雲は遠くて   作:いっぺい

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8章 美樹の恋 (その4) 

清原美樹(きよはらみき)と松下陽斗(まつしたはると)は、

さわやかにそよぐ春の風に、舞い散る、神社の桜を、

ベンチに座(すわ)って眺(なが)めた。

 

「きれいな桜が見れて、ラッキーよね、陽(はる)くん」

 

「散っていく桜も、胸にしみるもんあるね、美樹ちゃん」

 

「せっかく、きれいに咲(さ)いたばっかりの、

花なのに、すぐにまた、

舞(ま)い散(ち)ってしまうなんて、

ほんとに儚(はかな)いよね、はるくん」

 

「ひとの命(いのち)もね。

桜と同じくらいに、おれは、

儚(はかな)い気がする。

おれたちも、いつのまにか、

20歳(はたち)になっちゃったもんね」

 

「この染井吉野(ソメイヨシノ)も、

わたしたちと同じ、20歳(はたち)なのよ。

なんとなく、うれしいわよね。

同じ歳の桜なんて。

毎年(まいとし)、いっしょに、

見(み)に来(こ)れたらいいね。」

 

美樹はわらって、まぶしそうに、陽斗を見た。

 

「美樹ちゃんの瞳(ひとみ)、奥が深いね、

おれなんか、吸い込まれそうだよ」

 

美樹のきらきらとした瞳を見つめて、

ちょっと、頬(ほほ)を紅(あか)らめると、

陽斗は声を出してわらった。

 

「この桜も、樹齢20年かぁ。

このソメイヨシノじゃ、100年は生きられるかな?」

 

「そうね・・・、わたしたちよりは、ながく生きられそう・・・」

 

「おれたちの人生って、何年くらいになるんだろうね」

 

「わたしには、想像もできないよ。

いつまで、生きているかなんて。

・・・でも、陽(はる)くんとは、

いつまでも、仲(なか)よくしていたいよ・・・」

 

「おれも・・・、もう、美樹ちゃんがいない、

人生なんて、考えられない・・・」

 

ふたりに、見つめあう時間が、一瞬、流れた。

それから、どちらかともなく、ふたりは、

キスをかわした。

高校一年のとき知り合ってからの、

はじめての、愛を確かめ合うような、

熱いキスだった。

 

ふたりだけしかいない、神社(じんじゃ)の境内(けいだい)には、

午後の3時過ぎの、穏(おだ)やかな陽(ひ)の光が、

舞い散る桜や、近くの、ハナミズキの白い花、

新緑の植木などに、静(しず)かに、

降(ふ)り注(そそ)いでいた。

 

「わたし、おみくじ、引(ひ)きたい」

 

「じゃあ、おれも、おみくじ引こうかな」

 

つないだ手はそのままに、

ふいに、くちびるがはなれると、

美樹(みき)と陽斗(はると)は、そんな話をして、わらった。

 

それから、ふたりは、

紅(あか)らんだ、おたがいの顔に、

おかしさが、こみあげてきて、

いっしょになって、声を出してわらった。

 

神社の桜の木のそばのベンチで、

はじめてかわしたキスは、

ふたりには、まるで夢の中の、

物語でも見ているような、

現実感の希薄な感覚であった。

 

ベンチの上には、ときおり、

春の陽(ひ)に照(て)らされながら、

淡(あわ)いピンクの花びらが舞い落ちる。

 

ふたりには、時間が止まったような、

神社の境内の風景だった。

 

祈祷済(きとうず)みの、お札やお守りや絵馬(えま)、

おみくじなどを頒布している授与所(じゅよじょ)へ向かって

ふたりは、ぶらぶらと歩き始めた。

 

神社の入り口の、神域(しんいき)の

シンボルの鳥居(とりい)や、

本殿(ほんでん)や拝殿(はいでん)、

参拝者(さんぱいしゃ)が、

手や口を清(きよ)める場所の、

手水舎(てみずや)などの建築は、

朱色(しゅいろ)で統一されている。

 

赤い色は、魔除(まよ)けの色であり、

命や生命力の象徴の色であった。

 

その赤(あか)は、朱(あけ)と呼ばれて、

まさに神聖な趣(おもむき)があった。

 

鳥居(とりい)のすぐそばに、

庇(ひさし)の大きな、黒塗りの屋根の、

手水舎(てみずや)がある。

 

小さな男の子と女の子をつれた、

5人の家族らしい参拝者が、

柄杓(ひしゃく)で、水をすくって、

手を清めたり、うがいをしていた。

 

ここ、下北沢・神社は、

交通安全や災難などの厄除(やくよ)けや、

福(ふく)をもたらす神様(かみさま)、

商売繁盛(はんじょう)の神様、

縁結(えんむす)びの神様などで、

地もとには有名であった。

 

「わたしんちも、陽(はる)くんちも、家(いえ)の宗教が、

神道(しんとう)だなんて、

やっぱり、なにかの、ご縁(えん)ね、きっと・・・」

 

「そうだね。きっと。神道って、

教祖(きょうそ)も創立者もいないし、

守るべき戒律(かいりつ)も、

明文化(めいぶんか)してある教義(きょうぎ)もないじゃない。

めんどうくさくなくって、いいよね」

 

「そうそう。むずかしくないところが、わたしも好き」

 

そういいながら、ふたりは、5人の家族連れのいる

手水舎(てみずや)の横道を歩いて、

石垣(いしがき)に囲(かこ)まれた高台の上のある

本殿(ほんでん)や授与所(じゅよしょ)へ向(む)かった。

 

ときおり、かすかにそよぐ風が、ふたりには、

やさしい感触(かんしょく)で、心地(ここち)よかった。

 

「神道(しんとう)って、日本では、古来からあって、

大昔(おおむかし)からあったじゃん。

自然が神さまっていう、自然崇拝(すうはい)の思想だよね。

ちかごろじゃ、人間は、自然を壊(こわ)して、

自分の欲望のままに生きいるけど。

 

おれ、大昔の人間のほうが、優秀つーか、偉かった気がする。

自然を貴(とうと)び、崇拝(すうはい)するっていう点では。

 

自然の中の生命の営(いとな)みや、動物や植物とか、

山や森や海や岩とかにも、神の力を感じて、

畏(おそ)れ、慄(おのの)いたっていうからね。

 

現代人は、自然を征服(せいふく)したつもりでいるけど、

どちらの考え方が正しいのだろうね。美樹ちゃん。

おれは、古代人のほうが正しいと思うよ」

 

「わたしも、古代人かな。陽(はる)ちゃん、すごいよ。

哲学ばかりじゃなくて、宗教も詳(くわ)しいんだね」

 

「宗教も、思想だからね。興味があるんだよ」

 

「ふーん」

 

≪つづく≫ 


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