また、今回は以前に酷い目にあった艦娘の末路の表現が少しだけあります。彼女のことが好きな方々、ごめんなさい。
泣き止んだ北方棲姫が真っ先に行ったのはコンゴウの入渠準備であった。手足の枷を外し、高速修復材のバケツを渡した後、彼女を入渠施設へと案内する。
大破したコンゴウが完全に回復するには高速修復材を使用したとしても多少時間がかかってしまう。ゲームの様にほんの数秒で治るなんてことはないのだ。
コンゴウが入渠している間、北方棲姫はとある部屋へとやってきていた。
高く乱雑に積まれた資材の山が視界に入り、徐に見上げてみる。普段ならそこにもう一人の姫が不快な笑みを浮かべながらこちらを見下ろしてくるのだが今は誰もいない。薄暗い部屋の雰囲気もあって寂しい空間となっていた。
彼女は資材の山から視線を外し、その隣の部屋へと向かう。そこは先程の部屋よりも更に暗い部屋だった。ドアを開けた瞬間から油と腐臭が鼻をつく。
少しばかり顔を顰めながらも艤装の一部である探照灯を灯せば部屋の中が薄っすらと浮かび上がって見えてくる。
目を見開いたまま動かないイ級、下半身がないチ級、顔が吹き飛んだル級、元が何なのかもわからない程にぐちゃぐちゃになった肉塊……。そこは―――死体置き場だった。
戦いに敗れた彼女達はある程度回収され、新しい深海棲艦の餌や建造の資材として使われる。しかし、最低限の施設しかないこの場所では倉庫の様な立派な保管庫など存在しない。
ならばどうするか……その答えがこの部屋だった。必要になるその時まで、彼女達は狭い部屋に押し込まれ、ただ放置された。既に光を失った瞳がこちらを見つめる様な錯覚に、北方棲姫は一瞬だけ入るのを躊躇った。
しかし、彼女は意を決して足を踏み入れた。床に広がった重油と体液が混ざった液体ががぴちゃぴちゃと跳ね、足の裏に何とも言えない悍ましい感触が走るが、それをあえて無視しながら目的の存在を探し出す。
それは死体の山の中ほどに無造作に放り投げられていた。
その幼い少女の体はあちこちが不自然に折れ曲がり、大破していたのか服はボロボロで、涙の跡が残るその顔に生気はない。開いたままの瞳は濁りきり、既にその少女の命が失われているのがわかる。
そう、彼女はかつて飛行場姫が捕らえ、拷問した挙句にまだ力を上手く使えなかった北方棲姫によって無残な最期を遂げた駆逐艦の艦娘……霰である。
その近くにも二人の艦娘が投げ捨てられているが、霰以上に破損が酷く、もう誰なのかわからない。
北方棲姫は霰の体を優しく抱き上げた。少し前までは握り潰してしまったその体を丁寧に部屋の外に運び出す。三人とも運び出し、近くにいたホ級に工廠へと運ぶように指示を出した。
暗い通路の先に運ばれていく三人に、北方棲姫は静かに頭を下げた。
「……ゴメンナサイ」
その呟きは誰に聞かれることもなく、暗闇に消えていった。
◇◇◇
入渠を終えた私は北方ちゃんから弾薬の補充を受け、まさに今からこの基地を出発しようというところだった。しかし、そこで困った事態になっている。
北方ちゃんが送って行くと言ってきかないのだ。
正直に言えば彼女が途中までとはいえ付いてきてくれるのはありがたい。私一人で敵陣を突破するとなると恐らく無傷ではいられないだろう。
だが、それは同時に彼女が敵である私に手を貸している姿を見られることになり、裏切り者として彼女の立場が危うくなる可能性があるということだ。それは彼女を危険に晒すことに他ならず、到底頷ける内容ではなかった。
「北方ちゃん、私は平気だから……」
「ダメ、コンゴウガ怪我スルカモシレナイ」
「でも、北方ちゃんに何かあったら……」
「コンゴウハ心配シスギ」
「うぅ……」
出口まで案内すると言って私の袖を掴んだまま隣を歩く北方ちゃん。一見すると無表情なのに何故か呆れた様な視線を感じるのは私の気のせいだと思いたい。
こんな小さな子に呆れられるなんてちょっと情けないかなぁ。でもそれは間違いなく本当の気持ちなんだから仕方ない。
そう考えていたら隣の北方ちゃんが立ち止まる。私がうんうんと悩んでいる間にどうやら出口に到着していたらしい。……って、ちょっと待った。
「北方ちゃん……出入口って、これ?」
「ソウダヨ」
目の前にあるのは鎮守府にもある出撃ドック。しかし、海原へと続くゲートは無く、道は暗い海底へと一直線に続いていた。
「ココハ海底ニアルカラ、ドウシテモ潜ッテ海面マデイカナイトイケナイ」
「あ、そうなんだ……」
「……コンゴウハ、泳グノトクイ?」
そう言われてふと思ったが、艦娘になってから泳いだ経験がない。潜水艦ではない私は海の上に立つことはあれど潜ったことはなかった。人間だった頃はそれなりに泳げたけど……。というか、艦娘って水に沈んでも大丈夫なのだろうか。
「泳ぐだけなら大丈夫、だと思う……」
意を決してドックを降りて海水に足をつける。氷水の様に冷たい水温に思わず身震いしてしまうが、構わず一歩ずつ進んでいく。冷たいという感覚以外は今は特に何も感じない。
だが、腰から上まで浸かった瞬間、私の中に何とも言えない不快感を感じた。
これ以上は駄目だ、進むな、寒い、冷たい、暗い、水が入って、やだ、沈む、沈む、しずむ、しずむ、しずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむしずむ……
「……ッ、コンゴウ!!」
「……ッ!?」
腕を掴まれる感覚で我に返った。
振り返れば私の左腕を掴んで心配そうな顔をした北方ちゃんの姿。その姿に少しずつ激しかった鼓動が落ち着いてくる。
「顔色ワルイ、ダイジョウブ……?」
「うん、大丈夫……ただ、潜るのはちょっと怖いかな。どうにも本能的に受け付けないみたいだ」
暗い水底を見下ろしながらそう言うと、不意に北方ちゃんが私を追い越して先に水の中に沈んでいく。暫くすると顔だけを出して手招きをしてきた。
「……大丈夫、コワイノ、イナイ」
「…………ぷっ、あはははは!!」
その少しだけ的外れな姿に先程までの恐怖が一瞬で吹き飛んだ。首を傾げる北方ちゃんの頭を何でもないと言いつつ撫でて、再び水面下へと体を沈めていく。
なんだか私、この子に助けてもらってばかりだ。やっぱり、不思議な子だよ、君は……。
「先ニ潜ッテアンナイスル」
「うん、お願いね」
水中用ライトを点けつつ、先に潜った北方ちゃんを追いかける形で私も潜る。先程と同じく不快感がやってくるが、先に進む北方ちゃんの後ろ姿を見ていると自然と恐怖は感じなくなっていった。
少しだけ複雑な通路を抜けると、水面から太陽の光が辺りを照らしていた。どうやら外に出られたらしい。
明るい水面を目指し、私達は浮上していった。
◇◇◇
「……全員、無事か?」
天龍の確認の声に全員が頷いた。
飛行場姫と彼女が率いる深海棲艦との戦いは激しかった。倒しても倒しても新たな敵が現れ、その度に岩川艦隊のメンバーはその全てを返り討ちにしていた。だが、艦娘達も無事ではない。常に前線で戦っていた霧島と扶桑、大井、北上、天龍、那珂、神通はほぼ大破に近い状態であり、練度が高い榛名や比叡でも中破している。無事なのは後方にいた空母二人と、それを護衛する駆逐艦達だ。
そして、周りに飛行場姫以外の敵影はない。他の深海棲艦は全て撃沈したようだ。
「……さぁて、残るはテメェだけだ。覚悟しやがれ!!」
「…………クク」
ボロボロになりながらも愛刀を飛行場姫に突きつけて天龍が叫ぶ。だが、無傷の飛行場姫はそんな天龍を見返しながら笑うだけだった。
「……テメェ、なに笑ってやがる。残ってるのはお前だけだぞ、まさか逃げられるなんて考えてねぇだろうな?」
「……ニゲル?何故ニゲル必要ガアルノカシラ?」
「何だと、どういう…………ッ!?」
余裕を崩さない飛行場姫を天龍が問い詰めようとした瞬間、幾つもの艦載機が空から襲い掛かってきた。
しかもその数は先程の戦闘よりも多い。すぐさま赤城と加賀が艦載機を発艦させるが、艦載機同士が戦い始めた途端に二人の顔が険しくなる。
「この艦載機、強いッ……!!」
「残っている全ての烈風を動員しても互角……いえ、押されているわ……!!」
赤城の表情がますます険しくなり、加賀が珍しく焦ったように駆逐艦達の方を振り返った。
「全員、対空砲で援護して!!」
「は、はい、了解なのです!!」
「みんな、いくわよ!!」
赤城と加賀を中心に輪形陣を作ると、すぐさま対空砲による援護が始まった。それでも戦況は互角、いつ制空権が取られてもおかしくない状態である。
「ちっ、増援がいやがったのか!?」
「これだけの艦載機が来るなんて、一体何体のヲ級が……?」
「……ッ、レーダーに反応あり。敵影捕捉しました!!」
時折混ざっている艦爆からの爆撃を避けながら損傷が少ない榛名が敵の姿を捉えた。だが、同時にそこから発射された別の反応も捉える。水面を移動する素早い影は一直線にこちらに向かってくる。
「皆注意して、魚雷です!!」
「魚雷ですって!?」
「空母だけじゃないの!?」
慌てて回避した神通と那珂が叫び、全員が回避行動に移る。
そして、ついに飛行場姫が動き出した。
彼女も艦載機と対空砲を撃ち始め、こちらが少しずつ押されて始める。
「くっ……このままじゃジリ貧だ。何とかして制空権だけでも取られないように……」
「ぁ……あ、そん、な……」
「榛名、どうしたの!?」
天龍が悪態をついていると、レーダーを確認していた榛名が顔を蒼白にしながら焦り出し、比叡がその様子に只事ではないと声をかける。
「この、反応は……まさか……」
榛名の呟きに答えるように飛行場姫の隣の海面が爆ぜた。どうやら海中から何かが登ってきたらしい。
それは小柄な少女の姿をした存在だった。黒いレインコートを羽織り、背中にはリュックを背負っている。可愛らしい見た目とは裏腹に腰からは太い尻尾が生えており、先端には敵の駆逐艦らしき異形の頭が付いている。
「おい……なんてこった……」
「状況は最悪……ですね」
「何で、あいつが此処に……!!」
敵の援軍はたったの1隻。しかし、その深海棲艦は1隻でも脅威といえる性能を持っている。それはその場にいる全員を見回し、口元に笑顔を浮かべた。無邪気な様な、嘲笑うかの様な―――
―――どちらにも見える笑みを浮かべながら、戦艦レ級はゆっくりと敬礼をした。