劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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相手が悪すぎる……


侍朗の特訓

 山岳部に混じってクロスカントリーに参加した侍朗ではあったが、結局完走する事が出来なかった。今は山岳部が自分の縄張りのように使っている林間の空き地で大の字に倒れていた。

 

「侍朗、大丈夫か?」

 

「……はい」

 

 

 横に座っているレオが、それほど心配そうにも聞こえない口調で声をかけたのに対して、侍朗は呼吸の中で、その一言を絞り出すのが精一杯の状態だった。

 

「合格点はやれないけど、それほど悪くもないわね。山岳部の体力バカを相手に、良くやれた方だと思うわ」

 

 

 エリカの「体力バカ」発言は、レオをはじめとする山岳部員たちも受け入れいているので、特に抗議の声が上がることは無かった。そして、その発言をスルーしているのは山岳部員だけではなかった。

 

「柴田さん、あんまり近づくと危ないよ」

 

「水が張ってあるから怪我はしないと思うけど、スケッチブックが濡れたら大変でしょ?」

 

「そうですね」

 

 

 スケッチブックを開いてスケッチしていた美月も、エリカの発言はスルーしている。ちなみに美月が覗き込んでいた穴は、新部長に就任したレオがフリークライミング用に使うと生徒会に掛け合って造ってもらったものだ。そのレオの方針のお陰で、山岳部はその名に相応しい活動の比重を増やしている。

 ちなみに、何故美月が山岳部の領域でスケッチをしていたのかというと、今美術部で取り組んでいる課題が「躍動する筋肉」という、一部の女子生徒の趣味丸出しのものだからである。

 部員たちが壁のぼりをしているのを見ていたレオが、そろそろ自分も壁に挑むかと立ち上がると、林の中から声がかけられた。

 

「レオ」

 

「幹比古。こんな所まで珍しいな」

 

 

 林の中から現れたのは幹比古。制服姿にも拘わらず、ズボンの裾にも上着の端にもほとんど汚れがついていない。それに気づいた部員の間で「さすが部長のお友達」とか「やっぱり風紀委員長は常識ブレーカーの一員」とか微妙な賞賛の声が上がるが、レオやエリカは気にしていない。

 

「生徒が倒れたって報告があったから見に来たんだけど、大丈夫みたいだね」

 

 

 前半のセリフの間に、倒れた生徒が侍朗だと確認した幹比古は、笑みを浮かべながらそう言い切る。その直後、ツッコミを堪えている気配が一斉に生じた。侍朗の姿を見て何処が大丈夫なんだと山岳部員たちは言いたかったのだろうが、侍朗本人が異議を唱えなかったので誰も何も言わなかった。

 

「侍朗、起きられる?」

 

「――はい」

 

 

 エリカの問いかけに侍朗が身体を起こす。まだ少しふらついていたが、そこは意地で身体を支えている。

 

「せっかくだから、風紀委員長に稽古を付けてもらいなさい。ミキ、お願い出来る?」

 

「えっ? 大丈夫なのかい?」

 

「お願い」

 

 

 依頼に対して目を丸くして驚いた幹比古に、エリカは重ねて依頼をする。

 

「魔法無しで良いなら、僕の方は構わないけど……」

 

「それで良いから」

 

 

 風紀委員長が率先して魔法無断使用の校則違反を犯すわけにはいかないという事だ。エリカも最初からそんな無茶を押し付けるつもりは無かったようだ。

 

「侍朗。吉田委員長は魔法抜きでも、この学校屈指の実力者よ。勝てるなんて考えず、胸を借りるつもりで行きなさい」

 

「分かりました! 吉田先輩、お願いします!」

 

 

 仕方がないという表情を浮かべ、幹比古は上着のボタンに手を掛けた。そしていつの間にかすぐ後ろに立っていた美月に上着を渡した。

 次の瞬間、幹比古は侍朗との間合いを詰めており、反射的に突きを繰り出す侍朗の手首を取って、伸び切った腕を外に返す。侍朗の身体は簡単に浮いて、地面に落ちた。

 

「何故、僕が上着を脱いでいる隙に攻撃してこなかったのかな?」

 

 

 幹比古が不思議そうに問いかける。自分の甘さを指摘されて、侍朗の意識が過去へ動く。ほんの僅かな後悔。その意識の空白に、幹比古はまたしても間合いを詰めていた。侍朗の右横に並んだ幹比古が、むしろゆっくりと左腕を上げる。幹比古の腕に顎をかち上げられ、侍朗がもんどり打って倒れた。すかさず膝で侍朗の胸を押さえ、左手で右手を封じ、右手の指を侍朗の瞼の上に置く。侍朗は空いている左手で幹比古の膝上をタップし、ギブアップを表明した。

 幹比古が立ち上がり、侍朗に背中を向ける。侍朗は幹比古の背後から組み付こうとしたが、幹比古はくるりと回ってその腕を避ける。そのまま侍朗を引き込んで押しつぶし、背後から馬乗りになる恰好で逆関節を取って固めた。

 

「わぁ、凄いです!」

 

「うえっ……えげつねぇな」

 

 

 滅多に見られない幹比古の華麗な立ち回りに美月が手を叩いて喜んでいる横で、レオはセンブリ茶と青汁とゴーヤジュースのブレンドを一気飲みしたような顔をしている。エリカは侍朗のふがいなさと幹比古の賢い戦い方に、苦い顔をしていた。

 

「まだ続ける?」

 

「お願いします!」

 

 

 幹比古が抑え込みを解いて侍朗に尋ねると、侍朗は間髪を入れずに答えた。

 

「ミキ、遠慮しなくていいから。侍朗に上級生の凄さを教えちゃって良いわよ」

 

「僕の名前は幹比古だ! でも、上級生の凄さを教えるなら、達也の方が良いんじゃないの? 魔法無しなら、達也に勝てる人なんていないんだしさ」

 

「達也くんは今日いないし、侍朗の目標は達也くんだもの。いきなりラスボスを相手にしろって言ってもね」

 

「入学式の時の遺恨かい?」

 

「そうではありません。あれは俺が悪かったんですし」

 

 

 遺恨では無いと確認して、幹比古は小さく頷いて組手を再開した。それからの三十分、侍朗は立っていられた時間の方が短かった。




幹比古と美月が、老夫婦並みの連携を……

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