「これで、終わったんですね。もうアシュクロフトを巡って誰も戦わずに済みます…」
「岡峰さん…」
ミネルヴァを打倒したことに安堵する美紀恵。そんな彼女にセシルが他の2人を連れて声をかけた。
「共にミネルヴァと戦ってくれたことには本当に感謝しているわ。正直私達だけではどうしようもなかったのだから。だから、ありがとう…」
「そんなお礼なんて。私はただ自分のやりたいように行動しただけですから…。あの、これからのことですけど。皆さんとアシュクロフトのこと、私達に委ねていただけませんか?私はこれ以上あなた方と戦いたくありません。だから――」
「それは…」
美紀恵の提案に渋い顔をするセシルら3人。本音を言えば彼女らも自分達を信じてくれた美紀恵と戦いたくはなかった。だが、幾度と裏切られてきた経験が、差し伸べられた手を掴むことに躊躇いを生んでしまっていた。
そんな彼女らに助け船を出すように、ヴォルフが口を挟んできた。
『…ミネルヴァ・リデルがしくじった以上、エドガー・F・キャロルに打てる手はなくなった。恐らく今頃は奴を蹴落とそうとする連中の対応に追われて、お前達の邪魔をする余裕などあるまい。それに、DEMは責任を奴1人に被せるだろうし、非難を避けるために、善意者の顔で手を貸してくるだろうよ』
「つまり、今は軍を信用しても良いと言いたいの?」
『軍内部で、DEMを快く想っていない者達は決して少ない訳ではない。このまま逃げて犯罪者として追われるよりは、上手くいくと思うがね』
そこで言葉を区切ると、美紀恵へと視線を向けると言葉を続けた。
『何より。アーシャの奴は、自分のせいでこれ以上戦いが広がることを望むまい』
「そう、ね…。でも――」
そこで折紙へと視線を向けるセシル。それに対し、彼女は耳を傾けるように視線を合わせる。
「鳶一折紙さん。あなたのことを調べさせてもらったのだけれど。あなたは精霊に家族を奪われ、その復讐のために軍に入ったそうね。そんなあなたがアシュクロフトを手放せるというの?」
その問いに、折紙は暫し思考するように目を閉じる。
静寂の中。緊張した趣きで、事態を見守っている美紀恵の唾を呑み込む音だけが鳴る。
ほんの数瞬が、気が遠くなりそうに感じる緊迫感の中。意を決したように目を開けた折紙は、無言でセシルらへと歩み出した。
咄嗟に構えようとするアシュリーとレオノーラを、セシルが手で制す。敵意を感じない折紙の目を見た、2人は武器を降ろし彼女の動向を見守った。
目の前まで歩を進めた折紙は、アリスを解除すると、納められたデバイスをセシルへと手渡すのだった。
「――あなた…」
「…もう、この力は私には必要ない。私には、アシュクロフトに負けない美紀恵や『仲間』という力があるから」
「~~折紙さ~ん!!」
自分に、そしてこの場にいない人達へも向けられた言葉に。美紀恵は感極まって飛び込むようにして折紙に抱き着いた。――傷だらけの彼女に。
「…美紀恵、痛い…」
「ああ、すみません!?で、でも折紙さんにそう言ってもらえて、私すっごく嬉しいです!!私、足を引っ張ってばかりなのに――」
「もうあなたは立派な戦士。自信を持っていい。きっと勇もそう言う筈だから」
その言葉が余程嬉しいのか。彼女の両手を持つと、ブンブンッと上下に振る美紀恵。いつものように淡々とした様子でされるがままの折紙だが。その表情は僅かにだが微笑んでいるようにも見えた。
そんな彼女らを見ていたセシルは。渡されたデバイスを暫し見つめると、アシュリーとレオノーラへと促すような視線を向ける。
「アシュリー、レオ…」
「わーてるよ。ここまでされたら、信じるしかねーよな」
「うん。私達のために頑張ってくれてるの見てたもんね」
2人ともアシュクロフトを解除すると、セシルと共に美紀恵へとデバイスを手渡していく。
「アシュリー、皆さん!!」
「だあ~!あたしにまで抱き着くんじゃねぇ!!」
「にゃ!?」
飛びついていくる美紀恵を、顔に手を押し当てて退けるアシュリー。鬱陶しげではあるが、その顔は笑っており。つられて、他の2人にもにも笑顔が戻るのであった。
『――た』
「ベル?」
『ふぇぇぇえええ!!良がったよおおおお!!』
「にゃ!?」
今までの冷静沈着なイメージをぶち壊さんばかりに、突然号泣し始めたベルに。飛び跳ねんばかりに驚く美紀恵。
「ど、どうしたんですか!?」
『また、あなた達同士で…傷つけあうんじゃないかって、不安だったから…。仲直りしてくれてよかったよおおおおおお!!ありがとう美紀恵ちゃあああああん!!』
『…相変わらずやかましい
「ヴォルフさん、ベルの声が聞こえるんですか??」
呆れた様子で会話に混ざって来たヴォルフに、キョトンと目を丸くする美紀恵。これまでは、どういう訳かベルの声は他の人には聞くことができなかったからである。
『お前があいつと入れ替わってから混線していたぞ。強引なことをした影響か、お前自身が成長したことで、高まったテリトリーによるものかは知らんがな』
「それじゃあ、折紙さん達にも?」
「確かに聞こえた。美紀恵、今のが例のサポートAI?」
「はい、そうです。今までずっと助けてくれていたんです」
「ま、待って!!」
美紀恵に言葉にセシルが待ったをかける。その顔は、これ以上ない程に驚いているといった様子で。それは他の2人も同様であった。
「アシュクロフトにそのような機能はない筈よ、あなたのチェシャー・キャットも例外なく!!」
「え、えぇっ!?!?」
「それに、何より。この声は、アルテミシアの声…!!」
その言葉に、チェシャー・キャット内で会合した際のアルテミシアの声が思い起こされ。それがベルの声と重なる。
「じゃ、じゃあ。ベルがアルテミシアさん?アルテミシアさんは始めから私のことを助けてくれていて…」
『お前のユニットに、あいつの記憶と人格データが納められていてということだろう。最も、それが独自に動くなど犯人共も想定外だろうがな。…それこそが『人』の意志の力、か』
どこか感慨深そうに話すヴォルフ。その様子は何かを思い出しているようでもあった。
「――まあ、こんなものか。粗雑品にしては持った方か」
動かなくなったミネルヴァを、須郷はモニター越しに見ながら。大した期待もしていなかったと言いたげな目を向けていた。
「調整することもなく突貫での処置でしたからね。ですがデータは十分に得られたかと」
「素体の質は良かったからな。元々脳機能が発達しているウィザードは、常人よりも負担への耐性が強いということか」
採取したデータに目を通しながら、ご満悦な様子の須郷。
急に舞い込んできた仕事であったが。研究の成果を試すことができ、生じた責任は全て依頼者であるエドガーへ押し付けることができるので、須郷にとっては旨味しかないのである。
「さてと。では、
喜々とした様子で、もう一仕事だと指示を出す須郷。
エドガーから与えられた依頼は、ミネルヴァの強化だけでなく。万が一彼女が敗北し、アシュクロフトの回収が不可能になった際に、エドガーが行った悪事の露見を防ぐための細工をジャバウォックへ施すことであったのだ。
「アルテミシア…。本当にアルテミシア、なのか?」
『うん、そうだよアシュリー。…セシル、レオも。ごめんなさい、私なんかのために辛い思いをさせて…』
「そんなこと、そんなことはないわ。精霊に目も足も奪われて、復讐に生きるしかなかった私を救ってくれたのはあなたよアルテミシア。だから、そんなこと言わないで…」
「そうだ!あたしら皆がお前に救われたんだ!だから、助けるのは当たり前ぇだろーが!」
「うん…!うん…!」
『ありがとう。本当にありがとう。どれだけ裏切られてボロボロになっても頑張ってくれて。そして、美紀恵ちゃんのことを信じてくれて。皆のこと、大好きだよ…!!』
「わ、私達も、あなたのことが大好きよッ!!」
アルテミシアの声に、セシルら3人は堪えきれず涙を流す。聞きたいと願っていた声が、感じたかった存在が、今確かに傍にいるのだから。
『――ッ!?これは…!?』
「アルテミシア?どうしたの!?」
アルテミシアの声が困惑したものに変わり、ノイズが混ざるようになる。異変に気付いたセシルが声をかけると。それをかき消すようにミネルヴァの絶叫が響き渡る。
「ミネルヴァ!?まだ動けるのかよ!?」
「待って、何か様子がおかしい」
突然の事態に、身構えるアシュリーに折紙が警告する。
よく見れば。ジャバウォックから鱗状の物体が滲み出ており。それが、まるで装着者を蝕むかのように徐々に拡がっているのであった。
『ジャバウォック、からの強制リンク…!?これは…プログラムが、書き換えられていく…!?』
『これは、まさか『マシンセル』か!?』
苦悶の声を漏らすアルテミシアに、何か知っているのか、目に見えて取り乱すヴォルフ。
そうしている間にも、ミネルヴァを覆う鱗状の物体は、増殖するように体積を増やしており。遂にはミネルヴァを完全に包み込んでしまう。
「わわっ!?アシュクロフトが勝手に!?!?!?」
アリス、ユニコーン、レオのデバイスが美紀恵の手から引き寄せられるように離れると、吸い寄せられるようにミネルヴァへと向かっていき。尚も膨れ上がっている鱗状の物体へ飲み込まれてしまったではないか。
「ミネルヴァっ。今度は何を――!?」
『違う…。これは、彼女の意志とは無関係の…。もっと…悪意のある者の…』
「アルテミシアさん!?だ、大丈夫ですか!?」
『…ごめんなさい、美紀恵ちゃん。私、もう駄目…!』
ミネルヴァの変異が進むにつれ、遠のいていくアルテミシアの声。そして、振り絞るような声で――
『――このままじゃ私…。ヴォルフ、お願い…。私、を殺――し――て――』
『アーシャ!!』
その言葉を最後に、アルテミシアの声は聞こえなくなり。同時に、ミネルヴァの姿はビルに匹敵するであろう巨大な――チェシャー・キャット以外のアシュクロフトの面影こそ見えるが、最早怪物としか形容しようがないモノへと、変わり果ててしまっていたのであった。
信じがたい光景に、アシュリー震える唇で掠れた声を漏らした。
「何だよ…。何なんだよこれはッッッ!!」
『――――!!!』
怪物は獣のような雄叫びを上げると。自身を含む周囲一帯を、テリトリーをで覆っていく。
「これは、アリスの結界!?」
『ッ!!全員散れぇぇぇえええ!!!』
怪物の各所に備え付けられたレーザーキャノンの砲口から、エネルギーが漏れ出すのを見たヴォルフが咄嗟に叫んだ。
『――――!!!』
無駄だと言うかのように怪物が叫ぶと。キャノンから放たれた無数のレーザーが、テリトリーにぶつかり。日光が鏡で反射されるかのように拡散し、一同へと降りかかるのであった。