冬木市新都の牛丼屋
脂ぎった丼飯をかき込むオレの横で、オレのマスターは無言で座っている。背もたれなんかないカウンターの丸椅子に、すっと背筋の伸びたキレイな姿勢で。
それはこの牛丼屋にまことに似つかわしくない。
夜の街、残骸どもを蹴散らしたバゼットは唐突に言った。
「空腹になりました。食事を摂りましょう」
バゼットがそう言って、たまたまオレたちの目の前にあったこの店に入ろうとしたあのとき、オレはなんとしても彼女を止めるべきだった。
強引に腕を掴んでも、無理矢理羽交い締めにしても、いっそ地面に押し倒してでもだ。
飯を終えて店から出たバゼットにオレは感想を聞いた。まずかった、失敗だったというオレの予想回答をバゼットは軽やかに越えてみせた。
「量が多かったですね、調理時間が1分弱とはすばらしい。次もこの店を利用しましょう」
こうして、男ものスーツを着込んだ外国人の女と全身に模様のはいった少年という珍妙な二人組は、この冬木市新都で一番安くて、まずくて、量が多いと評判の牛丼屋の夜の常連客になったのだ。
「急がず食べなさい、アヴェンジャー」
オレの隣でバゼットが言う。言い終わると、手にした湯のみのお茶を一気に飲み干した。 たん、とカウンターに空の湯のみが置かれる音が響く。
……プレッシャーを、感じるんですが。
「私の料理よりも、あなたの料理が出てくるのが5分も遅かったのですからしかたありません」
あっ、オレの心の声に気がつきやがった。
バゼットはため息をつきながらあきれた目をオレに向けた。
この牛丼屋の期間限定メニュー、チーズすきやき丼は、定番メニューの牛丼よりも調理に時間がかかる。
期間限定メニューと言ったって、所詮この牛丼屋のメニューだからたいしておいしくもない。けれども、オレは毎回おなじ牛丼では味気ない。だからいつもまだ頼んだことのない新しいメニューを頼むのだ。
さて今日頼んだメニューは、うーん粘っこいチーズが安っぽくて薄い牛肉の脂身に絡み付いて、とてもオイリー。
バゼットはいつも同じ牛丼である。
そしていつも同じスピードで食べ終わる。きっかり3分。ブレはない。
「マスター、たまには牛丼以外も頼んだらどうよ。 いつも同じじゃ飽きないか?
このチーズすきやき丼、ゲテモノっぽいけど案外いけるぜ」
「必要ありません。私はいつものメニューで十分だ」
「スープは余計だっていうけどさ、豚汁に変更するとうまいんだぜ。人参や牛蒡が味噌にあうし、そこに豚の脂が溶け込んでまろやか」
「前言撤回です。アンリ、無駄口を叩く暇があるならさっさと食べなさい」
やれやれ効果なしだ。オレのマスターは食事は栄養摂取と割り切っている。
そうしてバゼットは、ずっと退屈な牛丼ばかりをくりかえしている。どうせ他のメニューだって対して変わらないでしょう。だったら牛丼でいいと。
アンタは子供の頃からそうやって、代わり映えのしないつまらない日常を繰り返してきたのに。
いつになったら真実を思い出すのだろう。本当は思い出したのに都合良く忘れたふりをしているのか。
それにしたって、いくら新しいメニュー、未知のメニューを頼もうとも限度ってものがある。牛丼屋にしてはメニューが多かったこの店でもオレが頼んだことがないメニューは減ってきた。徐々に魅力を失っていく店のメニュー。
牛丼屋の店内には次の新メニューの広告ポスターが張り出されている。
あっ、つぎは月見激辛カルビ丼なのね。うーん、何週間か前に似たようなの食べたな。
ほとんど代わり映えのしない新メニュー。退屈しながらクリアし続ける。
それは、ここを出るよりも楽だから。
でも、もうほとんど食べ飽きちまったから。
なにか新しいメニューの為に、別の店に行きたいです、マスター。
「貴方は世界の終わらせ方に気がついたのですか?」
と教会のシスターは言った。
「その為には絵を完成させなければいけない」
とも。
だからオレは絵を作り上げる為に欠片を探している。
この世界はいずれ全ての結末が出そろってしまう世界。所詮は作り込まれた箱庭。
続けたいのなら行動してはいけない。空虚な揺り籠のなかで微睡んでいればいつまでも居続けられる。
必要最低限の
でもそんな退屈な隙間を守る必要なんてあるだろうか。
それは変わらない日々を円滑に進めていくための空白。日常に空いた都合のいい穴、溢れ出す感情を受け入れる廃棄場。
オレは貪欲に
あのシスターの声を思い出す。
「貴方は虚無よ。生まれていないもの、未知のものがあるかぎり在り続ける。
けど、全てが生まれてしまったら貴方の居場所はどこにもない。
この日常がうまっていけばいくほど、貴方は輝きを失っていく」
違う、失っていくのではない。
「貴方は世界への関心を失って、もとの無に戻るのよ」
元の、正しいカタチに戻るのだ。
オレは隣にいるバゼットの顔を見る。彼女はクールな表情で宙を見つめている。
そうやって気づいていないふりをして、でもアンタももうおおかたの顛末に気がついたんだろう?
ここにいても、どんなに繰り返しても、アンタが求めたモノは手に入らないんだってことを。
こうして毎晩一緒に夜の街にでかけて、街をさまよい、敵と戦い、殺されて1日目に戻る。
マスター、アンタとは何度こんな繰り返しを続けただろう。
そんなほとんど代わり映えのしない日々のささやかな幸福。そして退屈。
オレはこんな関係が結構気に入っていたのだ。
でも、もう飽きちまったから———。
もう欠片はほとんど埋めてしまった。
輝きを失ったこの世界。それでもわずかな隙間がある限り続けられる世界。
この日々を終わらせよう、マスター。
アンタは本当は毎日を楽しめるのに、自分から放棄してしまうなんてもったいない。
眠り続ける聖杯の主よ、目を覚ませ。
オレは天の逆月に至り、最後の一欠片を埋めよう。
この繰り返す世界を終わらせて、なにか新しいモノの為に。