森川誠の向かい側のテーブルにいる、長男の森川良と、その弟の森川純のふたりが、
一瞬、顔を見合わせて、良が、「おやじ・・・」と小さく、つぶやいたり、
苦笑(にがわら)いして、ふたりとも、うつむいた。
「・・・考えこむのも、たまにはいいものなんです。突然、ひらめきがあったんです。
アイデアがわいたんです。・・・わたしは息子たちにいったんです。
モリカワで、ライブハウスを、東京をはじめとして、全国展開するから、
モリカワに入社して、仕事してみないかってね。
息子たちは、親の七光りとか、嫌(きら)いだとかいって、親の会社に入社することには、
ずーっと、抵抗していたんです。
ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』って感じかって、私は思ってました」
といって社長は、わらった。会場も、静(しず)かな、わらいに、どよめいた。
「まあ、わたしには、そのとき、すでに、ライブハウスなどの、
芸術・文化の事業の全国展開というアイデアが、浮かんでいました。
それが、現在のように、ここまで、的中して、うまくいくとは思っていませんでした。
最近じゃあ、このまま、この事業展開がうまくいけば、株式上場して、
世界への事業展開もいいのかな、くらいに考えているんです。ですから・・・、
みなさんも、夢をもって、仕事に励(はげ)んでいただきたいものです。以上です」
そういって、森川誠は、また、腹から声を出してわらった。
「社長、副社長、お話をありがとうございました。
それでは、みなさまからの、ご意見など、
ほかにありますでしょうか」
市川真帆(いちかわまほ)が魅惑的な笑(え)みで、みんなを見わたしていった。
「あのぅ、ちょっと、意見があります」と、統括(とうかつ)・シェフ(料理長)の
宮田俊介(しゅんすけ)が、ちょっと挙手した。
今年で、35歳になる宮田俊介(みやたしゅんすけ)は、腕のいい、若手シェフだった。
今年、25歳になる、副統括・シェフの北沢奏人(かなと)の、よき師匠(ししょう)であった。
「立川(たちかわ)のパン工房の店長や、そのほかの店舗(てんぽ)からも、
『どうしたら、製造作業の、ミス(あやまり)やロス(損失)を無くせるでしょうか?』
と、相談を受けています。
わたくしの経験からいえば、料理をつくるとき、ミスやロスを防止するため、
必(かなら)ず『OK(オーケイ)』と無言(むごん)で、自分に確認するようにしているんです。
奏人(かなと)にも、それは実践してもらっているんですけど、
確実に、その方法には、ミスやロスを防(ふせ)ぐ効果があるんです。
そこで、その『OK(オーケイ)』とか『よし』でもいいんですが、
無言の確認を、全社的に、実施(じっし)しては、どうかと思うんですけど。
いかがなものでしょうか・・・」
そういうと、宮田俊介は、向かいのテーブルの、社長や副社長を、
ひかえめに見ると、しずかにちょっと微笑(ほほえ)んだ。
「それは、いいアイデアですね。ミスやロスを防止する
方法として、なにも対策もしないで、ただ、『注意してする』
だけより、『OK(オーケイ)』と無言でもいいから、
確認したほうがいいでしょう。
さすが、名シェフの俊介さんだ。ありがとう。
さっそく、このアイデアは、全社的に、実践しましょう」
そういって、社長の森川誠は、満面(まんめん)の笑(え)みで、
上機嫌(じょうきげん)で、大きな声でわらった。
「そうそう、岩崎さん、農業・事業部の、IT(アイティ)化計画は、順調かね。
農作物のデータを数値化や、パソコンでの管理で、効率のいい農業の
実現ができるからね。わが社の利益・創出の生命線ですからね」
森川誠が、向かいのテーブルの、コンサルティング・ファーム・部長の
岩崎健太に、そういった。
今年で37歳になる岩崎健太は、IT(アイティ)技術者でもあり、
モリカワのウェブ・アプリケーションをつくったりする、IT部門のリーダーだった。
「ええ、順調です。できるだけ、パソコンで管理できるシステムを、
導入してゆきます。そうすれば、おいしい野菜や果物を、量産して、
コストダウン(原価低減)もできます」と岩崎はいった。
「岩崎さんも、アイデアの天才っぽい人ですからね。モリカワは優(すぐ)れた
人たちに、本当に恵(めぐ)まれています。みんなで、がんばりましょう」
森川誠が、そんな言葉をのべて、会議は終了した。
≪つづく≫