川口信也(かわぐちしんや)は、大学卒業後、
山梨に帰ったものの、同じ商学部の友人、
森川純(もりかわじゅん)の父親の経営する株式会社モリカワの、
ライブハウスの経営を、東京を初めとして、
全国展開するという話に乗って、
森川純たちと仕事をすることに決めた。
そして、この2012年の10月から、東京の下北沢の町にある、
マンションを借りて暮らし始めた。
2DKのマンションを、ひと月13万円の賃料(ちんりょう)で借(か)りた。
東京の相場(そうば)では、部屋が2つとダイニングとキッチンの、
2DKは、アパートならば、10万円くらいと、
マンションよりは、3万円ほど安(やす)かった。
信也は、その3万円の差に、ちょっと迷ったのだが、
学生のときはアパートだったことや、
株式会社モリカワでの初任給は26万円で、
課長という役職手当(てあて)が3万円なので、
合計29万円になることもあって、
「余裕じゃん」と、マンションに決めた。
山梨に戻って、勤めた会社の信也の初任給は20万円だった。
川口信也の田舎(いなか)の、山梨県では、
2DKのマンションが、5万から6万円くらいで借りられるのだから、
今借りているマンションの13万円という、
その差には、信也もちょっと驚(おどろ)いた。
しかし、いまの給料は29万円、山梨のときは20万円なのだから、
住居費を差(さ)し引(ひ)くと、手もとに残る金額は、
どちらも、15万円くらいになるわけで、
信也は、「なんなのだ、これは?」と、
そんな変なところに、妙に、感心したり、
苦笑いをしたり、納得したりしていた。
株式会社モリカワでは、森川純の父親の、
社長の森川誠(まこと)と、森川誠の弟である、
副社長の森川学(まなぶ)の、
強い推挙(すいきょ)で、
早瀬田大学の商学部を卒業して入社したばかりの、
バンド・サークルのMFC(ミュージック・ファン・クラブ)の、
ロックバンドのクラッシュ・ビート(Crash Beat)のメンバー、
森川純や川口信也、
高田翔太(たかだしょうた)、岡林明(おかばやしあきら)の4人が、
課長職についた。
そのような新たな経営体制で、
ライブハウスの、東京での展開、次に全国展開という、
壮大なプロジェクト(計画事業)を
開始することになったのであった。
現在、居酒屋や喫茶店などの外食事業も幅広く開始している、
正社員だけでも300名を超えている株式会社モリカワでは、
この4人の若者の大抜擢(だいばってき)が話題になった。
おおよそ、この人選は、「あの目標やスケールの大きい、
社長たちのやることだから」と、
社員たちには好意的に受け入れられた。
下北沢で、洋菓子(スイーツ)やパンを売る小さな店だった、
株式会社モリカワの、この10年間ほどの急成長や、
斬新(ざんしん)な経営は、
しばしば、雑誌などのマスコミでも取り上げられるほどだった。
社長や副社長は、一種、カリスマ的な雰囲気の存在感であった。
川口信也のマンションの玄関のチャイムがゆっくりと1度だけ鳴(な)る。
テレビ・ドアホンの広角ワイドな、
カラーの大型・モニター画面には、
清原美樹(きよはらみき)と小川真央(おがわまお)の、
映(うつ)っていて、笑い声が聞こえる。
いまさっき、鏡を見て、あわてて、髪の寝癖(ねぐせ)を、
水をかけて直(なお)したばかりの、
信也は、「よお、よくきてくれました」と、意識した明るい声で、
玄関のドアを、丁寧(ていねい)に開(あ)けた。
≪つづく≫