈に振る舞ってキッチンから去っていく。少し言い過ぎたと思ったのか、深雪は気まずそうに達也を見詰める。
「私は言い過ぎたのでしょうか?」
「言い過ぎとは思わないが、言い方が悪かったかもな。もう少し手心を加えてやっても良かったのかもしれない」
「リーナに謝ってきます!」
「今リーナに謝ろうとすれば、逆にリーナに怒られるぞ」
「どういう事ですか?」
達也の言葉に首を傾げる深雪。達也は深雪のその姿を見て、少し表情を緩めた。
「せっかくリーナが決心したのに、その原因である深雪が頭を下げたら決心がぐらつくだろ?」
「あっ……」
「リーナとしては自分では踏ん切りがつかなかった事に深雪が言ってくれたお陰で諦められたんだ。謝るにしてももう少し時間が経ってからの方が良いだろ」
「そうですね……達也様の言う通りだと思います」
「言い過ぎたと思っているなら、今はそれで良いだろう。深雪もこれで成長出来たと思えるなら、リーナの失敗も悪くは無かったのかもしれないな」
「もぅ、達也様ったら……」
恥ずかしそうに達也の腕に寄りそう深雪を見て、ほのかと雫も漸く達也の背中にくっつく事を止め、リーナが残したものを片付け始める。
「ほのかと雫にも怖い思いをさせちゃったわね。ゴメンなさい」
「ううん、確かに止められなかった私たちにも責任はあったから」
「深雪が料理に誰よりも真剣だから、あそこまで怒ったんでしょ?」
「料理に真剣というよりも、達也様に食べていただく物に魔法を使った事が許せなかったのかもしれないわね。なんであそこまで怒ったのか、私にもよくわからないわ」
「でも、深雪が怒ったお陰で一人住人が増える事になったし、また賑やかになる。結果オーライ」
「うーん、それでいいのかな?」
リーナが料理を諦め、ミアがここに来ることを前向きにとらえている雫に対して、ほのかはちょっと複雑そうな表情を浮かべる。一年の時のバレンタインの際、ミアは助けてもらったお礼として達也にチョコを渡していたが、ほのかの目には、ミアにも達也に対する恋愛感情があるのではないかと思える光景だった。
「いっそのこと深雪たちもここに住めば?」
「それは出来ないわよ。私にはあの家を守る義務があるのだから」
「研究施設ならここにもあるし、四葉の力を以てすればバレずに移動させることくらい出来るんじゃないの? それに、あの家は達也さんの所有物ってわけでもないんだし、手放しても問題はないよね?」
「雫」
「なに、達也さん?」
「母上にも考えがあって深雪をあの家に残したんだ。そう簡単に深雪がここに住めるわけがない」
「雫、私は一緒に住みたいとは言えないわよ。ここに来ない事を条件に、今まで同居を黙認してもらっていたんだから」
「そっか」
意外にあっさりと諦めた雫に、深雪は肩透かしを食らったような気になったが、それを表情に出す事はしなかった。
今後リーナが料理をすることは無さそうだ