昼下がりの川沿いを自然現象が暗転させる。タツミもウェイブも、空すらも闇に染まるというのに、華奢な少女の肌だけは―――――白かった。
宣戦布告を浴びたタツミを差し置いて、ランを木に横たわらせウェイブは前に出る。
「あんたか?ランをこんな目に遭わせたのは」
「ん?ああその餓鬼なら少々痛めつけておいた。領空侵犯を撃ち落としたところで誰も責めまい。それより君は」
誰だ。と続くはずの言葉は掻き消される。降ろされた刃は小石を勢い良く飛ばし、ランにも一直線に向かって来るそれをタツミが手のひらに収める。
(あの馬鹿…。もう少し考えて戦えっての)
そんな彼の思いも知らずにウェイブの咆哮が空気を震わせ、グランシャリオをその身に纏い土埃から現れる。僅かに目を見開いたサウロンの緩みを逃すはずもなく、左足を後ろに、右足を前に、上半身を反時計回りに動かし握り拳を鳩尾に叩きこむ。抗力及ばず、彼女の体は天空高く舞い上がる。追い打ちを掛けるために、筋肉をバネにように使いウェイブも続く。
そんな二人を傍目から見るタツミは冷静沈着に頭を働かせる。
(仮にも無傷でランに重傷を負わせた奴があれほどわかりやすい一撃を避けられないはずがない…。『この私を前にして天使の真似事など』とか言ってたな。ランがわざわざ地上戦を望むとも考えにくい。ってことは)
「ウェイブ!空中戦は―「もう遅いわ」
地に頭を向け落ち始めるサウロン、それ目掛け宛ら弾丸の如く直進するウェイブ。双方が重なりあう刹那、蹴りをするりと通り抜けたサウロンがウェイブの鳩尾に手を置く。
「お返しだ」
置かれた手が、指先から手首にかけて光ったような気がした。ウェイブの認識は間違っておらずタツミからもそう見え、おそらく誰が見てもそう見えただろう。やがて光は圧縮していき、瞬きも許されずに起こった次の現象は―――
爆発。
「うがっ…!」
纁に染まる空、直後爆風がタツミまで届き木々を躍らせる。直に見舞われたウェイブは不時着したあと川底に沈み込む。赫焉消え行くも、黒煙立ち込める。移り変わりゆく情景から、相も変わらず傷一つ付いていないサウロンが現れる。
「アハハハハ!ちょっとした爆轟をゼロ距離で受けた感想はいかがかな?といっても喋ることすら叶わぬか」
「―――ぶはっ」
「…ほう。存外に硬いようだな、その帝具とやらは」
川底から顔を上げて酸素を目一杯吸うウェイブの鎧が水蒸気を上げる。彼の帝具に興味を惹かれながらも、圧倒的な力の差から生まれる鷹揚は崩さない。対して、一撃とはいえ己の全てを叩き込むつもりで放ったというのに、ピンピンしている彼女を見てウェイブは頭のなかで舌打ちする。
確かにサウロンは硬かった。肌だけでなく身につけている服すらも。
(強皮症にも程があるだろ!…ってつっこむ余裕は俺にもあるってことか。敵討ちしたいのは山々だがここは…)
目の前の少女に注意を払いながらタツミを横目で見る。思案顔を浮かべ、彼もまた少女から目を離さずにいる。何やら惟んみているように窺えるが、ここは自分の案に乗ってもらおうとウェイブは呼び掛ける。
「タツミ!ちょっとこっちに来てくれ」
(…!)
「ククククク…敵を前にして作戦会議か?全く以て度し難い童共だ」
そうは言うものの、サウロンは腕を組み悠然と佇む。瀬を上がったところでウェイブはタツミに耳打ちする。臍落ちすると、二人は体をサウロンの方へと向き直しウェイブはカウントダウンを始める。
「3,2,1,0!」
合図と共に互いに真反対の方向へと駆け出す。タツミは右に。ウェイブは左に。途中、腰を曲げて掬い上げるようにしてランを回収。そこからは迷わず全速力でその場を去る。
(あいつがどっちを選ぶかはわかんねえが、間違いなく隙は生まれる!その間に逃げ果せてみせるぜ!!)
「愚策だな。少なからず期待できると思ったのだが…」
轟轟。縒られた藁草履が千切れることもなく華奢な体はふわりと舞う。それは鉄砲の如く、将又噴水の如く、瀬から瀬までをV字に割り、向かう先はタツミかウェイブか。
束の間のことだった。間髪を入れず空が裂ける音がした。一つ目の爆心地に人はいず、2つ目には―――
ウェイブとランがいた。
「インクルシオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
タツミの雄叫びに二人の悪魔が微笑んだ。一人は外から。もう一人は…。
◆ ◆
ゴヨウ海地下。反乱分子の中でも藍染惣右介とDr.スタイリッシュしか知らない研究室は薄暗く、天井から取り付けられたモニターに誰かが映る。
藍染がモニターを見ながら紅茶を啜ると、彼の後ろにあるドアからドクターが入ってきた。
「また覗き見?ほんと趣味悪いわね」
「いまいい所なんだ。君も見たらどうだい?」
「興味ないわ。それに今忙しいのよね~」
「随分アレに熱心なんだね」
「そうね~。元同僚としての、せめてもの慈悲ってところかしら」
なるほど、と藍染は視線を戻す。彼も自身の手で直属の部下に手をかけた身であるので、すぐに納得できた。どうやらドクターはコーヒーを入れに来たらしく、水を沸かせながら鼻歌交じりにコーヒーミルを回す。豆の磨り潰される音が終えると、ミルの下部にある引き出しから粉を出す。ペーパーフィルターを広げてからその中に入れ、水が沸騰したので流し込む。寂然としていた部屋にトクトクトク、とお湯の流れる音が響く。科学者たるもの、コーヒーカップはビーカーたれ。何てことはなく常日頃から愛用しているカップが満たされていく。
また、ドクターはオカマであるせいか女子力も高く、コーヒーには必ず茶菓子の類が伴う。彼なりに拘りがあるようで強化兵を使いとして立て、どこかしらからケーキやクッキーを買ってくる。外に出ては茶菓子を口に含み、コーヒーを啜り、悦に入るのが彼の日課でもある。
「で、これからどうするわけ?いきなり帝都に殴りこむってわけにはいかないでしょ」
「力任せに芽を摘むのはあまり好きじゃない、火種をまいてあちらの出方を伺うのが得策だろう」
「エスデス・ブドー以上の秘密兵器ねぇ…ほんとにあるのかしら?」
「さあ、どうだろうね…」
茶を濁す藍染の返答にドクターは眉を顰める。元々利害の一致から互いに手を組んだが、あまり仲がいいとは言えない間柄だった。ドクターは彼なりに藍染の情報を事細かに調べあげたが得られたものは何もなく時間だけを無駄にした。ナイトレイドにいることも彼の口から聞いたのが初めてだった。何とも不可思議で危険な彼だが、その力と知識には大変魅力的だった。
ドクターは性懲りも無く話題をあれやらこれやらに切り替えて襤褸を出させようとする。
「ねえ、ここ最近で南蛮の国が水面下で動きつつあるの知ってる?」
「南蛮というと、併呑したばかりの南の異民族か」
南蛮、西戎、北狄、そして東夷。帝国の周りを囲むように築き上げられた四つの異民族国家の俗称であり、それらを合わせて四夷と呼ばれた。文字通りそれぞれ南、西、北、東に位置して中でも東夷は謎に包まれている。この呼ばれ方は太古の昔より受け継がれているらしいが、東夷とは今現在では海を挟んでいるためある学者は大陸移動説を提唱しており、あの安寧道の教主も賛成派の一人である。
「その南の異民族が勢力を伸ばし新兵器を作ってるんじゃないかってエスデスも言ってたわ」
「ラーファという王女か。確かに数年で著しく経済成長を遂げているね」
南蛮を統べし王女。いや、すでにその姿その振る舞いは女王と言うに相応しい。亡き父の跡を継ぎ、温厚でされるがままの彼とは違って自ら政策を立て、必要ならば他国との交渉でも臆することなく行う実に能動的な妙齢の女性だという。金髪黄眼。彼女が幼き頃に病で倒れた母に似た金色の髪に、先を見通しながらも動けなかった父を思わせる黄色い眼。化粧の一つもしていないというのにとても成人したばかりとは思えない程に蠱惑的な彼女。
そんな彼女によって作り上げられた南蛮発掘調査団、通称ナンパ。彼女が立てた政策の一つである未開発地域の抜本的見直し。今となっては広大な領土を持つ南蛮が、対帝国の為に州の壁を超えて未知の物質を掘り起こそうという試みだ。無謀極まりないと評された数年後、事態は一変する。
ミスリルと呼ばれる金属の発見だった。これがどこでどう生まれたかは解明できてないし、どういう物質かも明かされていないが、遅かれ早かれ南蛮の軍需産業は呱呱の産声を上げるだろう。
「あの女王様なかなかやり手よ?あっちの方が先に帝国に乗っ取っちゃうかも」
「そうなったらその後我々が乗っ取ればいいだけの話さ」
「無茶苦茶いうわね…」
「無茶なんかじゃないさ」
藍染惣右介は曇らない。喩え後ろが血塗られようとも彼の歩む先には埃一つない。
「革命とは得てして理から外れて生まれるものだよ。その道に恐れはいらない」
モニターから目を外し、ドクターを側目にかきながら語る藍染。それだけ言うと再び頬杖をついて視線を戻した。
(ほんっと…無茶いうわよ)
そう心のなかで呟きながら苦笑するも、ドクターはそこはかとなく満足気の表情を浮かべていた。
◆ ◆
水面が波を打つ。風が木々を揺らす。二人の影は衝突しては離れを幾度となく繰り返す。タツミはノインテーターの矛先を、サウロンは掌を前に出して轟音が響く。
旧態依然。タツミはどこから攻撃しても対応され、傷一つ付けられずにいた。
(ノインテーターが奴に触れる瞬間、掌に黒い点みたいなものが出てるけど…デモンズエキスみたいな体内に帝具があるタイプか?)
「ククク…いともたやすく受け止められるのが不思議か?」
少女の問いに対し、口を閉ざしながらも黙認する。
「これは五本の指先から圧力を加え、掌で押し合い皮膚を超圧縮させ一時的に硬くしているだけだ。私はこれを爆縮と呼んでおる」
「…は?」
「ふむ、言ってもわからんか。私の説明が下手だったのか。貴様の頭が悪いだけなのか。まあいい」
刹那。彼女の姿がブレる。仄かに近づく影を見つけ、後ろを振り返る。ノインテーターをもつタツミは中距離戦に強く近距離戦に弱い。その弱点を狙ってサウロンは背後から懐に入る。その手には先程とは真逆の、白い光が生まれつつある。
音が重なる。小石が川の流れを塞き止めるように次々と落ちていく。白煙振り払い、影はその色を保ったまま全容を映し出す。ノインテーターを片手にそれを見つめる。
「咄嗟にこいつを地に突き刺し小石の壁を作ったか…だが―」
そう言うとノインテーターを槍投げの要領で腕を動かし、片膝を付き頭を垂らすタツミの前に突き刺さる。
「もう碌に立つこともできんだろう?」
「ハァ………ハァ……」
「…所詮、この程度か。期待以下だな」
目を伏せそっとため息をつく。精魂尽き果てたと思しき少年の息遣いだけが妙に大きく聞こえる中、サウロンは半回転して踵を返す。
(まだだ…まだ俺は……!俺は戦える!)
(動けよ俺の体!…くそ。意識が段々………)
(うす…………れ……て………)
「遅えじゃねえか、王よ」