何度も何度も試行錯誤した。何度も何度も書き直した。
でも、結局は自分が直感でイメージできた文を書けたらそれでよかったんだ。私が第1話を書いた時を思い出すんだッ!
気づくのに時間がかかり過ぎた……。
本当に、本当に、なんて遠い廻り道…。
ありがとう…読者の皆さん。待っていてくれて…ありがとう……。
それしか言う言葉が見つからない。
北方ちゃんと離島ちゃんの場合
ペタペタと裸足で歩く音が廊下に木霊していく。
音が不規則なのはスキップをしているから。一瞬だけ浮く体の浮遊感を楽しみつつ、次の足を床につける。
最近、凄く体の調子がいい。
あれから何度も夢の中で金剛が使っていた体術を教わり、朝目覚めてその復習を繰り返すのが日課になりつつあるけれど、それから体が軽くなった様に感じる日が多くなった。どことなく頭も冴え渡っているし、今なら難しい問題すら解けるんじゃないかと思う日も少なくない。
本来なら不自然に感じる筈なのに、こんなにも安心できるのはどうしてなんだろう。
やはり、金剛と同じ技を使えるのが嬉しいからなのだろうか。それとも、金剛との繋がりをより一層感じるから……。
「……エイッ、トウッ!!」
少し嬉しくなって夢で教わった型をなぞる様に体を動かしてみる。
しかし、小さな体ではバランスが取りにくいうえにどうしても手足の長さがイメージと一致しないので余計な力が入ったり、勢いに振り回されて転んでしまうなど、どうしても上手くいかないのだ。
「ハヤク大キクナラナクチャ……」
私の現在の目標は金剛くらいまで背を伸ばすこと。
背が伸びれば体術も使いやすいし、金剛の事をもっといっぱい助けてあげられる。そして、いっぱい頭を撫でてもらうのだ。
想像したらなんだが嬉しくなってきた。つい頬も緩んでしまう。
「……エヘ、エヘへ」
「……サッキカラ何ヲシテイルノカシラ?」
背後からの声に一瞬だけ驚いたものの、暗闇から現れた姿を確認した瞬間に緊張は一気に吹き飛んだ。
「オハヨウ、離島チャン」
「エエ、オハヨウ北方。マタ良イ夢デモ見レタノカシラ?」
「ウン!!」
彼女は離島棲鬼。まだ力を制御できなかった私が殺してしまった三人の艦娘から作られた深海棲艦だ。
どうやら記憶の大半は残っているみたいで、最初は酷く怯えられたし警戒されていた。でも最近は慣れてきたのか普通に会話できるくらいには仲良くなれたと思う。
「朝食ガデキタワ、食堂ニ行クワヨ」
「ウン、ワカッタ。燃料ハ?」
「イチゴ味ヨ」
「ヤッター!!」
彼女はこの海底基地の家事全般を担当している。艦娘だった頃の名残なのか何も言わなくても掃除や資材のチェックを行い、部下の深海棲艦達に的確な指示を出している。
ただ、この基地は鎮守府とは違って海底にあるので窓も無いし出撃する時は一度潜らなければならない。それにまだ慣れていないのか彼女は自分から進んで外に出ようとはしない。金剛と同じ様に水に潜るという行為がどうしても怖いらしいのだ。
そこで私は部下のイ級達に命令して地上への直通回路を作ることにした。幸い近くに無人島があるので海底から通路を伸ばし、島の中心辺りに出るように通路を建設。早速離島棲鬼に報告したのだが……
「私ハ深海棲艦ニナッタノヨ……艦娘ニ会ッタラ狙ワレルジャナイ」
と言い出して一度もこの通路は使っていない。
彼女は艦娘から深海棲艦になった稀有な存在だ。元仲間である艦娘と戦うのを避けたがる気持ちはわかる。私も金剛を助ける為に仲間の深海棲艦の前に立ちはだかったことがあった。幸い戦闘にはならなかったものの、もし戦うことになっていたなら……私は仲間を沈めていたかもしれないのだ。覚悟を決めたとはいえ、仲間を沈めるのは心にくるものがある。
「……ウーン、ナンダカ変ダナァ」
「……北方、ドウカシタ?」
「……イヤ、別ニ」
朝食を食べながらこれまでの事を振り返っていると、どうにも違和感が頭をよぎる。
そう、私の思考はこんなに冴え渡っていただろうか。
これまでは霧が掛かったようなぼんやりとした思考しかできず、子供の様な振る舞いが多かったが、最近は考え事ばかりで離島棲鬼にも心配される程に頭が回るのだから不思議だ。まるでこれが本来の私であるかの様な……そう、本来の姿じゃ無い様な。
「……マァ、イイカ!!」
難しく考えても仕方が無いし、悪い気もしないのだからこのままでもきっと大丈夫だろう。
あぁ、また早く金剛に会いたいなぁ……。
◇◇◇
「……ッ」
「あ、あの……はじめまして?」
私は今日ほど自分の無表情に感謝した事はないだろう。今目の前にいる少女は戸惑いながらもしっかりと私に挨拶をしてくれだが、表情筋が死んでいなかったらきっと引き攣った顔になっていたに違いない。何故なら……
「いやぁ……まさかまた嵐に巻き込まれるなんて思わなくって」
えへへ、と頬を赤らめながら笑う少女は首に下げている双眼鏡で顔を隠しつつこちらを見上げてくる。
そう、目の前にいるのは元私の仲間であり、今の私……離島棲鬼の敵である艦娘、雪風だった。
この様な事態になったのは今から数分前。
何時もの様に掃除をしていた私は鍵のかかった一つの扉の前にたどり着いた。外に出たがらない私の為に北方が作った海底通路だ。これは隣の無人島まで続いており、島の中を通じて地上に繋がっている。
しかし、私は外に出たくないのでこの通路は使われる事なく閉鎖されている。されている筈ーーーなのだが……
「……ナニカ聞コエタ?」
通り過ぎようとして扉越しに聞こえた小さな音に足を止める。
通路を歩いてくる靴の音と啜り泣く声が聞こえたかと思うと、徐々にそれが大きくなってくる。まさか幽霊では、なんて考えて自分も似たようなものかとそんな考えを振り払う。
どうやら何者かは扉の裏側まで到達したのだろう。ノブがガチャガチャと数回動くが、当然鍵が掛かっているので開かない。そのうち諦めたのかノブが動かなくなり啜り泣きが聞こえ始めた。どうやら座り込んで泣き出してしまったらしい。
流石に放っておくのもどうかと思ったので鍵を開けると、扉を開く。
「……ふぇ?」
「……ッ」
「あ、あの……はじめまして?」
こうして先程の展開に戻るわけだが、まさか艦娘が……しかも自分がいた鎮守府の仲間だなんて。
考えた末に、私は知らん振りをする事にした。今の私は深海棲艦。艦娘とは相容れない存在なのだから。
「……ツイテキテ」
「え……あ、はい!!」
とりあえず北方の意見を聞くべきだろうと考えた私は、彼女に声をかけると案内する為に通路を歩く。
雪風は戸惑うどころか素直に私の後をついてくる。無用心過ぎないかとも思ったが、どうやら彼女は度々北方に会っているらしく、あの通路や私の話も北方に聞いたらしい。
そこから更に数分後、私は頭を抱えたい気持ちだった。食堂に案内してから北方に全て丸投げにしようと考えていたのだが、生憎と北方は外に遊びに行ったらしい。
つまり、雪風の面倒を見る事ができる存在が私しかいない。
他の深海棲艦達に任せたら本能で襲い掛かる可能性があるので雪風が危ないし、私が相手をするしかないだろう。
せめて、北方が早く帰ってくれる事を祈ろう。
「あ、北方ちゃんお出かけなんですか?」
「……エエ、ソノヨウネ」
可愛らしく笑顔を見せる雪風から視線をそらしつつ、私はどうしようかと頭を働かせていた。正直に言うと、私は艦娘に……いや、雪風に会いたくなかった。
私の中にいる三人の艦娘。霰、叢雲、そして天津風。この雪風と私の中にいる天津風は同じ日に鎮守府に配属された同期であり、親友なのだ。
当然、混ざり物である私の記憶には天津風の記憶もある。この雪風がどんな娘で、どんな食べ物が好きなのかとか、実は寝相が悪くて隣で寝ていた私の布団によく潜り込んでいたとか。
本当に、一人にしておけないくらいに心配になる娘なんだからーーー。
「あ、あの……?」
「……ッ、何カシラ」
一瞬だけ脳裏に浮かんだ感覚を振り払う。
きっと私の中の天津風が無意識に強く表層に出てきたのだろう。本当は全てを打ち明けてしまいたい。でも、それで拒絶されたらどうする?
もう、私は艦娘ではない。深海棲艦という人類の敵。倒される運命にある存在。
きっと雪風は私を受け入れるだろう。私が例え何者になったとしても、私の為に泣いて泣いて、そして最後は変わらない笑顔で笑うだろう。流した涙を、その首に下げている双眼鏡に溜め込んで。
「いや、そのぉ……何だか寂しそうに見えて」
「……ソウ」
心配そうに見つめてくる雪風から視線を逸らしながら、私は無表情を装う。天津風はもう沈んだ……それでいい。
それから暫く北方棲姫が帰ってくるまで待ってみたが、一向に帰ってこない。資材庫を確認してみたらそれなりの資材が無くなっているので今日は帰らない可能性もある。早目に雪風を鎮守府に帰してやりたいが、このまま一人で彼女を帰すのは他の深海棲艦に襲われる可能性があるし……。
「えっと、ありがとう!!」
「……仕方ナイ」
雪風の安全を考えて一晩だけ彼女をこの基地に泊めることにした。いくら深海棲艦になったとはいえ、元仲間を危険な海に放り出すほど私は外道ではない。
念のために雪風を入渠させてから空いている部屋に案内する。最低限の家具は置いてあるし、明日北方棲姫が帰ってきてから送らせよう。そう考えながら自分の部屋に戻ろうと部屋を後にした。
そんな私の後ろ姿を雪風が見つめているとは知らずに。
深夜、ふと目を覚ました。
雪風に会ってからどうも落ち着かない。艦娘だった頃の記憶が次々と浮かんできてしまうからだ。
溜息を吐きながら部屋を出ると、食堂に向かう。冷たい水でも飲んでスッキリしよう。もやもやする気持ちを抱えたまま、私は真っ暗な通路を歩き出した。
私の部屋と食堂の間には誰も使っていない部屋がいくつか存在する。姫級や鬼級の深海棲艦は私と北方棲姫だけだし、他の深海棲艦達は海底に沈むような形で眠っているので夜は自然と人影はなくなり、非常に不気味だ。最初は私も怖かった。しかし、慣れとは恐ろしいもので今となってはこの静寂が心地良く感じることすらある。
小部屋が並ぶ通路を抜ければ食堂は目の前だ。迷わずドアを開けて厨房に向かうと、コップに水を汲んで一気に飲み干した。深海の水を利用した飲料水は氷が入っていなくてもかなり冷たい。もやもやした気分と同時に眠気まで吹き飛んでしまった。
「……フゥ」
ゆっくりと息を吐いてからコップを流しに置き、厨房から出る。
目が覚めてしまったのでこのまま部屋に帰って読書でもしようかと考えていると、食堂の扉が開いた。私がいる内側からではなく、外側から開けられた扉。そこから恐る恐る覗き込んできたのは……。
「……何ヲシテイルノカシラ?」
「……ぐす…あぅ」
何故か涙目で私を見上げる雪風の姿だった。
泣いている雪風を椅子に座らせて話を聞いてみると、慣れない部屋で落ち着かなくて眠れなかったので私の部屋に行こうとしたのだが、丁度私が部屋から出たのを見て追いかけてきたらしい。
しかし、通路を進むうちに私の姿を見失い、散々迷った挙句に漸く見たことがある食堂の扉を見つけ、中に逃げ込んできたらしい。
食堂に入ってきた時に泣いていたのは暗い通路を歩き回ったせいであるのはわかったが、そもそも何故雪風は私の部屋に行こうとしたのだろう。部屋に来たところで私が寝ていたら何も意味がないと思うのだが……。
「……えっと、誰かと一緒なら寂しくないかな……って」
「……」
まぁ、本来は敵である深海棲艦の基地で不安になるなと言う方が無理なものだろうけど。私が食堂にいる間に辿り着けたのは運が良かった。流石は幸運艦と呼ばれるだけのことはある。
「……寂シイノハイヤ?」
気がつけばそんな言葉が口から出ていた。
何故そんな事を口にしたのかはわからない。言った自分が驚いているくらいだ。
雪風は少し驚いた後、暗い顔で頷いた。
「……雪風には着任した時から天津風っていう親友がいたんです」
「……ッ」
雪風の口から自分を構成する一人の名前が出たことに思わず息を呑む。俯いているためかそんな私の様子に気付かずに雪風は話を続けた。
「天津風は慣れない鎮守府で苦労する雪風を励ましてくれました。ずっと雪風の前に立って引っ張ってくれて……でもーーー」
その先を雪風は口にしなかった。でも、その先は口にしなくてもわかっている。私という存在がその結果だからだ。
俯く雪風に私は声を掛けてやることもできずにただ視線を逸らすことしかできない。静かな部屋に僅かに二人の呼吸音が聞こえるだけの時間が過ぎ、だんだんと気まずい雰囲気になってくる。
だが、やがてそんな気分を吹き飛ばす様に雪風が徐ろに立ち上がった。拳を握りしめ、俯いていた顔を上げる。
「だ、ダメです!!……ずっと落ち込んでたらまた天津風におこられちゃう!!」
僅かに潤んだ瞳から溢れそうになる涙を必死に堪えながら雪風はそう言った。
彼女は自分の苦しみから目を逸らさずに前を向いている。私とはまるで正反対。それが、とても眩しく見えて……。
私は、気がつけば雪風の手を引いて食堂を出ていた。
そのまま自分の部屋とは反対の通路へと進む。手を引かれている雪風が驚いた顔をしているのが見えたけど、構うものか。この子は私が引っ張ってあげなきゃいつだって迷子になってしまうんだから。
通路を進み、一つの扉の前で立ち止まる。
「……あれ、ここってーーー」
雪風が驚くのを横目に扉の鍵を開ける。
そう、ここは雪風に再会した場所。外に繋がる海底通路だ。再び彼女の手を引いて先に進む。雪風は黙って私にされるがままに引っ張られていた。
そうしていると思い出す。以前は鎮守府に着任したばかりでガチガチに緊張していた雪風の気分を解そうと、色々な場所へと引っ張って行ったものだ。だが、特に記憶に深く刻まれているのはとある夜の事だった。
雪風はかつて訓練で失敗した事で自信を失い、ずっと落ち込んでいた時期があった。そんな雪風を励まそうと、私は彼女を夜の浜辺に連れ出した。そう、今の私みたいに。
通路の終わりが見え、階段を上り、草で厳重にカモフラージュされたドアを開ければ……そこは海底遺跡から近い場所にある無人島。その浜辺に雪風を連れて行く。
あの日の夜みたいに……砂浜に彼女を座らせて夜空を見上げた。
雲ひとつない満天の星空が私達の視界に飛び込んでくる。それは小さな星だったり、明るく輝く星だったり、今にも消えてしまいそうな星だってある。もう夜明けが近いはずなのに、全てが美しい輝きを放っていた。
そう、不思議とこの宙を見上げている間、私は嫌な事を全て忘れる事ができた。それは、こんなに変わり果ててしまった今でも変わらない。
「……綺麗」
「……ソウネ」
雪風の隣に座り、暫くずっと星を眺めた。
不意に雪風の方から小さな嗚咽が漏れ始めた。私はそっと彼女の肩を抱くと、もう片方の手で彼女の頭を撫でた。……あの時みたいに。
「……ぅ、ぅあ…あまつ、かぜぇ……どうして…どうしてぇ……雪風を、置いて……ぅぁぁああああああああ!!」
堪えきれなくなった雪風がついに涙を流しながら大声で泣き出した。
その彼女の頭を包み込む様にそっと正面から抱きしめる。泣きたい時は泣けばいい。この夜が明けたら、あんたはきっと立ち上がれるはずだから。だから、今は「あたし」に頼りなさい。明日からはもう「あたし」はあんたの側にはいられないけど、これからは「私」があなたを見守るから。
不意に風向きが変わった。
正面から吹く力強い風。新しい夜明けにぴったりじゃない。
『「……いい風ね」』
この風と暁の水平線に登る太陽の光が、これから先の未来へと繋がりますように……。
そんな思いを込めながら、私は雪風が泣き止むまで静かに水平線を眺めていた。