女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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16/10/27
新しい書き方で加筆修正してみました。


序章


 

 

 

――我が求むるはゴルゴネイオン。古の《蛇》よ、願わくばこの手に彼の叡智を授け給え。

 

 夜の帳に声が響く。

 朗々と語るそれは鈴の音が如き調べ。美しい声音の主は、やはり美しい乙女であった。

 

「ふむ、この国にも《蛇》はない。極東の国とは、少し遠くに来すぎたか?」

 

 耳が痛くなるほど静かな広場に少女が一人。

 月を溶かしたかのような銀の髪に、夜の闇がそのまま宿ったような黒曜の瞳。白い布を合わせただけの簡素な民族衣装が、少女の美しさを際立たせていた。

 

――ザッ。

 

 足音に反応して闇色の瞳が振り向く。

 吸い込まれそうなほどに深く、美しい色をしている。……美しい。それ以外に形容のしようがない。

 無音の聖域に足を踏み入れた少年は、その瞳に釘付けとなった。

 

「人の子よ、(わらわ)の姿を眼に写すか」

 

 少女は語る。幼くとも――否。幼いが故に、人間離れした美しさは妖艶さを醸し出す。人並み外れ、人間を離れ、そして神々しい空気を纏う少女。

 天より舞い降りたと言われても少年は信じただろう。それほどまでに少女は美しかった。

 

「ヘルメスの弟子の様には見えぬ、只人か。しかし、或いは神官の才でもあるのやもしれぬな」

 

 ただ容貌が整っているだけではない。その美貌に釣り合う知性と、底知れぬ何かを秘めているのが感じ取れた。

 優美で、麗しく、鮮烈で、清らかな。人の言葉で形容することが烏滸(おこ)がましいとすら思える。

 

「妾の神気に当てられながらも自我を損なわぬとは、中々に筋がいい」

 

 なぜならば少女は『まつろわぬ神』と呼ばれる者。

 世に散らばる神話伝承より抜け出した、正真正銘の生ける神性である。天使のようだと感じた少年の感性は捨てたものではなかったらしい。

 

「妾はアテナ、夜と闇を統べる女王である。縁があれば何処かで相見(あいまみ)えようぞ」

 

 その日、草薙護堂は――ひとりの女神に恋をした。

 

 

 

 『アテナ』――アテーナー、アテーネー、アタナ、様々な地域で様々な呼び方をされるギリシア神話の女神であり、オリュンポス十二神に数えられる神のひと柱。知恵、芸術、工芸、戦略を司る女神であり、同じギリシア神話のアルテミスと並んで有名な処女神である。

 元々は城塞の守護女神として一部地域で信仰されていた神だったが、やがて古代ギリシア人の征服と共に神話へ組み込まれていく。

 神話においての彼女は主神ゼウスの娘として位置づけられる。

 天空神ゼウスは妻メティスに子を授かるが、祖父母たるウラノスとガイアより予言を受けた。かつてゼウスの父が、そしてゼウス自身がそうだったように、己の子によって王権が簒奪されるであろうと。それを恐れたゼウスは、妊娠した妻を頭から飲み込んだ。

 しかし母ごと飲み込まれた胎児はゼウスの体内で成長し、激しい頭痛に苛まれたゼウスは斧で頭部を割らせる。

 そこから生まれたのがアテナである。

 

「権力に固執して妻を子供ごと殺すなんて、神様ってのも人でなしだなぁ」

 

 いや、人じゃなくて神なんだけど。そう呟く護堂は、図書館の隅でで一人頭を抱える。

 何を隠そうこの少年、夜の公園でアテナと名乗る少女に一目惚れして、アテナ神の事を調べている最中であった。わざわざギリシアの地に足を踏み入れてまで探すその行動力は若き日の祖父を彷彿とさせると、彼の妹は咎めるような眼付きで語った。

 

「馬鹿みたいって、自分でも思う。けどやっぱり、何だか人間とは思えないんだよな」

 

 銀色の髪に黒い瞳の少女。

 思えば、身にまとっていた着衣もギリシア神話の絵に描かれた神々の衣装、ヒマティオンというそれに良く似ている。

 

「アテナ、か……」

 

――――――――――…………

 

 つい少女の名を零し(かぶり)を振るが、続いて感じた違和感にハッとする。

 どう表現すれば良いか分からないが、強いて言うならそう――まるで世界がひっくり返ったような。

 

「小僧、今アテナと申したか?」

 

 野太く、地を這うような、それでいてどこか気高い意思を感じる声。

 少年が生涯で二度目に聞いた、神の言葉であった。

 

「あ、貴方は……」

 

 気付くと目の前には男性が立っていた。

 アテナと同じ文化を感じさせる衣装、そして跪きたくなる重苦しい空気。瞬時に悟る、それが神なのだと。

 

(しか)と記憶することだ人間よ、我が名はゼウス。天を支配せし神々の王、ゼウスであるッ!」

 

 ――ゼウスッ!

 先ほど調べた資料にも度々記されていた天空神。恋焦がれるアテナの父であり、そして同時に母の仇でもある男。

 

「俺、いや、私は草薙護堂と言います。どのようなご用が合って此処に参られたのでしょうか?」

 

 敬語やら何やら支離滅裂であるものの、なんとか伝えたいことは伝わったらしく。

 

「覚えのある力の残滓に誘われて現世に舞い降りたら、その娘の名を申す人間がいた。よって問うた、それだけだ。して小僧、アテナの所在を知るか?」

「い、いえ。日本、祖国でアテナ神に出会って、名前を教えられただけですから」

「ふむ、罰を与える雷が反応せんのを見るに偽りではないか。なれば致し方ない、あやつを征服するのは後にするか」

 

 征服する、その言葉に含まれる意味に心が騒めく。

 先ほどの資料にもあった事だ。ゼウス神は征服者の信仰する神。彼は土地を侵略し民を征服し、新たな文明を己に取り込んだ大いなる神。まつろわす神でもあった。

 その結果が望まぬ婚姻を結ぶこととなったメティスであり、そして彼の身勝手で生まれてきたアテナだ。つまり眼前の(かみ)が行おうとしている事とは……。

 

「……失礼ながら神よ、征服とはどのような意味で?」

「ん? 決まっておろう。アテナは三位一体の女神であるぞ」

 

 少女、母、老婆の要素が合わさって形成された神格こそアテナという女神の本質。

 少女がアテナ、母がメティスにそれぞれ相当するのだという。

 

「まつろわぬ身となった今、メティスと一体であるアテナを征服するのが我が勤め。後はまぁ、男なら自ずと分かるであろう?」

 

 その信託(ことば)を聞き、理解した時――草薙護堂は理性をかなぐり捨てた。

 そうしてこれより数時間が経過した頃、世界に七人目の王が誕生した。

 

 

 

 

 これはギリシャのとある都市を未曾有の大嵐と落雷が襲ってから一週間後のこと。

 日本の東京、とある家庭での一幕。

 

「紹介するよ静花、爺ちゃん。俺の嫁さんのアテナだ、よろしく頼む」

「ご紹介に預かりました、パラス・アテナです。先日、護堂さんに(めと)って頂きました」

 

 可愛らしい彼の妹――草薙静花の絶叫と共に物語は一先ずの終幕を迎える。

 次に事態が大きく動き出すのは、更に一ヶ月後のことである。

 

 

 

 

 


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