勝手な思い込みですが、霧島さんって、しっかり者だけど実は姉妹の中では一番甘えん坊じゃないかと思ってます。
今日も私はいつもの時間に目を覚ました。
固まった筋肉を伸ばすために背伸びをして目を擦る。隣のベッドを見ると姉妹艦である霧島が静かな寝息を立てていた。
霧島は姉妹艦ということもあって私と同じ部屋で生活している。しっかり者である霧島は細かい気遣いがあり、部屋の掃除も今は彼女が進んで行っている。私が仕事をしていると紅茶も淹れてくれてとても助かるし、書類を七海に持って行ってくれるしで大助かりだ。
しかし、そんな霧島にも弱点がある。朝が非常に弱いのである。起きてから一時間は頭が働かないらしく、歩く時も半目のままフラフラとしている。そのため朝食に連れて行く時は常に手を握っていないと壁や柱に頭をぶつけてしまう。
「霧島、朝だよ」
「……ぅん」
肩を揺らして起こそうとするけど身動ぎするだけでなかなか起きない。それでも何度か揺らしていると十分程で漸く体を起こした。だが、やはり半目でフラフラと足取りが覚束ない。
「ほら、顔を洗っておいでよ」
「ふぁ……はい、わかりましたぁ姉様」
洗面台のある部屋に消えていく霧島を見送り、ふと机の上にある霧島の眼鏡に目がとまる。
実は霧島はあまり視力が悪いわけではない。この眼鏡も伊達眼鏡のようなものだ。彼女のお気に入りはライトグリーンの眼鏡だが、他にも様々な形の眼鏡を持っていてその日の気分で変わる。今日の眼鏡はシンプルな黒の長方形のフレームだ。
ちょっとした興味からかけてみると、丁度いいタイミングで霧島が部屋に帰ってきた。
「うぅ……やっぱり朝はどうしても……ハッ!?」
「あ、おかえり霧島。……どうかした?」
「い、いえ……別に、何でもありません。あの、その眼鏡……」
「あ、そうだった。ちょっと着けてみたくなって……はい、返すね」
「あ、ありがとうございます。……もう少しそのままでもよかったのに」
何故か顔が赤くなった霧島へと眼鏡を返した。最後の呟きがよく聞こえなかったけど、どうやら目も覚めたみたいだし、食堂へと向かうとしよう。
「霧島、朝食を食べに行こう?」
「いっそ姉様用の眼鏡を……あ、はい、わかりました!」
笑顔で返事をした霧島と並んで食堂へと向かう。いつもは彼女が転んだりしないように手を握るのだが、今日は完全に目が覚めているからか腕に抱きついてきた。
「ちょっ……霧島?」
「ふふふ、比叡姉様と榛名姉様が来るまでは私が金剛姉様を独占です。……さぁ、行きましょう!」
「……う、うん」
何だか今日の霧島はテンションが高い。いつもは頭脳派でしっかり者なイメージだから新鮮な感じがする。まぁ、これもまだ私が知らない霧島の一面なのだろう。そう思うとこの妹が今まで以上に可愛らしく思えてくる。
緩む口元を霧島に見られないようにしつつ、私達は食堂への廊下を歩くのだった。
◇◇◇
朝食を食べてから私と霧島は執務室で書類仕事をしていた。霧島は事務処理能力も高かったので、秘書艦として私と電と同じく日替わり秘書艦の仲間入りをすることになったのだ。ちなみに、私よりも処理能力は高い。
時折眼鏡の位置を直しながら書類を整理していく霧島の姿はとても似合っている。
「ふう、これで今のところは全部かな……」
「姉様もお疲れ様です。一休みしましょう。今、紅茶を準備しますね」
「ありがとう、霧島」
そのまま休憩に入り霧島の淹れた美味しい紅茶に満足しつつ、時間を確認するとお昼を少し過ぎたあたりだった。昼食を食べに食堂へ向かい、二人で間宮さんの料理に笑顔になると三十分程お腹を休めてから食器を片付ける。
さて、それからは基本的に自由な時間なのだが、私は今艤装を展開して鎮守府正面の演習場にいた。
私と同じく出撃がない霧島も興味があるのか隣で私の様子を眺めている。
「姉様、これから訓練でもなさるんですか?」
「訓練というより〝鍛錬〟かな」
今から私がやるのは接近戦の練習だ。
以前の戦闘でフラグシップ級のヲ級に接近戦が通用したので一応それなりの型を作っておいた方がいいと考えたのが始まりだったりする。
基本的に戦艦である私達は遠距離から攻撃するのが主流となる。当然、基礎が同じ深海棲艦も攻撃方法は同じだ。故に、私達も深海棲艦も基本的に接近戦という戦法を使わないし、そもそも接近戦自体できない者もいる。天龍のように近接武器を持っていたり、駆逐艦の中には至近距離から魚雷を叩き込んだりする者もいるが、大半は接近されると攻撃がやり辛くなるのである。だから、私はいざという時の為に接近戦の鍛錬を行うことにした。
さて、実は私は人間だった頃に剣道をしていた。
最初は天龍のように刀型の艤装を作ってもらおうかと考えたが、金剛型戦艦である私にはその装備が適応できないことが判明した。つまり近接武器は己の肉体のみとなる。
艤装を鈍器のようにして殴る方法も考えたが、私の艤装は腰にあるためそれで殴りかかると相手に背中を見せる体勢になってしまう。
やはり素手による格闘が理想だという結論に至ったのだが、ここで剣道の動きが役に立った。
経験者は何となく理解できるだろうけど、剣道は相手の動きを観察し、どのような時でも即座に相手に踏み込めるように摺足による足運びが重要になるのだが、小さい頃から剣道を続けていた私には自然とその足運びが身についていた。
そこに艦娘としての身体能力を組み合わせてみるととんでもない破壊力を生むことがわかった。一度、剣道の〝突き〟と同じ感覚で全力で踏み込みながら真っ直ぐ殴ったら訓練用のダミーに大穴が開いてしまい、驚愕した。
また、剣道で技を出す時は捨て身で飛び込むこともあるのだが、この動きが拳での格闘と相性が良いのである。
と、そんな感じで私は足場が不安定な水上でもその威力がいつでも出せるように鍛錬中だ。まだ上手く力を乗せられない事が多いが、有名な言葉に〝千の稽古を『鍛』とし、万の稽古を『錬』とする〟という言葉もあるし、こつこつと頑張るつもりである。
そんな時、見学していた霧島が近付くのが見えて一旦動きを止める。
「姉様、何故格闘の鍛錬をなさるんですか?」
どうやら純粋に戦艦の私が接近戦を行うことに疑問があるようだ。
そこでヲ級に接近戦が有効だったことを含めて私の考えを話してみる。すると、彼女は眼鏡の位置を直しながら「……ほう」と感心したように呟いた。
その後、暫く考え込んだかと思うと唐突に私に視線を向けながら、
「私も是非一緒に鍛錬したいのですが……」
と、言ってきたので二つ返事で了承したのだが、これが後々になってとんでもない事になるのは余談である。
◇◇◇
さて、夕方になって雨が降り出したため鍛錬は終了。汗をかいたのでシャワーを浴びに入渠用施設にやってきたのだが……何故か霧島が私と同じ部屋に入ってきた。しかも笑顔で。
この入渠用施設には四つの浴室があり、当然一人一部屋なのだが霧島は全くの迷いなく私と同じ部屋に入ってきたのだ。
「……あの、霧島?」
「はい、どうかしましたか?」
「いや、その……ここは私が使うんだけど?」
「はい、ですからご一緒します」
眼鏡の位置を直しながら和かに言ってのける我が妹に思わず頭を抱えたくなった。
ちゃんと隣の部屋を使えと言いたかったが、あまりにも期待のこもった眼差しで見つめられ、結局私が折れてしまった。甘やかしている自覚はあるが、生前に兄弟がいなかった私にとって初めての妹なのだ。あきらかにやり過ぎな行動をしているのに何故か微笑ましく思えてしまう。
「……ぅ、あー……今回だけだからね?」
「はい、全力でお背中をお流しいたしますね!」
「……う、うん」
ちなみに、裸を見たり見られたりはもう気にならない。最初は自分の裸にも羞恥心があったのだが、駆逐艦の子達と何度も一緒に入ったり、艦娘としての感性に馴染んできた頃にはいつの間にか気にならなくなっていた。
◇◇◇
夕飯の間宮さん特製カレーを二人で食べた後、明日の日程の確認を行うために執務室にいる七海の下へと向かう。
七海は大抵の時間は執務室にいるので探すのに苦労はしない。だが、七海も年頃の少女だ。もう少し買い物に行くとか、お洒落してみるとかしてもいい気がする。休日なのに制服姿で執務室にいた時は驚愕したものだ。
まぁ、その話はまた今度にするとして、霧島と二人で七海から聞いた明日の予定をそれぞれの部屋に伝えに行く。今は使われている部屋が少ないのでこうして直接伝えて回っているが、人数が増えればそのうち掲示板を使用する事になるだろう。
霧島と一緒に部屋に入って遊ぼうと言う駆逐艦達の誘いをやんわりと断りつつ、他の部屋も回って自分の部屋に戻ってきた。
この後は消灯時間まで自由時間なので雨音が聞こえる中で読書や艤装の点検を行う。本来はこの時間に入浴を済ませるのだが、夕食前に霧島と一緒に済ませてしまったので時間がいつもより余ってしまった。仕方がないので艤装の妖精さんを撫でながら新しい装備開発を考える。
最近はエリート級やフラグシップ級に遭遇する可能性が高くなったので今まで以上に索敵に力を入れなくてはならないから、加賀さんの積む艦載機の開発は勿論のこと、私や霧島が積める水上偵察機の改良も考えなくてはならない。
これはいっそのこと改良ではなく『零式水上観測機』の〝開発〟も視野に入れておくべきかもしれない。弾着観測射撃の制度の向上も見込めるし、さっそく明日工廠に申請に向かおう。
「……おや?」
「霧島、どうかした?」
ふと、テーブルを挟んだ向かい側に座っていた霧島がカーテンのしまった窓へと視線を向ける。
暫く首を傾げていたが、やがて何かを思い出したのか慌てて立ち上がった。
「しまった、ベッドのシーツを干したまま取り込んでいませんでした!!」
「……あ」
外は雨が降っていた筈なので間違いなく洗濯物はずぶ濡れになっているだろう。暫く無言で見つめ合った後、私達は二人して物干し場へと走り出したのだった。
まぁ、結局、洗濯物は全滅だったのは言うまでもない。
びしょ濡れの洗濯物を一通り絞ってから再び洗濯機に放り込み、私は予備のシーツを取り出したのだが、これが一人分しかなかったのだ。
消灯時間も過ぎてしまったし、無い物は仕方ないので一つのベッドに霧島と二人して寝ることになった。
「すみません姉様。私としたことがこんなミスを……」
「いやいや、ミスは誰にだってあるよ。だから気にしないで……ね?」
「……うぅ、はい」
電気を消すと月明かりもない部屋は真っ暗になる。雨音だけが聞こえてきて、どうしても〝彼女〟を失った日を思い出してしまう。暗い海と雷と雨。とても冷たくて、寒くて、凍えそうだった。
今でも、雨の日は寒くて仕方がない。体じゃなくて心が凍えそうになって……寒い。
いけない……暗い考えは止めよう。じゃないと後悔ばかりが浮かんでくるから。早く寝てしまおう。数日前まではなかった気配を隣に感じながら、私は目を閉じた。
ふと、そういえば寝る時に隣に誰かがいるのは初めてだと気がついた。生前も、今も、こうして同じベッドで寝る相手はいなかったのだ。私には親や兄弟がいなかったから……。
初めての感覚はどこか落ち着かなくて、でも安心できるような不思議な感覚だった。
少しだけ手を動かせば霧島の手に指先が触れる。それに気がついたのか、彼女は私の手をゆっくり握った。ほんのりと温かい体温に安心する。
「……霧島」
「なんですか、姉様?」
「……手、温かいね」
「姉様は少しだけ冷たいです」
「……そうなの?」
「そうですよ。それに……少しだけ、震えてます。寒いんですか?」
少しずつ意識が落ちていく中で握られた手の温度だけがはっきりと感じとれて、もっとその温度に縋りつきたくて、私は霧島の手を握り返した。
「……霧島、このまま……手を…握ってても……いい?」
「はい、姉様がそう望むのならば……」
「……ありが…とう」
そこまで言って、私の意識は夢の中へと沈んでいく。
それでも、右手に感じる温かさはずっと続いていて、きっと明日はいい気分で朝を迎えられると確信できた。心の中でもう一度彼女に礼を言う。
ありがとう、霧島。
あの日と同じ雨音が聞こえていても、私はもう、寒くない。
下手くそながらちょっと絵を描いてみました。やはり絵を描くのは難しいですな。