達也たちが帰宅したのを見計らったようなタイミングでチャイムが鳴った。来客を告げるものではなく、電話やメールの着信を通知するものでもない。荷物の到着を知らせるチャイムだった。
「見て参ります」
深雪が制止する前に、水波がリビングから玄関へ向かう。達也と深雪の二人は、なんとなく何かをするのを憚られたような気になり、水波が戻ってくるのをただ待つのだった。
「……お手紙でした。宛先は達也さまと深雪様のお二方宛です」
「差出人は?」
電子ネットワークが進歩すれば、手紙は駆逐されてしまう。そう予想した有識者も多かったが、実際のところその予想は外れている。電子ネットワーク同様、あるいはそれ以上に物流ネットワークが発達したため、郵便物も国内ならば二十四時間以内に届く体制になっていた。高度に自動化されたことで人件費も昔ほどかからない。速さ的にもコスト的にも堪えられるレベルをキープしている。郵便は今も、礼儀的な側面から現役のサービスとして生き残っている。
達也から差出人を尋ねられ、水波は手に持っていた封筒をひっくり返した。それまで礼儀正しく、宛名しか見えないようにしていたのだ。
「十文字様です」
「十文字先輩から……?」
疑問の声を上げたのは深雪だ。その声に誘導されて水波は深雪に封筒を渡そうとしたが、深雪は目でそれを制した。達也に渡しなさい、という事である。
水波は不満そうな態度を微塵も見せず、封筒とペーパーナイフを達也に渡した。まだ着替えてもいないし、ここで開封するべきかどうか少し迷ったが、深雪と水波が内容を早く知りたそうにしていたので、達也はペーパーナイフで封緘部に滑り込ませた。
文面はあまり長くなく、短時間で読み終わった。
「反魔法主義運動対策の会議に俺か深雪を招待したいそうだ」
「反魔法主義対策の会議に、私たちをですか? 叔母様ではなく?」
「二十八家の若手を集める会議らしい。将来的にはナンバーズ以外にも対象を広げて、日本魔法協会の青年部会みたいなものを作りたいようだ」
「……十文字先輩がそう仰っているのですか? いえ、失礼かとは存じますが、そのような事を画策されるのはあの十文字先輩らしくないような」
深雪が呈した疑問は、当然のものと言えるだろう。達也が苦笑いを浮かべたのは、深雪が使った「画策」という表現がおかしかったからだ。彼女も随分、陰謀と謀略の世界に毒されてしまったらしい。
「別に悪事を企んでいると決まったわけではない。純粋に、意見交換の場を作りたいのかもしれない」
画策とは普通、好ましくない謀略に使う言葉だ。それを遠回しに指摘されて、深雪は恥ずかしげに頬を赤らめた。
「そうですね……先輩は次の世代を担う魔法師のコミュニティを作ろうとされているのかもしれません……」
「とはいえ、今回は恐らく、十文字先輩が画策された事ではないだろうがな」
「もう……」
お兄様ったら、と恥じらいを全開にしてじゃれつこうとして、深雪の舌はピタリと止まった。達也の発言の意味が時間差で意識に浸透したのである。
「……十文字先輩が考えられたことではないと?」
「お前の言う通りだよ、深雪。今回の提案は先輩らしくない」
「では、誰が……」
「七草家が考えそうなことだが、弘一氏の発想にしては捻りが無いように感じる」
相手が目の前にいないからではあろうが、深雪の父親と同じ年代の七草家当主に対して、達也は遠慮が無かった。
「まぁ、所詮は勝手な想像だ。七草先輩に聞いても答えてくれないだろうし、答え合わせが出来ない事をあれこれ考えても仕方がない」
達也は招待状を深雪に差し出したが、彼女は軽く首を左右に振った。
「それではお兄様――いえ、達也様。如何なさいますか?」
手紙に何が書かれていようと、結局のところ、深雪にとって意味があるのは「達也がどうするか」だけなのだ。その問いに対する達也の返事には、一切の迷いは無かった。
「俺が出席しよう」
「お一人で、ですか?」
「深雪は出ない方が良い」
「分かりました」
その理由を達也は説明しなかったが、深雪も説明を求めない。むしろ水波の方が説明を聞きたそうな顔をしている。
「会議は来週の日曜日、九時からだ。場所は横浜の魔法協会関東支部。当日、深雪は家にいてくれ。水波は深雪の護衛だ。頼んだぞ」
「かしこまりました」
それでも、達也の命令に異を唱えたりはしない。深雪と水波は異口同音に頷いたのだった。
「さて、それじゃあこの件はこれで終わりだな。とりあえず着替えてこよう」
「そうですね。水波ちゃん、今日の晩御飯は貴女にお任せするわね」
「承りました。達也さまも深雪様も、ごゆっくりお休みくださいませ」
新学期が始まったばかりとはいえ、生徒会長である深雪と、書記長である達也の仕事量は自分の倍以上だと水波は知っているために、せめて家ではゆっくりしてもらいたいと思っていたので、深雪の提案は彼女にとってありがたいものであった。普段であれば頑なに調理だけは譲らない深雪が、こうして自分に任せてくれるのは、メイドとしての誇りを抱いている水波にとっては、自分のメイドとしての仕事を認めてもらったように感じられたのだ。
「ゆっくりって、私も達也様もそこまで疲れていないわよ」
「もちろん、お二方の能力を考えれば当然ですが、あえて無理をする場面でもありませんので」
「そうかもね……それじゃあ、水波ちゃんもとりあえず着替えなさいな」
さすがに一高の制服のまま料理するわけにはいかないので、水波も一礼してから自室に戻り、着替えてから揚々と調理を始めるのだった。
深雪が少し柔軟になってきた気が……