人里にある奇妙な屋台。そこには日頃のグチをこぼしに様々な客がやって来る。
『・好きなだけグチってください。
 ・一人で来て下さい。
 ・知り合いに会っても、知らぬフリをしてください。
 ・ここで聞いたことは、絶対に他言しないでください。』

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今日も少女は愚痴をこぼす

 人間の里は、その名の通り幻想郷で一番多くの人間が暮らす場所であり、妖怪の脅威がない安全な場所だ。

 だから日が落ちてしまっても、里の通りを出歩く人の姿はまばらに見ることができる。私もその一人だった。

 

「…………」

 

 龍神様の石像がある広場から東に進んだ大路には、何件もの大衆居酒屋や飯屋を見ることができた。

 日ごろの鬱憤や仕事のウサを酒の力を借りて晴らしたい者にとって、店の赤暖簾は誘蛾灯(めじるし)のようなものなんだろう。店先の赤提灯に灯が灯り、数人の常連客と思わしき者達が暖簾をくぐっていく。串を焼く煙や酔っぱらい達の笑い声が店の外まで聞こえてきた。

 …その楽しそうな様子が妙に癪に障る……。

 

「はぁ。……まったく、こんなの私らしくないぜ」

 

 気分がどんどん沈んでいくのを自覚して、私――霧雨魔理沙は自嘲気味に呟いた。

 これじゃ駄目だ。気分転換するために里まで飲みに来たはずなのに、何やってるんだかなぁ……。

 ――3ヶ月ほど家に籠り、入念な準備をして挑んだ魔法実験だった。

 これが成功したら相応しい名前を付けてやって、新しいスペルカードとして霊夢との弾幕ごっこに使うはずだった。いや、もう名前候補をいくつか決めてさえいた。

 でも、結果は失敗。何が悪いのか何度も見返しては調べ、検証した。その原因は実験の根本的な部分。魔法式の理論の間違いだった。

 つまり悪いのは自分。全部私の思い違い。正直に言って、これはかなり堪えた。

 相手は誰でもいいから憂さ晴らしに弾幕ごっこでも……と思ったが、そこで食料の備蓄が心もとないことに気がついた。捨食の魔法をまだ会得していない私にとって、食べる物がないというのは文字通り死活問題だ。

 そこで気分転換も兼ねて里へ買い出しに出かけ、ついでに酒でも飲んで嫌な気持ちを忘れようと思ったのだ。だが、私がたまに利用していた居酒屋は生憎と満員。ならばどこの店にしようかと、今は当てもなく歩いているのだ。

 

「あれ、…………なんだ?」

 

 そうして、ほんの一本だけ道を違えた裏路地にその屋台はあった。暖簾には『ぐちり屋』と書かれた文字が書いてあるだけ。何を出している屋台なのか分からない。……まあいい。入ってみれば分かるだろう。単なる好奇心と、誰も客がいないからという理由が半分ずつあった。

 

「ヘイらっしゃい」

「あ、ああ」

 

 暖簾をくぐると現れたのは、いかにも人が好さそうな、穏やかな表情の親父だった。年齢は私の父親(オヤジ)よりもだいぶ年上だろう。

 ……おでんの屋台だったのか。私が普段行く屋台といえばミスティアの八目鰻の屋台くらいだからな。こういうのも、たまにはいいのかもしれない。

 

「親父、熱カン。あとチクワとガンモとタマゴ」

「へい」

 

 威勢のいい返事と共に徳利と御猪口が目の前に出される。一口飲んでいる間に、頼んだおでんも皿に盛られて置かれていた。

 うん。味は悪くないじゃないか。見た目は質素だが、これはこれで中々に風情があっていい。思わず顔が綻ぶのを自覚する。味がよく染み込んでいて、じんわりと、体の芯から温まっていくようだ。

 

「お嬢ちゃん、ウチは初めてだねえ。何か悩みや不満でもあるなら、ここでグチでもこぼしていってくださいね」

「は? い、いや、その……私は別にそんなコト…………」

 

 いきなり親父に話しかけられたせいで、しどろもどろな対応になってしまった。

 そんなに私は感情が顔に出易いんだろうか? 思わず右手で頬を触ってしまう。

 

「いえね、赤の他人だからこそ話せる事もあるってもんでしょ。人にはね、こういうグチをはく場所が必要なんですよ」

「……そういえば、この店の名前も『ぐちり屋』って書いてあったな。でもなぁ……」

 

 その名前は気になっていた。普通のおでん屋台なら『おでん』と書いておいてほしいもんだが、そういう店だったのか。

 いやしかし、仮にも私は自機(しゅじんこう)として東方シリーズを代表するキャラの一人だ。あまり変な事言ったりキャラ崩壊させるとファンが黙っていないだろう。

 

「大丈夫です。ウチはお客さんのプライバシーは完璧に守りますんで。

 こっから先は三人称読者視点にして。誰が喋ってるか分からないように名前とか地の文もぼかしておきますから、何でも喋れますよ」

「ああ、そうなんだ」

 

 

 屋台の親父が何を言っているのかは分からなかったが、白黒の服装に身を包んだ少女はとりあえず頷いておくことにした。

 こういう訳の分からない台詞を言う奴は、幻想郷では珍しくない。

 

 

「ちなみに、ここでは顔見知りと出会っても知らねェ顔してやるのが通の飲み方なんで」

 

 そう言ってニヤリと笑うと、親父はどこからかプラカードのようなものをサッと取り出した。

 そこに書かれているのは簡素な注意書きのようなものだった。

 

 

『・好きなだけグチってください。

 ・一人で来て下さい。

 ・知り合いに会っても、知らぬフリをしてください。

 ・ここで聞いたことは、絶対に他言しないでください。』

 

 

「コレに書いてあるように、ここで聞いた話は他言しない事。スグ忘れること。何のしがらみにもとらわれずグチ吐ける場。それがウチの店なんですよ。だからホラ、お嬢ちゃんも今夜は余計な事考えずに、腹ん中全部ブチまけていってくだせェ。浮世の垢を全部落として、明日からスッキリ生きていきやしょうよ」

「まあ、そこまで言うなら……」

 

 結局親父に勧められるがまま、少女は口を開いていた。酒の力もあったのだろう。

 それは3ヶ月もかけた魔法の研究が駄目だったことに始まり、魔法の才能に関する不満と不安。弾幕ごっこのこと。スペルカードのこと。人気投票のこと。友人の巫女のこと。知り合いのこと。半人半妖の店主のこと。……愚痴る話題は後から後から出てくる。親父はそれを静かに、時には相槌を打ちながら聞いていた。

 少女は、普段はこうした胸を内を明かしたり、自分が努力する姿を他人に見せることを何よりも嫌う。彼女は嘘吐きだからだ。しかし今日だけは不思議と、全部話すことができた。

 

「へへへ。……なぁに、難しく考えることはありやせんて。夢が人を裏切るなんてこと、その人が諦めない限り絶対にありえないんですから。……お嬢ちゃんはまだ若い。確かに無駄にした時間は取り戻せないかもしれねぇですが、新しい時間がきっと何かを与えてくれるはずでさあ」

 

 最短の方法で楽をして手に入れた物には何の価値もない。苦労してこそ、そこに意味が生まれるものだ。

 親父はそう言って話を締めくくると、御猪口に新しい酒を注いでやった。少女はそれをちびちびと飲みながらおでんの味を楽しむ。確かに親父の言った通りだ。口に出してしまえばスッキリする。彼女は自分の心が軽くなったのを感じていた。

 

 日中の暑さが嘘みたいに涼やかで、狂気を放つはずの満月の月明かりも今はどこか温かさを感じられる。

 穏やかな時間がゆったりと過ぎていく。そんな時だった。

 

「邪魔するぞ、親父さん」

 

 屋台に凛とした声が響く。新しい客がやって来たのだ。

 

「ヘイらっしゃ……おお! いらっしゃいテンコーさん。こんなむさ苦しいオヤジがやってる店にアンタみたいな美女が何度も来てくれるなんて、嬉しい限りだよ」

「ははは、世辞を言っても何も出ないぞ。ここで出すのは愚痴だけだ」

「へへ、ならいつもみたいに腹ん中の不満は全部ここでブチまけていってくだせェ」

 

 少女は竹輪を摘まみながらその会話を聞いていた。

 ぎこちなさの欠片もない自然な話。その、さも愉快といった風なやり取りを聞く限りどうやら常連客であるらしい。

 

「お嬢ちゃん、すまねェがちょいとつめてもらえやすか? この人尻尾デカイから」

 

 親父が申し訳なさそうに言う。尻尾という単語が気になったが、白黒衣装の少女は素直に右側に移動して席を開けることにした。

 人間と妖怪の関係が近くなった現在、人里の中で妖怪が普通に買い物をしている姿を見ることもそう珍しいものではない。カフェや居酒屋でもそれは同じことだ。ならば妖怪、もしくは妖獣が客として来るのは何らおかしなことではない。

 

「あ、すいません」

「いやいや、どうぞどうぞ」

 

 少女が端に寄ったのを見て、テンコーと呼ばれた客が礼を言う。中々に礼儀正しい性格のようだ。

 それよりも、少女はこのぐりち屋にグチをこぼしに来るのがどんな人物なのか気になった。だから隣の女性の顔を見ようと首を向けた。それは相手も同じであったようだ。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙が痛い。偶然にも、二人は互いに見つめ合うような形となった。そのポーズのまま視線が固まる。どちらも無言、完全に動きが停止してしまっていた。

 親父が言っていた通り、確かに女性は美女であった。金のショートボブに金色の瞳。その顔の造形は美しく、知性と気品に溢れていた。その頭には獣の耳をしまうための二本の尖がりを持つ帽子を被っており、服装は古代道教の法師が着るようなゆったりとした長袖の服。その上に青い前掛けを被せている。そして何よりも特徴的なのがその尻尾。扇状に広がる金色の狐の尾が……9本。

 

「…………」

「…………」

 

 嫌な沈黙だった。どちらも口を開かない、開けられない。どうしたらいいのか、どう対応したらいいのか分からない、気まずい空気で満ちていた。

 その膠着状態を破ったのはどちらでもなく、店の親父であった。

 

「おや、どうしやしたお二人さん? まさか…………」

 

 そう言うと、サッとプラカードを掲げて見せる。

 

『・好きなだけグチってください。

 ・一人で来て下さい。

 ・知り合いに会っても、知らぬフリをしてください。

 ・ここで聞いたことは、絶対に他言しないでください。』

 

 それ以上、親父は何も言わなかったが、ちょいちょいとプラカードに書かれた文を指差してみせた。ぐちり屋のルールである。

 

「……いや、別に。何でもないぜ」

「う、うむ。…ゴホン! 親父さん、熱燗。それと適当に選んだのと、いつもの……」

「へい、油揚げでございやすね」

 

 少女が他人のフリをしたのに合わせて、テンコーさんも取り繕うように注文を出す。ただ、その顔は不自然なほど汗を流した固い表情だったが。

 飲んで食って騒いでしまえば、この空気も変わるはず…! そんな淡い希望に縋りついたが故の行動だった。

 

「…………」

「…………」

 

 だが、またしても沈黙。親父が御猪口と徳利を出して、おでんの具を選んでいく。その間、どちらも口を開かない。

 少女は意を決してテンコーさんに話しかけることにした。このままではらちが明かないと思ったのか。それとも単に今の雰囲気に耐えられなかったのかもしれない。

 

「……あのォ。けっこう来るのか…いや、来るんですかこのお店」

「は?」

「いや……今のその、いつものって。何度も来てるみたいだし」

「…………」

 

 そう、親父との会話や油揚げ云々の応対を見る限りテンコーさんはどう見ても常連だった。

 この屋台が『ぐちり屋』であることを考えると、相当な恨み辛みが溜まっていることが予想できる。まあ彼女の主人のことを考えると、やはり気苦労は多いのかもしれないが。

 

「意外とその、グチとか……たまってるカンジで?」

「い、いやいや。……その、ちょっとだけな。ほんの3~4回だったかな、なあ親父さん?」

 

 明らかに狼狽した様子のテンコーさんが親父に同意を求める。口元は引き攣り、その表情は半笑いのようにも見えた。

 

「50回位来てますね」

「あっ、おいちょっと止めて余計なこと言わないでやめて……!」

 

 バッサリだった。

 

「え? 今日もグチを言いにここに……」

「いやいや。今日は普通に飲みに来ただけで……。主におでんとか油揚げとかをだな……」

「またあの妖怪紫ババアのことですかい!?」

「オヤジぃぃ!! お願いだから余計なこと言わないで、やめてェェ!!」

 

 もはや悲鳴に近い懇願だった。これ以上言うと本当に泣きだすかもしれない。

 テンコーさんのうろたえ様は激しく、面白さを通り越して憐れみさえ浮かんでくるようだ。

 

「へぇーーー。紫ババアなんて妖怪がいるんだ。えんがちょだな。そりゃグチも出るってもんだぜ」

「いや違うからな!? 確かにアレだけど、別に私はネチネチと悪口を言ったりするわけじゃなくてだな――」

「そうですね。ネチネチ悪口っていうか、毎回簡潔に『死ねッ』って言ってるだけですもんね」

「オヤジぃぃ!! 『死ね!!』 お前が死ね!」

 

 ついにテンコーさんがブチ切れた。ガタンと席から立ち上がり……しかし、操り人形の糸が切れたかのように力なく突っ伏してしまう。顔を両手で覆い、その表情は見えない。

 

「いや聞いてやってくださいよお嬢ちゃん。こちらのテンコーさんの主人、それがトンデモナイ駄目妖怪らしくしてね。毎回好き勝手なことしたり、ほぼ一日中を寝て過ごしてたり、ある女性に付きまとって盗聴まがいのことまでしてるって話でね。で、毎回この方がその尻拭いをさせられてるワケでさァ」

「ああうん。……大変だな。大変だけど「死ね」はちょっと衝撃的だったわ」

「違う、違うんだ。死ねっていうか、それは言葉のあやであってだな。私はハッキリ言ってゆか…主人のことを尊敬してるし敬愛してる。そう、愛だよ愛。愛すべきゆえに出てくる『死ね』なんだ。第一、ホントに死ねなんて思ってたら軽々しく死ねなんて言葉は出てこないわけでだな……」

 

 お前だって普段生活していて、軽口として「殺す」とか「死ね」と言うこともあるだろう? だが、そういう時に本当に相手を殺そうとしていたり、心の底から死を願っているだろうか? いや、ない。あるはずがない。それはあくまでも会話の流れや悪ふざけとして出たものであり、本心から零れ落ちたものではないのだ。いや、確かに嫌がらせやお仕置きされてる時に理不尽だって思ったりしたことはあるさ。式神として働く第二の人生、生きながらにしてコンピュータな人生だからな。いくら私のためといっても、踏みつけて傘が曲がるほどぶん殴らなくてもいいでしょう。動物虐待反対! ああ、そういえばアレは愛の形だと言って傘で頭をばんばん叩かれたんだっけ。そう、愛だよ愛。だから結局のところ私のグチも愛なんだよ。愛ゆえの「死ね」なんだ。

 

「うえーい」

 

 途中から何やらヒートアップしていくテンコーさんの弁明を、少女は話半分に聞き流した。そんな少女とは対照的に、親父はうんうんと頷きながら辛抱強くテンコーさんの話を聞いてやっている。

 成程、やはりかなりの不満を抱えていたらしい。自分でももはや何を言っているのか分かってないんじゃないだろうか。さっきから酒をがぶがぶ飲んでるし。

 

 そんなグダグダな空気がいつまでも続くかと思っていた時だ。

 

「こんばんわ~」

「ヘイらっしゃい。おや妹君じゃあないですか。今日もまたあの話かい?」

「まぁねぇー。あいつはいっつも思いつきで行動してるから。ここで話す話題には事欠かないわ」

 

 聞こえてきたのは柔らかい少女の声。どうやらまた客がやって来たようだった。

 少女は新しい客の顔を見ようと振り返る。

 

「…あ………」

「…………」

 

 なんかデジャヴ。テンコーさんの時と一緒の展開だ。

 そこにいたのは、見た目はまるで10歳にも満たない幼い少女だった。

 サイドテールにまとめた髪はブロンドで、瞳は赤く彼女が人間ではないことを主張している。頭には奇妙なナイトキャップを被り、服装は赤を基調としたミニスカートのドレス。手には時計の針のような捻じれた杖。そして何より特徴的なのが背中に生えた翼の形状だ。歪んだ木の枝に色鮮やかな宝石を飾ったような翼は、どんな動物のものにも似ていない。

 またもや知ってる妖怪だった。というか、あなたはお屋敷から出られないはずではないのですか?

 

「ほらほら、お嬢ちゃんも妹君に席を開けてやってくだせェ。さて、今日は何にしやすか?」

「え、……あ、うん。お酒と、あとはオジサンに任せるよ」

 

 少女が固まっている内に親父はさっさと話を進め、妹君を少女の隣に座らせた。これでテンコーさんと妹君の間に挟まれるような形となった。

 さっきの繰り返しになってはたまらないと、少女はこちらから話かけることにした。

 

「えっと、あのさ。フラ……、妹君は、こういう所に来ても大丈夫なのか?」

「え?」

「いやー、なんか見た目どっかのお嬢様っぽいしー? 実はなかなか外に出してもらえない箱入り娘とかじゃないのかなー、とか思っちゃったり?」

 

 箱入りというか、495年も地下室に篭っていた筋金入りの引きこもりである。

 紅霧異変の後に彼女が外に出ようとした際には、喘息持ちの魔女が雨を降らせて外に出ないようにしていたそうだが……。

 

「あー、別に両手両足縛って監禁されているわけでも幽閉されてるわけもでもないし。今までは外に出たくないから出なかっただけよ」

「ああ、そうなんだ。じゃあ勝手に抜け出してる訳じゃないんだな?」

「分身を残してきたから問題ありませんわ」

「…………」

 

 どうやら勝手に抜け出して来たらしい。まぁ、妹君は少々気がふれているという話だが、弾幕ごっこのルールを理解して守ることもできるのだ。負けた時にはそれを素直に認めたりもしていた。ならば人里で人間を襲ってはいけないというルールだって守れるはず。

 そもそも、奇人変人狂人が多いこの幻想郷。少々気がふれている程度ではインパクトは薄い。普段はあまり怒ったりしないという話だし。

 

「えっと、魔理……あなたはよくここに来てるの?」

「マリーでいいぜ。いや、今日が初めてなんだけど。たまたま見つけて入ってみただけで……。スゴイ変わった店だよな~。ぐちり屋なんてさー」

 

 良かった。今度は会話が成立した。さっきのテンコーさんと話している時よりもずいぶんと気楽に喋ることができる。

 少女、いやマリーが安堵していると、親父が妹君におでんの盛られた皿と徳利を差し出した。それを妹君は慣れた様子で受け取る。

 

「そう言えば、妹君は結構ここにグチりに来てるカンジなのか?」

「まあ、こんなところですかね?」

 

 質問に答えたのは妹君ではなく親父だった。片手を開き、5本指を立てて見せる。

 

「あ、5回ね。あっじゃあそんなに来てるわけじゃないんだ」

「最近は週5で来てまさァ」

 

 ブフゥッ! と思わず咽てしまう。

 

「どんだけェェ!! どんだけ恨み辛み抱えてんだ!? どんだけグチこぼしに来てんだ!!」

 

 一体どれほどの不満をため込んでいるというのか…! 何だか、いつか紅魔館で革命でも起きそうで怖くなって来る。

 

「いえね、妹君のグチは家族がらみでして。実はこの娘の姉が相当な我儘娘らしくてね、大した力もないくせに変な騒動ばかり起こしては全部終わった後で『こうなることは判かっていた』って何でも理解している振りをしたり、運命が分かるなんて大ボラ吹いてるそうなんで。え~と、妹君ちゃん何だっけ? あの運命を操る程度の能力を持った――」

「カリスマブレイク吸血鬼よ」

「あっ、そう! カリブレだ」

「……いや略さなくてもいいんじゃないか? 流石にヒドすぎるんじゃないかそれは」

 

 どうやら姉の株価は大暴落しているらしい。マリーとは関係ないこととはいえ、少しだけ哀れになってくる。

 

「で、そのカリブレのせいで妹君は貧乏くじばっかり引かされてるそうでねぇ。儚月抄で出番がなかったり、黄昏でも館のメンバーの中で唯一出番がないそうで……。人気投票でもそこそこ上位に食い込めてるし、テーマ曲も人気なのにこの扱い。カリブレが裏で根回ししてるんじゃないかって話でさァ」

「それカリブレ全然関係ないよね。単に製作者サイドの都合だよね」

「しかも、出番がないおかげで人里では好き勝手な設定を付けられて噂されてるそうでしてね。常にテンション高めで血に飢えた……エヴァ初号機みたいな暴走するキャラにされたり、妙に幼い幼児キャラみたいに扱われることもあるとか。……最低だと思いやせんかお嬢ちゃん」

「あんま怒られるような台詞を言うんじゃねーよ」

 

 これ以上親父に喋らせたらヤバい。マリーが話を遮るように声をあげる。というかあんまりメタ過ぎる発言ばかりすると嫌われるので注意が必要だ。

 

「ちょっと待ってもらおうか。……今の話、私も興味があって聞かせてもらったわけだが……」

 

 そんな中、割り込むようにしてテンコーさんが参戦してきた。先程のアレからは回復したらしい。だがかなり酔っているようだ。顔も赤い。

 

「出番があるからって扱いがいいとは限らないぞ。自機としてお呼びがかかったと思ったら実はショット扱いだったということもあるんだ」

 

 それはお前だけだ。マリーは心の中で静かにツッコミを入れた。

 

「な、なんですって」

「大体、二次設定の何処が悪い。人だろうと妖怪だろうと、誰しもが欠点を持って生きている。

 どんなに優れているように見えるモノでも欠点がないわけじゃないんだ。この世に完全無欠なモノなど存在しえないんだ。だからこそ、その“汚れ部分”をネタにすることができる。自分のコンプレックスをネタにして、辛いことを自慢気に話せるようになって初めて一人前になれるものさ」

 

 よくわかるようで、実際は支離滅裂な話だった。呆れた様子のマリーとは異なり、妹君はそれに反論するように立ち上がる。

 マリーはぎゃーぎゃーという二人の口論を無視して、ぐびりと酒を飲み干した。そして親父に目を向ける。

 

「……なあ、この店っていつもこんなカンジなのか?」

「いえいえ、でも色んなお客さんが多いですからね。グチの内容も人間関係だったり、恋愛がらみだったり、仕事のことだったりと様々でさァ。時には意外な人が来ることもありますから」

 

 親父の表情は飄々としたものだ。何時もこんな調子で、どんなグチも不満もさらりと受け流しているのだろう。酒を進められ、マリーは勧められるがままに飲んでいく。あー、酒が美味い大根が美味い。

 

 そしてまた、新たな客が暖簾をくぐる。

 

「おや、今日はずいぶんと騒がしいんだな」

「ヘイらっしゃい。あー、先生じゃねーですかい。お久しぶりですね。お仕事は、もういいんで?」

「ああ、今しがた編纂を終えたところだ」

 

 現れたのは先生と呼ばれた女性。その頭には天に向かって伸びた雄々しい二本角が生えており、その片方には可愛らしいリボンが巻かれている。光の加減で緑にも見える長い銀髪、上下一体のロングスカートが特徴だ。

 というか、いつぞやの肝試しの時の先生だ。

 

「こんな所で会うとは奇遇だな。……っと、すまない。ここでは知らぬフリをするのがルールだったか」

「あ、ああ」

 

 特に何か変に動揺することもなく、マリーに挨拶をした先生は優雅な動作で腰を下ろした。

 そのまま、にこりと笑みを浮かべて熱燗とおでんを数点注文する。

 

「……えっと、先生はいったいどんなグチを? やっぱ寺子屋の生徒のことか?」

「いえいえ、授業を真面目に聞かない生徒はいるみてえですが、基本的にみんな良い子みたいでさァ」

「うむ。宿題を忘れた奴や態度の悪い生徒にはその場で頭突きをお見舞しているからな。特にそこまでグチるほどではないさ」

「ああ、そうなんだ」

 

 先生の授業は退屈だという話は割と有名らしいから、そのことに関するグチかとマリーは思ったのだが。どうやら違ったらしい。だとしたら何だ?

 

「先生のグチっつーのはね、実は自機に関することでして」

「は?」

 

 自機? なんだが意外なグチである。思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 

「半人半霊が自機になれるんだから、自分が自機になってもいいんじゃねえかって話でしてね。どうにかできねーかって、最近はそんなグチばかりでねェ。ま、グチっていうか計画って言ってもいいのかねえ」

「え、計画ってなにそれ怖い。なんかスゴイ怖い響きになってるぜ」

「まァ、謳い文句も巫女さん弾幕シューティングですからね。最近出てきた2Pカラーの巫女さんを二人目に据えて、古い相方は始末すべきじゃないかって。で、自分は3、4人目の空きに入っちまえばいいやってことでして。しっかし他の自機メンバーに比べて後ろ盾がないとはいえ、かなりのやり手らしいんでね。よっぽど巧く隙をつかねーと。宴会の時に酒をたらふく飲ませて泥酔させたまま……」

「まてまてまてまてまてェェェーー!! お前ら一体何を企んでんだ! 普通の魔法使いをどうするつもりだ!?」

 

 あまりに恐ろしい抹殺計画にマリーが悲鳴に近い声で抗議した。冗談ではない。彼女は旧作も合わせて長年紅白巫女と一緒に主人公勤めてきたのだ。そんなの絶対に御免である。

 

「おい、お前らも何か言ってくれよ!」

 

 会話に加わってこないテンコーさんと妹君を頼るため、マリーは二人の方を向く。しかし当の二人はというと、別の話題に夢中であるようだ。

 

「私は、……私は何て情けないんだ。結局出来るのは主人の命令に従うことだけ。決められたこと、同じことを延々と繰り返す人生……。

 いつまでアリアハンでくすぶってるんだ。いい加減にロマリアまで旅立つべきだろう。レベル上げはもう十分だ。父親の尻拭いとはいえ、バラモスを倒さなければ駄目なんだ。ゴールを設定せずにやってもグダグダの結果になるのは目に見えているだろうに……」

「わかってないわね。最近のRPGは一本道すぎて、やってるよりやらされてる感の方が強いのが問題なのよ。CG技術が上がってムービーが綺麗になろうと、いくら外見(ガワ)を取り繕っても肝心の中身が薄っぺらいのよ。いつまで竜退治にこだわるつもり? ゲーム自体の自由度をあげなさいよ」

 

「お前ら何の話をしてんだ!?」

 

 話題が変わりすぎである。もはや元の話が何だったのか原型をとどめてない。

 

「まあまあ落ち着け。今夜は私が奢ってやろうか。好きなだけ酒を飲むといい」

「この流れで飲むわけないだろうが! あからさますぎるだろォ、隠す努力をしろよ!!」

 

 ぽんと後ろから先生に肩を掴まれ、マリーは過剰なほどに驚いて後ずさった。

 そのへらへらとした笑い顔が余計に怖い。ぎらりと、先生の角が月明かりで光ったように見えた。

 

「お、親父。私ちょっと急用思い出したから帰るわ! はっははッ三十六計逃げるが勝ちだぜ…!!」

 

 まさに脱兎のごとく。マリー、いや魔理沙は風のような速度で飛び去っていってしまった。

 

「あ、ちょいとお嬢さん……行っちまった。まだお代を貰ってないんですがね」

「仕方ない奴だな、ここは私が立て替えて……」

「あ、それなら大丈夫よ。ほらコレ」

 

 懐から財布を取り出した先生は、その妹君の言葉に動きを止めた。

 妹君が手に持っているのは、一枚の誓約書のようなものだった。それをヒラヒラと見せびらかすように動かしている。

 

「これ、悪魔の契約書だから。“ここの代金は紅魔館が払います”って書いてあるの。今日のところはこれで私が全員の分を奢ってあげる。いいでしょオジサン?」

「そいつァ構わねえが、……いいのかい?」

「まあねぇ。今日は楽しかったし」

 

「ふむ。それならいいか……」と先生が。

「飲むぞ。今日はとことん飲む」とテンコーさん。

「ウフフ……」と笑みを浮かべる妹君。

 

「へへ、ならここからがグチりの本番ですね。酒もツマミもたっぷりあるんで、気が済むまでグチっていってくだせェ」

 

 

 

 そしてまた、ぐちり屋の暖簾をくぐる新たな客が一人……。

 

 

 

「ヘイらっしゃい!」

 

 

 

 

 

 

 

 後日、紅魔館に送られてきた身に覚えのない請求書の金額の大きさに、何に使ったのかと詰問されるレミリアの姿があったそうな。




 日々の仕事、あるいは学生生活に疲れた“あなた”が道を歩いていると、ふと一見の屋台が目にとまった。
 その暖簾に書かれた文字は『ぐちり屋』。
 日ごろの悩み、あるいは不満や不安が溜まっていたあなたは、思わずその屋台の暖簾をくぐってしまう。
 そして――

「ヘイらっしゃい。何か悩みや不満でもあるなら、ここでグチでもこぼしていってくださいね」


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