女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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独自解釈が多いです、ご容赦下さい。
というか、書いてる途中で寝てしまったので、最初書きたかった事が分からなくなってしまいました。





 

 

 

ガキンッ!

 

魔王の刃はぶつかり合い、共に傷付くことなく鍔迫り合う。

サルバトーレの魔剣を受けても、護堂の握り締める黄金の剣は壊れない。

 

互いに互いを押し返して距離をとり、一足飛びに再び激突。

同じ対処をして弾き合うが、今度はそのままの距離で切り結ぶ。

 

左横薙ぎには切っ先を地面へ向け縦にして受け、弾くと刃を返して上段から斬り下ろす。

 

「へぇ、そっか――護堂、君は僕の剣を受けられるんだね! 僕の思いを受け止めてくれるんだねっ!」

 

殆ど片手で刃渡り3メートルはありそうな大剣を振り回すサルバトーレ。

必死に受けては暇を見つけ斬りかかり、何とか主導権を渡さないように立ち回る護堂。

 

しかし、不思議に思わないだろうか。

 

草薙護堂という少年は、カンピオーネとなってまだ相当に日が浅い。

それ以前は一般家庭の生まれであるため、武術・武道の経験などない。

 

だというのに――

 

「あはははははははは! 愉しいねぇ護堂! そうだもっと、もっとこの熱い夜を過ごそうじゃないか!」

「気色の悪いこと言ってんじゃねぇ!」

 

こうして護堂は、剣の王などと呼ばれる世界最高峰の剣士と切り結べている(・・・・・・・)

 

その理由はカンピオーネが持つ特有の超直感。

そして、今も彼が振るっている黄金の剣に由来する。

 

極々当然の、至極あたりまえの事を言うが、剣は斬るための道具だ。

かつてのウルスラグナのように飛び道具としての使い道もあるが、その本質は神格を斬り裂く(・・・・)ための物である事は、もはや説明するまでもないだろう。

 

剣は斬るもの。言霊の剣とて、それは変わらない。

 

故に黄金の剣は護堂に与えるのだ。

数多の神々を敗北せしめた、まつろわす軍神の経験を。

 

これを本人は、直感が冴え渡っているからだと考えているが、それは間違いである。

 

見れば、護堂の動きは素人丸出しだ。

しかし、その随所に達人ならではの理屈が垣間見える。

 

自分がどう動けばいいかは分からない。

しかし、相手がどう動いて来るかは予測が出来る。

ならば、そこから自分の理想の動きを導き出せばいいのだ。

 

そうすれば結果として、玄人にしか分からない技巧の冴えが生まれるのだ。

ひと太刀浴びれば絶命必至という極限の緊張感の中で、だからこそカンピオーネにはそれが出来る。

 

「ハハッ、実はカンピオーネになってから、まともに剣を交える機会って少ないんだよ。ほら、神様って権能を使って悪さをするだろ? 剣で戦ってくる《鋼》には、中々出会えなくてさぁ」

 

太陽神なら灼熱を、冥府神なら死の風を、神の権能というのは往々にして大規模破壊にこそ向いている。

 

カンピオーネが簒奪した権能ならば個人戦に向くものもあるだろうが、それでも剣士というのはいなかった。

自身の持つ魔剣の権能もあって、剣での斬り合いという行為に飢えていたのだ。

 

「でも、まだ(・・)だ。ついついはしゃいでしまったけど、まだ足りない。君はまだ、僕を傷つけられていない」

 

そう。

サルバトーレが護堂の剣を防いでいたのは、剣士の斬り合いという行為に(ふけ)っていたから。

本来ならば、肌に触れても肉を斬り裂くことはできなかったのだ。

 

「次だ。今度は本当に、斬って斬って斬り殺し合おう」

 

そして、彼はその制約を捨て去った。

ここから先は、剣士ではなく魔王の立ち会い。

 

サルバトーレ・ドニはルーンを浮かべ、無敵の鎧を展開した。

 

「さぁ、護堂。君に僕が斬れる(・・・)かい?」

 

日頃から浮かべる柔らかな微笑み。

それはこの場において、どのような物より異常だった。

 

常在戦場の心得。

よく言うそれだが、サルバトーレ・ドニは常軌を逸している。

 

彼にとって戦闘は、会話や食事と変わらない。

彼にとって戦場は、自宅のリビングと変わらない。

 

彼にとっての日常は、神々との舞闘と同じ意味を持つものなのだ。

 

その微笑み、その姿。

思わず背筋に怖気が走るが、どこに行けばいいのか分かっていない迷子の様にも思える護堂。

 

勝ちたい、と思った。

負けさせたい、とも思った。

 

護堂は目を閉じ、瞼の裏に映る神の姿に思いを馳せた。

 

「アンタのその無敵の鎧、『鋼の加護(Man of Steel)』はジークフリートから奪った権能だ」

 

そして語る。

 

「竜殺しの英雄として有名なジークフリートだが、その叙事詩に近似した物語が北欧神話にも残っている」

 

そして暴く。

 

「『古エッダ』や『ヴォルスング・サガ』にも記述がある、シグルズという英雄だ」

 

そして明らかにする。

 

「シグルズ、或いはシグルド。彼はジークフリートと同じように竜を殺し、その血の恩恵を受けた男だが、辿った道筋は少し違う」

 

神の来歴を、その神話(ものがたり)(つまび)らかにする事で、神格を既知のモノとして貶める知恵の剣。

軍神ウルスラグナの真骨頂とも言える権能である。

 

「『ニーベルンゲンの歌』と『北欧神話』。悪竜ファフニールと竜の小人ファーヴニル。王のグンターとグンナル。女王ブリュンヒルトとワルキューレのブリュンヒルド。そしてジークフリートの妻、王妹クリームヒルトと、シグルズを貶めた王妃グリームヒルド。類似点の多い登場人物達の中で、二人の女性たちの立ち位置だけが大きく変化している」

「さっきじいさまが言ってたね、言霊の剣って。知識と言葉で剣を研ぐ、。それがその剣の本領って訳だ……」

 

護堂の行動を他人事のように眺めながらも、決して隙を見せようとしない。

その勝利へかける執念とも言える言動もまた、カンピオーネの特徴だ。

 

「ジークフリートはクリームヒルトと結ばれる為にブリュンヒルトを罠に掛け結婚させるが、なんとシグルズの方はブリュンヒルドと恋に落ちている。その恋路を阻む王妃の名こそがグリームヒルド、そして奸計に嵌ったシグルズはグズルーンという王女と結婚してしまう。夫を殺されてからの復讐対象とその動機に差異はあれど、クリームヒルトとグズルーンはとても似通った女性として描かれている」

 

神の来歴を述べる護堂だが、実はその内容に大きな意味はない。

知恵の剣が言霊によって力を発揮するのは、言葉にすることそれ自体が意味を持つからだ。

 

「これは『ニーベルンゲンの歌』に登場するクリームヒルトがグズルーンをモデルに形作られたから。そしてグズルーンという姫はクリームヒルトという役柄に取って変わられ、グリームヒルドは主人公を害する悪役から物語のヒロインに成り代わった。これはアテナがゼウスの娘とされたように、物語が塗り替えられたからだ!」

 

呪文、詠唱、聖句。

魔術や権能を使う際に唱えるそれと同じように、言葉に込められた意思こそが重要なのである。

 

「ジークフリートは竜の血を浴びる事で鋼の肉体を手に入れる。刀剣の鍛錬において炉で赤熱化した金属を鎚で整え、水をかけて冷やし強固にするように、これは剣の製法を暗示する逸話だ。それからのジークフリートは王グンターの願いにより行動する。まるで、剣が使い手に振るわれるように」

 

己が持つ知識を口にする事で意識を統一し、剣が必殺であると思い込む(・・・・)こと。

相手の意識に働きかけ剣が有効であると意識させること、頭の片隅にでも認識させる鍵とすることが、黄金の剣を研ぐ言霊の真意。

 

「しかしこの暗喩は、シグルズの方には見られない。彼が竜の血から手に入れたのは、鳥と会話する能力。同一の起源を持つ英雄でありながらこの差異が出来たのは、『ニーベルンゲンの歌』が叙事詩だから。ジークフリートが持つ不死身の身体は、後世の作家が付け加えた要素に過ぎない。ジークフリートは既存の英雄譚に要素を加え、物語性を色濃くした複合英雄なんだ!」

 

己の存在定義を確固たる物とする事が、神や魔王の強さの秘訣。

それに僅かでも揺らぎを与えることこそ、言霊の剣たる所以なのである。

 

 

 

 


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