絵を完成させよう その1
カッチ、カッチ、カッチ、カッチ。
時計の秒針にあわせて手元のパネルをスライドさせる。アヴェンジャーはテーブルの脇の椅子に腰掛けておもちゃのパズルをいじりまわしている。パネル同士がぶつかるたびにカチカチと軽い音がした。
カッチッチ、カッチッチ、カッチッチ。
部屋のソファの上では彼のマスターが眠ったように、死んでいる。アヴェンジャーはパズルのパネルを弾きながらマスターの
拍子を微妙にアレンジしてパズルを続ける。真夜中の暗い部屋の中にパネルの弾け合う音だけが響いている。まるで陽気なポルカのような場違いなリズム。
カッチカチ、カッチカチカチ、カッチカチ、カッチカチカチ、カッチカチ。
「———、ぁ———」
パネルで奏でていたリズムの中に艶かしい吐息が混ざった。彼のマスターがようやく目を覚ましたようだ。アヴェンジャーがソファに顔を向けると横たわっていた
「———、う…………」
微かな声をあげて、アヴェンジャーのマスター、バゼット・フラガ・マクレミッツはソファに座り直した。蘇生してしばらくは意識がぼんやりしている。泥酔後の朝のようなめまいを軽く頭を振って追い払った。
「ようやく目が覚めたかマスター」
目の前で声がしてバゼットは顔を上げた。そこには全身に黒い模様を帯びた少年が立っていた。彼女の相棒。残忍で凶悪で、殺しが大好きで、自己の欲望に忠実な、油断のならないサーヴァント。
アヴェンジャーは軽薄にケラケラと笑いながら、いつも通りのセリフをバゼットに告げる。
「さあ、聖杯戦争を続けよう」
いつも通り手早く出撃の準備を整え、バゼットは部屋を出ようとテーブルの脇を通り過ぎた。その時テーブルの上に乗っているものに目が止まった。
先を行くアヴェンジャーを呼び止める。
「このパズルは?」
「見りゃわかるだろ、絵だよ絵」
アヴェンジャーがいつも遊んでいるパズルだった。絵を16ピースに区切り、そのうち一枚を取り外してシャッフルし、空いたブロックへ動かして元の絵に戻す。16パズルと呼ばれる単純な絵合わせだ。
その絵柄はといえば、小さくて白い一輪の花の絵。どこにでもあって何の代わり映えもしない地味でつまらない絵だった。
この前の夜の巡回のとき、バゼットはアヴェンジャーの望みを尋ねた。アヴェンジャーはこう答えた。
———強いて言えば、絵を完成させることかな。
「まさか、絵を完成させるのが望みだと言っていたのはこれなのですか?」
バゼットがアヴェンジャーの後ろ姿に問いかけると、アヴェンジャーはそっぽを向いてとぼけていた。図星なのだろう。
はあ、とバゼットはため息をついた。なにか深い比喩なのかと思っていたのに拍子抜けだ。
「真面目に答えなさい」
バゼットはアヴェンジャーを叱りながら出口に向かった。アヴェンジャーは、はいはーい、と不真面目な返事をしながらバゼットに先だってとっとと外に出て行く。
まったくこのサーヴァントはいつまでたっても変わらない。野蛮だし、弱いし、口だけだし、と呆れながらバゼットは部屋のドアに手をかけた。出がけに振り返るとあのテーブルとパズルが見えた。
「それにしても、あんなものが好きとは。アヴェンジャーにも案外子供らしいところがあるものだ」
バゼットは自分が眠っている間、一人で延々とパズルに没頭しているアヴェンジャーの姿を想像した。椅子に背を丸めて座りひたすらパネルを弾いている姿は、少し可愛らしいと思った。
日頃からその無邪気さを素直にだしてくれればいいのに。そうしたら彼をもう少しは親愛なるパートナーと感じられるかもしれないのだが。
ドアを締める間際、バゼットはふと名案を思いついた。
「あんな単純なパズルでは飽きてしまうでしょう。代わりにもう少しやりがいのあるものを準備して上げましょう」
そうしてバゼットとアヴェンジャーはまた繰り返す4日間に出かけていく。
「———、ん…………」
バゼットは目を覚ました。今夜はいつもの カッチ、カッチというパズルの音が聞こえない。テーブルを見るとアヴェンジャーはいつもの椅子に腰掛けていなかった。
「よ、よう。目が覚めたかマスター」
声がしたほうを見るとアヴェンジャーは床に這いつくばり、あたり一面に広がった細かい絵の欠片を必死で合わせている。
「ねえ、マスターこれは何?」
笑顔を引きつらせ、床からバゼットを見上げるアヴェンジャー。バゼットは自慢げな表情をしていた。
「先日買っておいたのです。作りがいがあるでしょう?」
バゼットはそう言いながら棚に歩いていき、そこに置いてある箱をとって戻ってきた。箱の表をくるりとアヴェンジャーに向けてみせる。
パッケージ全体に美しく色鮮やかなガラスの絵がプリントされていた。
救いを求める人々の頭上で万華鏡の様に輝く光。繰り返す円で形作られた神秘的な薔薇の花。
それは、荘厳かつ神聖なる図形。創造主に捧げられた聖なる祈り。
「ノートルダム大聖堂のステンドグラスのパズルです。大型版、全2000ピース!」
「ええええええええ!」
床に尻餅をついたまま悲鳴をあげるアヴェンジャー。喜ぶと思ったのに、とバゼットは思わず眉根を寄せた。
「おや、不満なのですかアヴェンジャー」
「だってさマスター、これ全然出来上がらないよー」
アヴェンジャーの周りには中途半端に合わさった絵の欠片がばらばらと散らばっている。元の形にはほど遠い。
バゼットはソファを降りて、途方にくれているアヴェンジャーの横に座り込んだ。
「仕方ないですね。出撃にはまだ時間がある。私も手伝いましょう」
カッチ、カッチ、カッチ、カッチ。
部屋の中に時計の秒針の音だけが淡々と響いている。
ぱち、ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。
バゼットとアヴェンジャーは床に座り込んで無言でパズルのピースを合わせ続けている。小さかった絵の欠片は徐々に大きくなってきた。最初は原型をとどめていなかった破片ばかりだったが、今なら作り上げた欠片を上から俯瞰すればステンドグラスの全体像を思い浮かべられそうだ。
「ねえ、マスター」
「なんですか? アヴェンジャー」
アヴェンジャーは隣でパズルを組み立てているバゼットに声をかけた。バゼットはちょうどアヴェンジャーにお尻を向けた格好で四つん這いになって次に繋げるパズルのピースを探していた。
「あのさ、そこにある塊がオレのところにある塊とくっつくハズなんだ」
「え? そこって、どれのことですか?」
「ほら、今ちょうどアンタの体の真下にあるヤツだよ」
アヴェンジャーはバゼットの足の間に、にゅ、と手を伸ばした。そこにある作りかけの欠片を触ろうとしたつもりだったのだが。
「ちょっとアヴェンジャー!?」
「おいマスター、急に足を閉じるなよっ」
手を足で挟まれかけて慌てたアヴェンジャーはそのまま体ごとバゼットの真下に潜り込んだ。
「なぜ私の体の下に潜り込もうとするんですか!」
「だーかーらー、アンタの体の下にあるパーツが欲しいんだってば。じっとしててくれよマスター」
騒ぐバゼットに抗議しようとして思わずアヴェンジャーは頭を上げた。顔にむにっ、と柔らかい感触につつまれた。
「……………………………………」
すとっぷ、ざ、わーるど。
バゼットとアヴェンジャーはしばしその姿勢のまま停止する。
カッチ、カッチ、カッチ、カッチ。
時計の秒針の音が静まり返った部屋の中でやけに大きく聞こえる。
らっきー、とアヴェンジャーの心臓が熱くなる。そして同じだけ、やばいっ、と背筋が凍り付いていく。
案の定、その次の瞬間には、
「なにをしているんですか、アヴェンジャー!!」
どがっしゃああああぁぁぁぁ!!!
バゼットの鉄拳に弾き飛ばされてアヴェンジャーの体はごろごろと床を転がり、壁に激突していた。
床の上には粉々の破片に戻ったステンドグラス。木っ端みじんになって散らばる作りかけの絵。ああ無情。
「あーあーあ」
アヴェンジャーは壁に打ち付けた頭をさすりながら立ち上がり、消え失せた絵の跡を残念そうに眺める。
「時間です、アヴェンジャー。出かけましょう」
バゼットは絵のことなんて忘れたとでも言いたげに、しれっと出撃の準備をしていた。
そしてまたバゼットとアヴェンジャーは、散らばった欠片を拾い集めに4日間を繰り返す。
「あ、あった……」
アヴェンジャーは部屋を探しまわり、棚の隅にいつものパズルを見つけた。
「まったく、なんで女って男のお気に入りのものを隠すんだろな?」
アヴェンジャーはテーブルの前の椅子に座り、目の前にパズルを置いて爪弾きはじめる。
カッチ、カッチ、カッチ、カッチ。
ありふれた小さな白い花の絵。
どこにでもある平凡な絵柄。死にたくないという凡俗な願い。
だからこそ綺麗なこの絵を、今日も作り続ける。
「———、ぁ———」
あえかな吐息が聞こえた。マスターが目を覚ましそうだ。
「さあ、聖杯戦争を続けよう、バゼット・フラガ・マクレミッツ。こんどこそ、君の望みをみつけるために」