『101番目の哿物語』   作:トナカイさん

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第二話。消えない伝説

『______『千の夜話(アルフ・ライラ)』______今宵はここまでにいたします』

 

理亜がその言葉を告げたその瞬間、それまで(フェンス)にしがみついていた一之江が、ふらっとバランスを崩した。

 

「一之江⁉︎」

 

俺は正座状態から慌てて立ち上がり、(フェンス)の下に飛び込んだ。

 

「ぐっ」

 

一之江の体を支えようとしたが、いくら一之江の体は小さいとはいえ、女の子一人分の体重を受け止めきれず、俺は背中に強い衝撃を受けてしまう。

本当は受け止めた瞬間にお姫様抱っこをした方がいいのだろうが、まあ、それはまたの機会にとっておくとしよう。

それより今は……。

 

「今、夜話の続きを語っていれば、皆さんの中にある『ロア』は消滅していたのです」

 

目の前に降り立ったこの少女の相手をするのが先だ。

玄関で確認した靴と同じもので、靴下は几帳面に白いソックスを履き。そして、白くてスラッとした細い足を俺の眼前に晒している。このまま、上を見たらいつかの屋上の時のように絶対領域が見えてしまいそうだったので、俺は2秒ほどの葛藤の末視線をその足元に固定した。

そして、理亜が言った言葉の意味を考える。

 

「ロアが……消滅……?」

 

「はい、兄さん。ハーフロアであるその方なら、そのまま人間に戻ることも出来るかと」

 

ハーフロアを人間に……⁉︎

 

その言葉を聞いた瞬間、俺は思わず顔を上に上げてしまい。

その白い太ももが見えた辺りで、視線を逸らした。

や、ヤバイ。

これは……なっちまう‼︎

 

「あー! 今、マスターのぱんつ見ようとしたわよこいつ!」

 

「し、してない。それは誤解だ。俺は何も見てないよ。見えそうだったから慌てて視線を逸らしたからね!」

 

「兄さん……こんな時に」

 

あれ? なんか理亜の好感度が一気に下がったような感じがするなー。

押し殺したような低い声で理亜は呟くと一歩俺から離れた。

じりじりと後ろに後退していく。

いや……だから誤解なんだって。

 

「ハーフロアから、ロアを消滅させて、人間に戻す……?」

 

そんな俺らを他所に鳴央ちゃんは荒げた息を抑えながら、震える声で尋ねた。

 

「その通りです。もっとも、純粋なロアであれば先ほどの音央さんのように消滅してしまいますが」

 

理亜の言葉に戦慄する。

一之江達の方を見ると。

一之江は気絶したままで、音央は消えかけていた体が元に戻ったことに安堵していて、鳴央ちゃんはそんな音央を抱きしめたまま、迷うような顔をしていた。

そして、そんな能力を見せた理亜は、彼女達に恨まれたり嫌われることなどなんとも思っていないかのように、ただ毅然とした姿で立っている。

 

「後悔は……していないのか?」

 

「はい。私は______この力を得る為に『主人公』になりましたので」

 

その言葉は俺にとって衝撃的だった。理亜は自ら、その物語の『主人公』の道を選んだのだという。

俺みたいに偶然なってしまったのではなく。『ロア』を消す為に。自らの意思で。

 

「ですから、貴女から『神隠し』だけを消し去り、普通の少女に戻すことも出来ますよ。

______本物の、六実音央さん」

 

理亜が鳴央ちゃんにそう告げる。

そうか。やっぱり知ってるのか。

音央の正体も______鳴央ちゃんが犯した罪も。全部……。

 

「り、理亜ちゃんっ」

 

理亜と面識がある音央が声を荒げる。

怒ったような声だが、そこには戸惑いや動揺があきらかに含まれていた。

 

「音央さん。貴女の場合、その対抗神話を口にすると消えてしまうのがご理解いただけたと思います。ただ、私は貴女のことは気に入ってますし、お友達が貴女のファンなので______兄さんが私と敵対する、という展開にでもならない限り、消したりすることはありません。ご安心下さい」

 

「うぐっ」

 

音央は何かを言おうとしたが、言葉を飲み込み、そのまま手を握り締めた。

その光景はまさに。

______圧倒的。圧倒的な『君臨』だった。

この場だけではない。ロアの事を知り尽くし、その物語を熟知し、そして対抗神話を語ることでその力を消し去る事が出来る。そんな能力を有している。

ロアという存在はさっき理亜が言ったように曖昧で儚く、脆い。

それは人々に噂されることで発生してしまい、語られる噂に影響される存在だからだ。

不本意なまま、ハーフロアになってしまった俺みたいな人や人々に噂された事により実体化し、発生してしまった都市伝説『ロア』。

元は人間だったハーフロアはともかく……。

噂によって生まれた純粋なロアは生まれた瞬間から決められた物語の通りに行動する。

無害な都市伝説もあれば、殺害系や神隠しなど、人々に直接危害を加える物語もある。

それが成長すれば多くの人々を害する可能性がある。

そんな(ハーフロア)やロアがいる中で、そんな全てを『なんとか出来る』力。

それを自分から望んで手に入れた主人公。

それが『終わらない(エンドレス・)千夜一夜(シェラザード)』、理亜なんだ。

その考え方や行動力は見事すぎるほどの『主人公』だ。

 

「理亜……」

 

俺は背中に乗っている一之江をそっと抱え直しつつ理亜を見上げる。

そして理亜に語りかけようと口を開いたが。

 

「ただ、私の力では兄さんの『百物語』と『不可能を可能にする男』の物語を消し去るのは不可能なので、私の物語にするしかありません。大丈夫です。もう戦わせたり、苦しい思いをさせたりはしませんから」

 

「俺のは消せないのか?」

 

「はい。兄さんのロア『百物語の主人公』は特殊なので、ピンポイントに語れば消えるような物語がないのです。一番オーソドックスな対抗神話は『百物語』をしても何も起きない……というものなのですが、兄さんの百物語は『101番目』ですしね。今まで類似した話が存在しません。

『不可能を可能にする男』に至っては……どんな物語にも『干渉』するという特性上、対抗神話に干渉される恐れすらありますから……下手に夜話を語ればその夜話を改変されてしまう、そんなことが出来る存在ですので。そもそも『不可能を可能にする男』の対抗神話も『何も変わらない』というものしかありませんし」

 

「そう、なのか」

 

理亜の言葉に驚愕するのと同時に安堵してしまう。

千夜一夜(シェラザード)』も完璧ではない、ということか。

それが解っただけでも充分だ。

 

「さあ、兄さん。これで解ったでしょう?」

 

理亜は最後通告をしてきた。

 

「ああ……痛いほど。苦しいほどによく解ったよ……」

 

弱ってたとはいえ、一之江や音央が同時に仕掛けたというのに、理亜には何も出来なかった。

一之江が、音央、鳴央ちゃんが苦しんだ時に、俺は何も出来なかった。

『俺』の物語は消せないという抜け道があるということは、俺一人でなら『理亜と戦える』という選択肢もあるのだが、俺はそんな選択肢は選べない。

可愛い妹同然の少女。

それも俺を慕ってくれる子を『攻撃』なんてこっちの俺には出来ないのだから。

例え、唯一理亜の『千の夜話(アルフ・ライラ)』に対抗出来る存在だとしても。

それに俺が理亜に『攻撃』した場合。

理亜は俺よりも先に一之江達を完全に消そうとするだろう。

______つまり、誰かを犠牲にすることになるのだ。

それだけは嫌だし、そんな選択は俺には出来ない。

と、いうことは、だ。

俺が今とるべき正しい選択肢は。

一之江や鳴央ちゃんを殺すつもりはないと言った理亜の言葉を信じること。

音央のことも消すつもりはないとも言っていたのだから。

だから______正しい選択肢は、俺がこのまま理亜の物語になること。

それが正しい選択肢ということが解る。

 

「兄さん。もう兄さんは充分頑張りました」

 

ああ、そうだよ。

頑張ったさ。

 

『さあ、元の生活に戻りましょう』

 

理亜は優しく語りかけてきた。

ついさっきまでの、冷たくて怖かった口調からいつもの柔らかくて優しい声で語りかけてきた。

その柔らかさだけで涙が出そうになってしまう。

元の生活……一之江や音央、鳴央ちゃんやキリカと過ごす普通の生活。

普通に学校に通って普通の高校生として過ごす。

普遍的な生活。

ああ、そうだな。

そうすれば、もうみんなは傷つかなくて済むし、怖い目に遭わなくて済むようになる。

今までの日常がおかしかったんだ。

都市伝説のオバケと戦うような日常。

そんな日常は終わりに出来る。

理亜の物語になれば過ごせる……

高校生としての辺り前の生活______を。

それはとても魅力的な提案だが。

だが……しかし。

 

「……元の生活じゃ、ないだろ」

 

そう。そんな日常を選択しても。

家に帰ればそこには。

そこには、理亜やかなめ、リサがいるんだ。

 

「俺が普通の生活を送っているのに、裏では理亜達が苦しんで戦って、傷ついたりしてるかもしれない。

そんな日常を送るなんて俺は嫌だ!」

 

いつものように扉越しに会話したとしても、その理亜は戦いで苦しんでいたり、悲しんだり、辛い思いをしているのかもしれない。普通の女の子が味わう必要のない苦しみを、まだ中学生の女の子に味わらせたまま、俺は、俺だけは普通の生活を送るなんて……そんなの。

 

「兄さん」

 

「そんなの、絶対に駄目だ。俺が元の生活に戻るのなら、理亜も一緒に戻る!

そうじゃなきゃ、認められない」

 

「ん……」

 

理亜の口からは判断に迷うような、小さな吐息が溢れる。

理亜が最強の『主人公』で、それだけの力を持つ、ということはよく解った。

でも、だからこそ。

二人とも『元に戻る』道でなければ、俺は認めることなど出来ない。

 

「兄さん、それは……」

 

理亜の顔を見ると、僅かに瞳は揺れていた。

 

「理亜! 俺はな、理亜がそんな困った顔をするくらい、理亜のことが大事なんだ!

そんな理亜が『主人公』として頑張るっていうなら、俺は全力で助けたいし、手伝いたい。

理亜が抱える苦しみを減らしたいんだ!」

 

「それは、ですが、甘い認識で______」

 

「甘くてもいい! 馬鹿でもいい!

俺はな理亜。大切な人を守る為なら例え世界を敵にまわしても構わない」

 

「……飛躍し過ぎですよ。ですが、本当にそう思いますか?」

 

「ああ世界なんて知ったことか! 大事なのは世界じゃない!

もし世界と理亜、どちらを選ぶかと言われたら理亜を選ぶ!

そのくらい、理亜。君が大切なんだ!」

 

「……兄さん」

 

理亜が心を鬼にしてる理由ならなんとなく解る。

それはきっと……俺の為だ。

本当は、誰かを傷つけたり、誰かを突き放したりするのは苦手な女の子だから。

そんな彼女がそれでもそうしなければいけない理由。

それは俺の心を折る為にやっているんだ。

そんなことをさせてしまったのは、俺だ。

俺が不甲斐ないから。

だから、理亜はクールな『主人公』になることで、俺を守ろうとしているのだ。

 

「ごめんよ、理亜。ごめん……俺は理亜の兄なのに。

理亜の想いにも、苦しみや辛さにも気づいてやれなくて……ごめん」

 

 

ああ、ちきしょう!

過去の自分を殴ってやりたい。

もっと注意深くしてれば、理亜の変化に気づいてやれたのに。

なのに俺は自分のことでいっぱいだった。

不思議な出来事に巻き込まれて、自分だけが苦労しているものだと、思い込んでいた。

こんな近くに、同じように苦しんでいる人がいるのに。

 

「ごめんな、ほんと……」

 

あれ? おかしいな、涙が……ちきしょう。目にゴミが入りやがった。

 

「はふぅ……」

 

理亜はまるで見かねたかのように、深い溜息を吐くと。

 

「スナオさん、かなめさん、帰りますよ」

 

スナオやかなめに声をかけた。

 

「あれ、いいの?」

 

スナオちゃんはそれは予想外だ、とばかりに驚いたが。

かなめはさもありなん、という表情をして頷いた。

 

「ん、合理的な判断だね。

今のお兄ちゃんは冷静な状態じゃないから」

 

「はい。こんな状態の兄さんが『物語になる』と言ったとしても、それは一時の感情に過ぎませんから」

 

確かに、今の俺はまともな判断は出来そうにない。

そんな状態で理亜の物語になっても、誰も納得しないだろう。

俺も、俺の物語達も。そして……理亜やかなめも。

理亜もかなめも理性的に俺が判断するのを求めているのだから。

 

「んー」

 

スナオちゃんはそんな俺をじっと見つめた後。

理亜やかなめの顔を見て呟いた。

 

「二人とも……ブラコンだなぁ」

 

「スナオさんっ」

 

「わっ、すみません!」

 

怒ったような理亜の声に謝罪の言葉を口にして、スナオちゃんはチラチラ俺の方を見ながらも理亜の背に着いて行く。立ち去っていく間、理亜は一度も俺の方を振り返らなかった。

かなめは何度かチラチラ俺の方を振り返ったが、声をかけることはなく。

理亜とスナオちゃんの背を追いかけるように立ち去って行った。

そんな風に立ち去って行く少女達を見て、さらに込み上げるものを必死に抑えながら。

俺達は、最強の『主人公』である『終わらない(エンドレス・)千夜一夜(シェラザード)』との______最大の恐怖との対決を、なんとか切り抜けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年6月19日。七里家寝室。

 

 

 

気を失っていた一之江が目を覚ましたのは、それから少し経ってからだ。

 

「あ、みずみず、おはよんよん!」

 

「おはようございますよん」

 

 

嬉しそうに挨拶する先輩に合わせて、一之江もそれなりに不思議な挨拶で返す。

自分が寝ていた場所が先輩の部屋のベッドの上だと気づいたのか、いろいろ納得したかのように頷いていた。

 

「びっくりしちゃったよ。みずみず、みんなでコンビニに出かけた時に貧血で倒れちゃったんだって?」

 

「あー……どうやらそのようですね。薄幸の美女なもので、朝は低血圧なんです」

 

「うん、いかにも弱い子っぽいもんねみずみず。よしよし」

 

先輩が一之江の頭を撫でているのを見て、ようやく俺は心を落ち着けさせることが出来た。

 

「モンジくんなんか心配して、目を真っ赤にしてたんだからっ」

 

「モンジが?」

 

俺の顔をマジマジ見つめてくる一之江。

俺は部屋のドア付近で腕を組んだまま立っていた。

 

「ふむ。私はもう完璧に大丈夫なので、部屋を出るとしましょう」

 

「わっ、もう起きて平気?」

 

「はい。それに貴女の部屋に野獣のような男を入れておくのは良くありません。モンジが万全の状態だったら、今頃この部屋の空気が薄くなるくらい匂いを嗅がれてますよ」

 

「どんな変態だ俺は⁉︎」

 

「ふぇー。あ、でも、うーん、モンジくん。匂いは流石に恥ずかしいから、ちょっぴり勘弁して欲しいかなぁ……あ、あはは……」

 

先輩が恥ずかしそうにそう告げる。

うむ、照れた顔は可愛いらしい。

……って、何言ってんだ俺は⁉︎

いかん、こんな先輩がいる空間にこれ以上いたら、間違いなくヒスってしまう。

帰ろう。直ちに。今すぐ!

 

「しませんから大丈夫です。一之江が目覚めたからそろそろ帰りますよ」

 

「そうですね」

 

一之江がベッドから降りるのをさりげなく見守る。

一之江の足取りはしっかりしていて、ダメージの蓄積はさほどないように見えた。

まあ、一之江が他人に解り易くダメージを見せるなんてことはほとんどないんだがな。

 

「あれ、やっぱり帰っちゃうのん?」

 

先輩がしょんぼりした顔をする。

うっ……なんか罪悪感がするな。

ずっと居たくなる。

先輩の側で一緒に……。

 

「いけません。あれは『ベッド下の男』ではなく『ベッド上のモンジ』に進化する前の顔ですよ」

 

「どんな変態だそれは⁉︎」

 

突っ込みたくないのに、突っ込んでしまう。

流石は一之江。

ボケは健在だ。

なんて思っていたら……。

 

「ふふ、モンジくんだったらいいよん♪」

 

突然先輩が爆弾発言をした。

 

「な、な、ナニを言ってんすか⁉︎」

 

「私を好きにしていいよん______疾風♪」

 

なっ、なん……だと⁉︎


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