どこか別の世界。この世界には霊の類が存在する。それは古来より幽霊、物の怪、ゴーストなどと忌み嫌われてきたが、それらの大半は悪影響を与えずただそこに佇むものである。そしてそれらを整と呼ぶ。プラスがあるならマイナスもある。このマイナスは虚と呼ばれ、魂魄、所謂魂を喰らう本来人が忌むべき悪霊である。悪霊といえど霊に過ぎず、あの世へ送ったり祓ったりするのが定石であり現に魂魄は尸魂界という霊界に送られ生前の記憶こそ消されるが、文字通り第二の人生を過ごすことも可能となる。異なるのは実質的な執行者である。世間一般では僧などが魂を送るなどと思われているが、実際にそれを行うのは死神である。死神といっても生命の死を司る伝説上の神ではなく、黒装束に日本刀といった何とも古風な恰好をしているが魂魄を均等に保つ魂のバランサーである。
人間が住む現世、空座町と呼ばれる町の付近。樹木が生い茂り深閑とした植物群落には、小鳥が囀り、蝶が羽ばたき、毛虫が蠢き、蟻が群がる。緩慢に空を動く雲は世界の危機など気にも留めずにただ只管に行く末を傍観する。
その死神であった2人が宙で対峙している。一人は五体こそあるものの、背中に三対の翼が生えており先端には口だけの頭部が見受けられ、真っ白な体とは裏腹に顔は黒く染められまさに化け物と呼ぶに相応しい。名は藍染惣右介。
片割れは黒い袴に群青色の縛帯を上半身に巻き付けている。長い黒髪を風に靡かせ、握り拳から溢れ出る黒いオーラは彼を中心に渦を描いている。名は黒崎一護。
相反する二人はお互いに向ける視線も異なり、藍染惣右介は敵意を、黒崎一護は同情を相手に向けている。彼らを含めた酷く長い戦争が終わりを告げようとしていた。
「無月」
一護の一言と共に振り下げられた拳には刀の形を成す黒いオーラがあり、その動作により辺り一面が黒に覆われる。蝕む影が彼らを包み一寸先も判然としないというのに、身動きもとれずに藍染の体は侵食を受け続ける。
(なんだ…この力は……!?)
よもや警戒するに値しないと認識した少年が膨大な力を振るって立ちはだかることに驚愕する藍染。死神も虚も超越して辿り着いた次元をも画する力がなす術もなく、一護の力に呑み込まれていく。
(まずい!このままでは―――)
脅威を前に、無意識のうちに彼はある願いを胸に抱く。それに答える様に崩玉が光り出す。一面の闇を照らす程にまで膨張した光は一護すらも巻き込み、瞬く間に凝縮していき最後には欠片ほどもなくなってしまう。
「………消えた…?」
一護が向けた視線の先に、藍染惣右介の姿はなかった。
◆ ◆
見渡す限りの雪景色。針葉樹に積もった雪がずるりと滑り落ちる。北狐が積雪を弄り不格好にも足をバタつかせながら顔を突っ込む。ふと何かを感じ取ったのか、首を伸ばして辺りをキョロキョロと見渡しそそくさと木々が群立する林地に姿を隠す。
どこか神々しい閃光が刹那的に蒼々とした周囲一帯を照らし尽くす。消えたかと慮る北狐が右足を一歩前進させた時、空間を歪める渦が瞬く間に生み出され一時的な暴風が林全体を襲い、一時を境にぴたりと静まり返る。
藍染惣右介はそこに現れた。彼の胸にある崩玉が中心となり、渦は次第にそれによって呑まれていく。前倒れになりながらも黒みを帯びた刀を支えにして辛うじて片膝をつけずに立つ。雪に感化されるように彼の刀は切っ先から柄頭まで白一色に染められ、割れる音とともに刀身は銀色に、柄は深緑に変えられる。瞭然たる外傷は周りの肉を寄せ集め、一縷の亀裂も残さぬまま完全修復を遂げる。軈て、息を整え終えて視線を上に向けた状態で吐息を漏らす。
「…………ここは」
藍染が呟き辺りを見渡すと、先程とは様変わりした一面の銀世界に足を踏み込んでいた。黒崎一護との戦いの末、地獄にでも落ちたかと珍しく自虐的な考えに到るが即座に否定する。
死神にとって地獄は尸魂界同様、死後の世界ではあるが死神は地獄への関与を一切禁じられており、何より藍染自身が興味を惹かれなかったので離反してからも関わることはなかった。それでも元とはいえ一死神としての知識はそれないに有するため、地獄ではないことは明らかだった。
「だとしたら…流魂街か?空座町から尸魂界に瞬間移動したというのか?」
流魂街。尸魂界は大きく分けて貴族や死神が住まう瀞霊廷と、死神によって導かれた死者の魂が霊として住みつく流魂街がある。瀞霊廷を中心として東西南北の四地区からなり、そこからさらに細かく地区分けされている流魂街は、瀞霊廷と比べ歴然たる生活格差が存在する。
悪い面が甚だ多いのだが、いい面も多少ある。その内の一つでもある緑の多さ、瀞霊廷内は建造物が群立しており現代の都ほどではないが草木は刈られ、コンクリートの壁に囲まれている。対して、流魂街では人々が一集して老若男女問わず一つ屋根の下で同じ釜の飯を食らい、その分人のいないところでは夥しい程の草木が生い茂っている。ここら一帯も似たような風景なら流魂街でも珍しくはないが、どうやらこの考えも過ちらしい。目を凝らして遠くを見据えると、数キロメートル先に四人の人影が見え、その体は所謂器子と呼ばれる現世における万物を構成する主要物質で成り立っている。ちなみに器子は霊界における主要物質の霊子とは相反している。つまりこれはここが尸魂界でないことの証明であり、もちろんその一部である流魂街でもない。
もう一つの可能性を考慮してみる。空座町とは別の現世に移されたとしたらどうだろう。冬でなくとも雪が降る地域などいくらでもあるだろうし、密集する木々は現世のそれに近い。だが、おそらくこれも違うだろう。現世にしては霊子濃度が異常に高く、虚圏と同等ほどに感じられる。
「蟠りは拭えないが、少し探ってみるか」
藍染の目的である王鍵の創成は後回しになるが、今はここがどういった場所なのか調べることにした。手始めに今し方見つけた人間に問うため、仰々しい身形を整え始める。一秒にも満たぬ早さで彼の姿形は歴然と変わり、茶髪の猫っ毛を無造作に分け黒縁のメガネをかけている。黒のTシャツに唐茶のジャケット、紺色のマフラーを巻きジーパンを穿くという死神が現世で着るような服を纏う。準備が整ったところで彼は瞬歩を使い目的地へと馳せ行く。
ものの数秒で目当ての四人から百メートル程離れた場所で止まり、霊圧を封じて偶然を装いながら毅然とした態度で趣く。数十メートルというところで耳を澄ませると声が聞こえてくる。幸い彼らはこちらに気付いてないようなので見える範囲で傍観する。
「んじゃ、行ってくるぜ村長」
「うむ…幼い頃から高め合ってきたお前達じゃ。その腕で出世のチャンスをもぎ取るんじゃ」
「任せてよ。村を豊かにしてみせるわ」
「そうすりゃ飢えて死ぬこともないからな」
短い茶髪の少年が勇ましく別れの挨拶を告げると、老人は哀感を込めて少年少女三人を送り出す。期待に答える様に、桜の髪飾りを付けた濡れ烏の長い髪を漂わせそう豪語する。続けざまに鉢巻を締めた黒髪の少年が眉を顰めながら呟く。
話を聞く限り、都へ行き出世して村を助けたいと志す彼らを見送る最中なのだろう。野暮ではあるが然程湿っぽい雰囲気でもないので、藍染は特に気にも留めず姿を現した。
「こんにちは。少し聞きたいことがあるのだけれど、構わないかい?」
「ん?何じゃこんな辺鄙な村に来客かの。申してみい」
若者三人は驚いて対応しきれずにいるが、老人は臆することなくその頼みを聞いた。
「実は迷ってしまってね。林を抜けたら君達にあったんだ。ここがどこなのか教えてくれないか?」
「ここはしがない村の外れじゃ。帝国の北東あたりになるかの」
「帝国…というのはどういったところなんだい?」
「お主…!よもや帝国すら知らぬというのか!?」
老人は一驚を喫する面持ちで驚嘆の声を上げ、彼だけでなく三人も重ね重ね驚かされ茫然と佇む。そんな状況をつくった当の本人は一貫して涼しげな表情を崩さずにいる。老人は帝国の歴史を簡潔に纏めて彼に話した。
帝国。千年前に始皇帝が統一及び建国したこの国は、何百年と亘って人々を支え支えられし続けてきた。それももはや昔、腐敗しきった帝国の圧政の波が田舎にまで押し寄せ、例外なくこの村も呑まれていき飢餓によって何人もの命が失われた。
「それを打破するために彼らが帝都とらやへ向かうと…」
「そうじゃ。本来なら年端もいかぬこやつらを向かわせるなど有るまじき事じゃが、何分この村には子供と年寄しかおらんからの…」
「ふむ…ではこういうのはどうだろう。彼らが私を帝都へ案内してくれるかわりに私が付き添うというのは」
「「「「は?」」」」
藍染が予想外の提案を挙げたことに思わず四人は頓狂な声を上げてしまう。
「彼らだけで向かわせるのは心許ない…そう感じているのだろう?ならば私も同行すればいい。丁度帝都とやらにも興味を惹かれたしね」
そう悠長に語る藍染の提案は悪いものではなく、むしろ好都合だった。手に掛けてきたわが子同然の彼らは逞しく育ったが、子供は子供。大人の同行者が傍にいれば嘗められることもないだろう。
(見たところ剣技も兼ね備えているようじゃし、誰も付き添わんよりかはましかの)
「うむ、ではお主に護衛を頼もうかの」
「まじかよ村長!?賊くらいなら俺達でも倒せるぜ!?」
「自惚れるんじゃない。お前らはまだ若い。村の外にはお前らより強い輩など山ほどおるわ。それに大人が一人混ざるだけでも襲われる可能性は減るじゃろう?」
村長にそう言われると茶髪の少年は異論を唱えずに自らの思い上がりを受け止め口を噤む。それを見た村長が悔しげに続ける。
「わしら老い耄れはもう長くない。お主らの顔を見るのもこれで見納めかもしれん。だからこれがわしからの最後の頼みじゃ」
村長は懐から手のひらサイズの石像を取り出し、少年の右手に強く握らせる。
「生きろ。生きて再びこの地に帰ってこい」
「…ああ!」
静かにだが力強く紡いだ言葉は少年にはっきりと届き、溌剌な返事を返す。
いつの間にかその場から少し離れ、様子を窺っていた藍染が声をかける。
「別れは済んだかい?」
「ああ、もう十分だ。そういえば自己紹介をしてなかったな。俺はタツミ、こっちがサヨで、こっちがイエヤスだ」
「よろしくね。護衛頼んだわよ」
「へッ!俺様に護衛なんざ必要ねえが、道案内くらいならしてやるよ」
向こう見ずで純粋且つ危うい茶髪の少年がタツミと名乗り、後ろの二人を紹介する。
花飾りのおなごはサヨといい、色々と苦労してきたのか年の割に大人びた対応で寛容に接する。鉢巻のおのこはイエヤスといい、村長の話を聞いていなかったのか驕り高ぶるがサヨが戒めるとすぐに態度を急変させた。将来尻に敷かれるだろうなと藍染は内心思う。
「それであんた名前はなんていうんだ?」
「私か…そうだな。アイゼンとでも呼んでくれたまえ」
「そうかアイゼンだな。これからよろしく頼むぜ!」
「ああ…よろしく」
タツミの屈託のない笑顔に藍染も笑みを返す。その笑みに含みがあることなど彼以外知る術もなかった。
改稿