少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

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◎御報告

前書きを修正させて頂き、警告タグを追加させて頂きました。


第8章

 本営から、艦娘達の心身の管理について今までより一層努めるよう通達が来たのは、一月程前だったろうか。

丁度その日、彼の秘書艦をしていてその通達書類を眼にした大鳳は、思わず眼を擦ってしまったのを憶えている。

戦果や作戦効率の為ならば、捨て艦法や大破進撃であっても、平気で容認する本営らしく無い、かなり気味が悪い通達だった。

他にも、他所の鎮守府が数箇所、深海棲艦に襲撃され、提督達が殺害・拉致された事件などの報告書もあったが、こっちの方がよっぽど異質である。

何を今更とも思ったが、MI・AL作戦の成功によってより大きな戦果を得た本営は、今度は陸からの眼にも備え、体裁を繕うべきだと考えたのだろう。

一般社会にも、この大きな作戦の成功は当然報道されているし、平和を取り戻す為に戦ってくれる艦娘達にも注目が高まりつつあった。

そんな中で、艦娘達の社会的な立場について問う人々も増えて来た。世論を敵に回すのは上手く無い。最低限の外面だけでも取り繕おうとしているに違い無い。

捨て艦法や大破進撃を、明確に禁止するという旨の文章では無かったところを見ても、『ポーズだけでも取っておけ』という“指示”なのだろう。

罰則の規程も無いので、艦娘を“道具”として扱うことを咎める訳でも無い。艦娘を“人”として扱うことを善しとする訳でも無い。

必要なのは、人類にとって都合の良い武力だ。そして、人類による深海棲艦の撃滅、支配、征服という結果である。

結局、何も変わっていない、というのが実際のところだろう。艦娘の人格の是非など、本営にとってはどうでも良いのである。

そして、我らが提督も変わらない。普段から艦娘達のコンディションには細心の注意を払ってくれているし、人格に負担を掛ける様な施術を行う事も無い。

たとえ効率が悪くとも、艦娘の人格を尊重する今までのスタンスを崩さなければ、それが最適な取り組みであろう。通達にも応えているし、問題無い筈だ。

 

 しかし、此処で大人しくしていないのが、野獣という男だった。

あれは、確か通達が来た日の夜。大鳳が、提督と共に夕食を摂りに食堂に足を運んだ時だ。其処でばったり、野獣と、その日の秘書艦であった長門と出くわしたのだ。

当然、野獣にも通達は来ている筈だし、何やら長門と話し合っていた様子だったのを覚えている。いや、あれは長門が野獣を窘めていた、という方が正しいだろうか。

四人で食事を囲んで、これからの鎮守府の運営方針に少し話をしたが、考える事は同じだった様で、まぁ、無理に変更すべき点は無い、というのが結論だった。

艦娘達のストレスを軽減し、疲労を和らげ、滋養の為の時間や空間を、どうやって提供するか。それが提督達の課題であり、既にそうした取り組みは実現されて来ている。

この鎮守府では、艦娘が利用できる大浴室や、美味しい酒なども呑める鳳翔の小料理屋に、野獣の執務室を改装した耳掻きサロンも絶賛運営中だ。

他の鎮守府と比べてみても、艦娘達に対する待遇はかなり良いと言えるし、その点は本営からの評価も高かったらしい。

そういう状況だったので、あの場では現状維持に意見が落ち着こうとしていたと言うのに、野獣は何かを思い付いていたらしい。

「あ、そうだ(恐るべき天啓)」と、野獣が小さく声を漏らしたのを、長門は気付かなかった様だが、大鳳は聞き逃さなかった。

あれから、本当に薄っすらとだが、日々嫌な予感はしていた。自分の身に、何か無茶振りが飛んでくるのではと。漠然とした不安が在った。

それが現実になろうとしていると言う事も、何となく感じていた。非番の日に野獣から呼び出しを喰らっても、“とうとう来たか”みたいな気分だった。

 

 

 

 大鳳は現在、野獣の執務室で、執務机に座ったまま大欠伸をしている野獣の前に立っていた。時刻は昼前。執務を片付けてしまった野獣は、携帯端末を弄っている。

ちなみに大鳳の隣には、不服そうな顔をした陸奥が腰に手を当てて立っていて、何だか不機嫌そうな山城が野獣をねめつけている。取りあえず、さっきから皆無言だ。

秘書艦用の執務机には、腕を組んだ長門が渋い表情で座っている。何とも言えない気まずそうな貌だ。そりゃそうだろう。この空気だ。大鳳だって、もう帰りたい。

まぁ、何でこのメンバーが集められたのか、というのも大体察することが出来る。その辺りが、この沈黙の微妙な重さの正体なのだろう。

ただ、野獣の方は相変わらず『我が道を征く』と言うかマイペースな感じで、この雰囲気を気にしている風でも無い。

野獣は携帯端末を手にしたまま、大鳳、陸奥、山城を順番に見て爽やかな笑顔を浮かべて見せた。

 

「三人は、どういう集まりなんだっけ?(聞くまでも無いけど、一応)」

 

 やっぱりな(レ)。

不幸ォ……、と言いそうになった大鳳は野獣の方を見ずに、視線を逸らすようにして床を見詰めた。

むっすぅーーーとした貌になった陸奥も、唇を尖らせてそっぽを向いた。山城は片方の眼をすっと細めて舌打ちをした。だが、取りあえずは沈黙を守っている。

何も言い返せないのが歯痒い。“運”。これだけはもう、錬度とかではどうしようも無い部分だ。その癖、戦果に多少響いたりする厄介な要素だ。

 

 艦娘達には個々にパーソナルデータが存在し、耐久、装甲、回避、火力などが数値として表されている。

その中に、“運”という、身も蓋も無い数値項目が在る。大鳳と陸奥、その数値が特に低いとされていた。

平均が大体10なのだが、大鳳は4、陸奥が6である。ただ、この低さは本当にどうしようも無い。こういうものなのである。

以前までは扶桑も“運”が低いとされていたが、現在では更なる改装を実現し、その“運”の低さを克服していたりする。ただ、その点においては、山城も同じはずだ。

改装施術を受けて、数値は平均の10まで回復した。そう言って、提督と共に山城が喜んでいたのは知っている。ちょっと妙である。

 

其処まで考えて、また嫌な予感がして来た時だ。

 

「野獣。“運”は絶対の要素では無い。

戦いで重要なのは、錬度と装備、それから……、お前と、私達自身の心の強さだ」

 

秘書艦用の執務机に座っている長門は、深みのある凛々しい声音で、ゆっくりと言葉を紡いだ。

彼女が本気でそう思っているからこそだろう。野獣を見据えるその眼差しには、迷いや濁りが無い。

 

「そうよ(陸奥)」

「そうわよ(山城)」

「そうですよ(大鳳)」 

(ジェットストリーム便乗)

 

 大鳳達の言葉を受け止め、鷹揚に頷いて見せた野獣は、ゆっくりと全員の顔を見回した。

 

「確かに、NGTが言う事も一理在るゾ。

 でも、不幸属性ってのは一種の個性だし、ステータスだからね。

 これを生かして、3人はNKちゃんに続くネットアイドルになろっか(唐突)」

 

 大鳳と山城、陸奥は、三人揃って「えっ」、と声を漏らした。

「また訳の分からん事を……」長門の方はと言うと眉間に皺を寄せて、横目で野獣を睨んでいる。

 

「艦娘達が非人道的な扱いを受けてないアピールの為に、また色々やれって通達が来たんだよなぁ。

 今更必死過ぎなんだよね。それ一番言われてるから(辟易)。とは言え、それなりに効果も在るから、ま、(手の込んだPRも)多少はね?」

 

 しかし、野獣はそんな視線を全く意に介していない。手にした携帯端末を弄りながら、今度はデスクの上に在るタブレット型端末のディスプレイを大鳳達に向けた。

ポカンとしてしまう大鳳達を尻目に、野獣は携帯端末の操作を終わらせて、タブレット端末の方で、あるページを表示した。見た事がある。有名な動画サイトだ。

ディスプレイをタッチしていく野獣の手元を見ていると、動悸がしてくる。凄い不安感だ。大鳳だけで無く、陸奥や山城、長門も、怪訝そうな貌で操作を見守っている。

 

「昨日の内にぃ、俺とアイツで、

このチャンネルと特設ページ作っといたから。お前らの為に(優しさ)」

 野獣が開いたページは、幾つかの動画チャンネルが並んでいる画面だった。

宣伝額や投稿された動画数、参加人数などが表示されている。其処に、長門が居る。

クリック出来る四角い枠の中で、凛々しい長門の画像が順番に切り替わっているのだ。

チャンネル名には、ふわふわフォントで『大本営☆ちゃんねる(非公式)』と表示されていた。

全員が言葉を失い、ディスプレイを凝視する。これマジ? 

表情が凍り付かせた長門が、野獣を見詰めた。

 

「ちょっと待ってくれ。

いや……。いや、ちょっと待ってくれ。こ、此れは本営から許可が出たのか?」

 

「許可と言うか、これも一応指示通りなんだよなぁ(したり顔)。

 こういう柔軟なアプローチは、年喰うと苦手になるからね。

新進気鋭の若手の俺達にお願いが来るのも、仕方ないね(レ)」

 

 長門に応えた野獣は、ウィンクして見せた。それと同時だったろうか。

野獣の携帯端末に着信が入った様だ。電子音が響いた。「げっ、広報部からじゃん。……話したくねぇなぁ」

野獣は面倒そうに言いながら、携帯端末を耳にあてる。次の瞬間だった。端末から怒鳴り声が漏れた。ちょっとやばそうな感じだったが、流石野獣だった。

怒涛の勢いで大声が漏れているのだが、「お、大丈夫か? 大丈夫か?(心配はしていない)」とか言いながら、適当に聞き流す野獣には全然届いていない。

サイトを見たぞ、とか。あんな威厳もへったくれも無い文字は許さん、とか。広報部とやらの先方は、そんな感じの事を野獣に怒鳴り付けて居る。

だが話の内容からして、デザインの変更を強く“要請”しているだけだ。強制的な“命令”じゃない。要するにイチャモンである。

「あ、そっかぁ。でもなぁ、これ、MURとKMRの二人の要望なんだよなぁ……」野獣が、困った振りをするみたいに言うと、先方の怒鳴り声が止んだ。

 

「どうっすかなー、俺もなー……。お偉いさん二人の要望を無視するとか、

(どんな処罰が下るのか)もうこれ分かんねぇな。……お前どう(なってもしらねぇぞ)?」

 

 野獣が声のトーンを落とすと、妙な貫禄と存在感が在って、大鳳は思わず背筋が伸びた。

長門や陸奥、山城も、意外と言うか、不思議そうな貌で野獣を見詰めている。沈黙が降りる。

携帯端末の向こうから漏れていた怒声も、もう聞こえて来ない。野獣に言葉を返せないのだろう。

悔しげな呻き声のようなものが、野獣が手に持った端末の向こうから微かに聞こえた。

 

「まぁ、そういう要望が在ったっていう事は、二人には伝えておくから。

 デザイン変更の許可が出たら改善してやるって! 安心しろよー、もー(窓口先輩)」

 

 また雰囲気をコロッと変えた野獣が、端末向こうに居る人物に言葉を返す。

その時には、また普段のちゃらんぽらんな感じの野獣に戻っていた。

端末の向こうの人物が、『……了解した』と苦しげな声で答えるのが聞こえた。

それから、すぐに通話は切れた様だ。野獣は端末を机に置いてから、軽く鼻を鳴らす。

 

「まったく広報の奴らにも困ったもんじゃい(疲れ顔先輩)」

 

「あの……、こういうメディアへの働きかけは、広報部の仕事じゃ無いんですか?」

 

 何だか胡散臭そうな顔をした山城が、机の上に置かれたタブレットと野獣の顔を見比べる。確かに、大鳳もその点には気になっていた。

何故、わざわざ野獣と提督がチャンネル開設という仕事を引き受けたのか。また、引き受けられたのか。

今しがたの通話の様子を見ても、広報部は野獣には任せたくなかったのでは無いか。何か大きな力を感じる。

「お前らは此↑処↓の鎮守府に所属してる艦娘で、人格を持ったお前らを召還したのも俺達だからね」ただ、野獣の方は肩を竦めて、両手を広げて見せた。

 

「少なくとも、お前らは俺達の部下なんだよなぁ。

それを偏見塗れの広報部の人間だけに任せるのは、いや~キツイっす(素)。

だからお偉いさんにお願いして、この件に関しては俺達で預かる流れになったんだゾ」

 

「それで、仕上がりが気に喰わんから、

 部外者扱いされた広報部からクレームが来たという訳か。面倒な話だな」

 

 下らなさそうに言う長門は、腕を組んだままで鼻を鳴らした。

 

「人格を確立させつつある艦娘達の露出が多くなれば、困る奴も居るからね。

 広報だけじゃなくて他の部署にも、そういう奴らの圧力が掛かってるのはしょうがないね(組織並感)」

 

 人々と艦娘達の距離を縮める切掛けになる、こういう野獣の取組みを煙たがる輩。

それはつまり、艦娘を兵器であり、道具としか見なしてこなかった提督達の事だろう。

激戦期が明けて、海を巡る趨勢は変わった。人類の技術は進化し続けている。

以前のMI作戦の成功によって、艦娘達の存在に対する世間からの視線も変わりつつある。

艦娘とは、窮地に立たされていた筈の人類を、勝利に導いてくれた立役者なのだ。

功労者でもあり、英雄でもある艦娘達へ感謝を寄せる人々も、決して少なくは無い。

命を賭して戦ってくれた艦娘達を、兵器では無く、もっと身近な存在として感じてもらうべく、野獣と提督は動いている。

社会、地域行事への貢献や、従来とは違った広報スタイルの提案などは、間違いなく、世間の人々に届きつつある。

そしてそれは、艦娘達が世間の認識の中で、道徳の主体となって困る者達の暴虐を縛りつけ始めている。

先程のように、広報が直接的に野獣へと噛み付きに来たのを見ても、それは間違い無いだろう。

 

「他所の艦娘達の待遇も改善されつつ在るし、良いゾ~これ。

 これも、協力してくれたお前らの御蔭だゾ。俺とアイツだけじゃ、ぜって~無理だったぜ?」

 

 不意に、落ち着いた声音になった野獣が、少しだけ目許を緩めて見せた。

言葉自体は軽い感じだったのは、其処に込められた感情の重さを隠す為だろうか。

提督と同じく、この野獣という男も、他者に本心を読ませないところが在る。

ただ、彼よりもほんの少し、それが下手なのだ。声から滲む真摯さを、隠せていない。

軍の中には“個”は無いけど、艦船っていう兵器の中には“兵”っていう“個”が居るって、それ一番言われてるから(カタパルトの兵長並感)。

野獣はまた、大鳳達の顔を一人ずつ順番に見てから、言葉を紡ぐ。

 

「“兵”としての人であるお前らが必要なんだよなー、頼むよー。

さて、何処まで話したかな。あ、そうだ(思い出し) お前らをさ、

ネットデビュー、しゃしてや、デビューにしたっっ……、しっ、した、てやんだよ(ヤケクソ)!」

 

 ……何でそんな噛み噛みなんだ。軽く笑いながら、ボソッと言う長門を横目に見て、陸奥は腰に手を当てた姿勢のままで、鼻から大きく息を吐き出した。

「で、……具体的に私達に何をやらせたいのよ?」と聞くあたり、陸奥は野獣の提案に付き合う気になったらしい。

「私達も、『那珂ちゃんだよー!』ってやるんですか? ……私、絶対に合いませんよ?」

そう言った山城も、多少困った風ではあるものの、断る気配は無い。

二人の様子を見て、大鳳は小さく笑った。こういう、『もう、しょうがないなぁ……』みたいな雰囲気にしてしまうのは、野獣という男の人徳なのだろう。

見れば長門も、『しょうがない奴だ』みたいな貌で、微苦笑を浮かべている。だが、穏やかな空気になるのは、ちょっと早かった。

 

「アイドルって言うと、ちょっと御幣があったゾ。

 お前らには、今話題の“まいちゅーばー”になって貰ったり、生放送して貰ったりするから(業務連絡)」

 

 野獣は顎を撫でながら、片手でタブレット端末のディスプレイをタップした。それから、執務机の引き出しからビデオカメラを取り出す。

 

「扶桑も呼びたいところだったけど、

 “運が低い艦娘と聞いて、誰をイメージしますか?”っていうアンケートで、上位3人がお前らだったんだよなぁ」

 

「……そのアンケートは何処で取られたんですか?(震え声)」

 大鳳は恐る恐る聞いてみた。

 

「本営の公式ページだゾ(麒麟児の風格)」

 

「命知らず過ぎませんか……」 山城が愕然としている。

 

「ちなみに、“弱そうな艦娘(何処がとは言って無い)”っていうアンケだと、

 NGTとBSMRKが他の追随を許さない、互角のツートップだったゾ(半笑い)」

 

「ダニィ!?(BZーT) そんな馬鹿な!?」 

 聞き捨てならんと猛善と長門が立ち上がる。同時に、陸奥が何かを察した様に「あっ……」と声を漏らした。

大鳳も、喉元まで「あっ……」という言葉が出てきていたが、寸でのところで飲み込む。山城は頬をさっと朱に染めて、黙ったまま俯いた。

 

「陸奥まで!? 『あっ……』とは、何だ! 『あっ……』とは!!」

 

「違うわよ!? その、強いとか弱いとかじゃなくて……、その、えぇと。

 あれよ! ほら、あの……。男性が苦手とか、そういうアレよ!(必死のフォロー)」

 

「そ、そうですよ! 凛々しくて強い女性程、男性に免疫が無かったりしますし!

 ギャップ萌え的な願望も合わさって、そういう結果になったんですよ!!(力説)」

 

 陸奥に続いて、大鳳も適当なことを捲くし立てる。必死に誤魔化す。

赤くなって黙り込んだ山城の様子で、勘付かれないかとヒヤヒヤものである。

ただ、長門は釈然とはしないようだったが、納得してくれたようだ。

「……そういうものか」と呟きながら、難しい貌になって再び座ってくれた。

大鳳が安堵の息を静かに漏らすと、陸奥と眼が合う。陸奥は、茶目っ気のあるウィンクをしてくれた。フォローありがとう。そう言われた気がした。

「脱線ついでに、あの、お聞きしても良いでしょうか?」 こほん、とワザとらしく咳をして見せ、話題を逸らした山城も、なかなかのナイスプレーだった。

 

「このページにある、プレゼントの応募っていうのは、何なんですか?」

 

 山城の言葉に続いて、全員がタブレットの画面に視線を向けた。

其処には、『提督達の手作り工房』と、可愛らしいフォントで表示されている。

 

「お、何だYMSRォ! 興味あんのかよぉ!(ノリノリ) 

 プレゼントは毎週、俺かアイツが作って、抽選で当選者を決めるんだYO!

実物はもう出来てるから。ほら、見ろよ見ろよ!(職工の誇り)」

 

 そう言って野獣は執務机の下から取り出したのは、硝子ケースに入れられた艦船の模型だった。ちょうど、ペットボトルくらいの大きさだ。

大鳳達は思わず感嘆の声を漏らし、眼を奪われた長門は息を呑んで居る。言葉を失ってしまう程に、途轍もなく精密で緻密、巧緻な模型である。

確かに、この時代の“提督”には、鋼術細工師的な側面も在るが、此処まで来ると正に職人技と言えるだろう。

いや、此処までのものを造ろうと思ったならば、技術だけでは足りない。それこそ、愛とでも呼べる情熱が無ければ不可能だ。

大鳳が艦娘だからかもしれないが、まるで金属に命を吹き込んだかのようにすら思える、“戦艦長門”の模型である。

造形に命が宿り、その武力に誇りが生まれる。もしもこの模型に人格が芽生え、それが野獣に応えたのならば、幼い姿の長門が召還できそうな錯覚すら覚える。

 

「コレ、何だと思う?(ミキプ●ーン並の口調)」

 

 野獣が、穏やかな声と表情で言いながら硝子ケースを開けて、長門を見た。

不意に掛けられた優しい声音に、長門は不覚にも、ときめいてしまったのかもしれない。

長門の白い頬に、さっと頬に朱が差した。それから、野獣と模型を見比べて、視線を逸らした。

 

「……戦艦の私だ」

 

「そうだよ(肯定)

 これはね、…………長門型、麻酔銃」

 

目が点になった大鳳は、自分の耳を疑った。

隣に居た陸奥も、「えゅ?」とか、変な声を出していた。

ずっこけそうになっているのは山城だ。長門が真顔になった。

自信満々な様子の野獣は、また全員の顔を順番に見回して、似合わない微笑を浮かべる。

「これはね、麻酔針を打ち出すタイプなんだよ(仕様説明) 装弾数は36。普通だな(確認)」

別に聞いてねぇよと言いたかったが、言い出せる空気でも無かった。

 

「ちなみに、発射ボタンを押すと長門のボイスが流れるゾ(重要)」

 

 野獣が、何かのボタンを押した。カチッと小さい音が聞こえた瞬間だった。

大音量で、ンアァアアアアアアーーー(≧Д≦)!!、という叫び声が再生された。

勿論、長門の声だった。鼻水を噴き出しそうになった大鳳は、大慌てで俯く。

山城が困惑したような貌で、「えぇ……(困惑)」と言葉を漏らしている。

陸奥の方は、笑いを堪えるみたいに肩を震わせて俯いている。

 

「どうだよ?(栄光の頌歌)」

 

「どうもこうも在るか馬鹿タレ!! しかも、そ、その音声は……ッ!!!」

顔を真っ赤にした長門がまた立ち上がった。

 

「前の耳掻きの時に録音したのを、ちょっと弄ってみたんだゾ。

 ノイズも消えて艶も出るし、中々高音質でセクシー、エロいッ!(確信)」

 

「それを一般のプレゼントに送るなど、……正気か?(恐怖)

 普通に暮らしている民間人が麻酔銃を使う機会など、ほぼ皆無だぞ!」

 

「何処かの名探偵KNNが使うかもしれないだろ!! いい加減にしろ!!

 真実は、いつも一つ! っていう名台詞を知らないのかよ(BRNT)」

 

「そんな模型を腕時計に付けていたら、ただの変な奴だろうが!

 発射音で音声が流れるにしても、普通に『てぇーーッ!』とか在るだろう!?」

 

「他のボイスパターンは『パパになっちゃえ(はぁと)!!』とかだけど、良いかな?(素)」

 

「良い訳あるか!! 尚悪いわ!! というか、そんな卑猥な台詞まで合成したのか!?」

 

「そうだよ(正直者)」

 

「ふざけるなよ貴様……。

 もう許さんぞ! 本営に陳情を――……『ンアァアアアアアアーーー!!(≧Д≦)』

 おい! 私が話そうとする所に――……『ンアァアアアアアアーーー!!(≧Д≦)』

 被せてくるな!! ――……『この変態を見たかったの!!』

 やめろ! おい! やめ――……『ンア『ンア『ン『ンア『ンアアーーー!!(≧Д≦)』

 ごめんなさい! ほんともう、すみません! 連打やめてやめて!! 謝るから!(涙声)」

 

「まぁ、冗談は置いといて……。色々と(法律的な意味で)引っ掛かりそうだから、

応募者プレゼントは、予備で造っといた普通の模型にしとくゾ(冷静な判断)」

 

 喉を鳴らすみたいに低く笑った野獣は、慎重な手つきで長門型麻酔銃を硝子ケースに直した。

それからケースを持って立ち上がり、模型を執務室の箪笥の上に置いた。「捨てるのも勿体無いから、此処に飾っとくゾ(御満悦)」

コキコキと首を鳴らしながら執務机に戻ってくる野獣は、半泣きのまま呆然としている長門に軽く笑って見せた。

いつもの、笑えない冗談だと言うことだろう。恨めしそうに野獣を睨んだ長門も、洟を啜ってそっぽを向いた。

さっきの合成音声の中に、大鳳らしきものが混じっていたのが凄く気になるが、まぁ置いておこう。

 

 次はMTのを造るかなー。俺もなー(金属細工師並の感想)と呟く野獣に、陸奥は、ふふ……、と笑みを零した。

 

「先に時雨のを造って上げたら?」

 

「SGRのは、前にもう造ったんだよなぁ(遠い眼)」

 

「そう言えば、時雨の自室に凄く素敵な艦船模型が飾られてありましたけど……。

 あ、……あの西村艦隊の模型ってもしかして、野獣提督が造られたものなんですか!?」

 

 興奮した様子で身を乗り出したのは山城だ。「そうだよ(肯定)」と答えた野獣に、山城の瞳の輝きが増した。

「じゃ、じゃあ! あの扶桑お姉様の艦船模型も……!」「だから、そうだっつてんじゃねーかよ(棒)」

次の瞬間。山城は執務机に頭をぶつける勢いで下げた。隣に居た大鳳や陸奥が、思わず身を引いてしまう程の気迫だ。長門だって驚いた顔で、山城を凝視している。

 

「わ、私にも扶桑お姉様の模型作って下さい!! オナシャス!! 何でもしますから!!(禁句)」

 

 あーあ、言っちゃった。

 

「ん? 今、何でもするって言ったよね(様式美)?」

 

 野獣は眼を鋭く光らせて、執務机の引き出しからビデオカメラを持って立ち上がった。

 

「それじゃあ、“運”のパラメーター、

 1145141919364364まで上げる様子を撮影して、投稿しよっか、じゃあ(やってみた系)」

 

「隕石でも呼び寄せるんですか?(恐怖)」大鳳は思わず聞いてしまった。

 

「超科学兵器って言うか、多分、ラッキー●ンみたいになっちゃうと思うんですけど、

それは大丈夫なんですかね?(震え声)」 流石に山城も鼻白んだ。

 

「砲撃や艦載機を用いず、

 因果律を捻じ曲げる事によって、間接的に敵艦隊を攻撃する戦艦とか、あぁ^~、たまらねぇぜ!!

 TIHUもMTも、見習わんといかんのと違うんか!?(イニ義)」

 

「もうそれ、戦艦て呼べるのかしら……。

 って言うか、そんな天文学的な数値まで上げれないじゃない(現実問題)。

 確かに私たちの“運”は低いけど、動画的に其処まで極端な不幸ネタでなくても良いでしょ?」

 

 冷静な陸奥の突っ込みに、野獣が鼻から息を吐き出し、頭をボリボリと掻いた。

 

 そうだよって言いたいけどなー。俺もなー……(意味深)。

 野獣がごそごそっと書類を取り出したのを見て、悪い予感が加速する。

 

「ちょっとお前らのデータに変化起きてんよー(指摘)

 ほらコレ。見ろよ見ろよ」

 

 渡されたのは、此処の鎮守府名と、所属艦娘が記された数値表だった。

艦娘の型や艦種、それに各種パラメーターの数値などが細かく記載されている。

大鳳が渡された表紙には、ちゃんと大鳳の顔写真と、召還した提督の顔写真が載っていた。

少し前に検査を受けたから、その結果が出たのだろう。別に珍しくも何とも無い、ただの艦娘管理の為の資料。その最新版である。

 

野獣に促されるまま、記された数値を眼で追って、大鳳は愕然とした。これマジ?

ちょっと。ちょっとちょっと。減ってる。下がってるんですど。コレ。“運”。1。1、しか無いんですど。

いやいや。そんな馬鹿な。確かに、大鳳は“運”が低い。初期値は2だ。艦娘の中で、最も低い数値だった。だが、改装を受けて4まで上がったのだ。

だというのに、何コレ? 初期値より低い1って……。どうしてくれんのコレ? 提督が、私のために2も上げてくれたのに。一緒に喜んでくれたのに。

鼻の奥がツーンとして来た。ヤバイ。凄く悲しい。視界が歪んでくる。横隔膜が震えて来る。洟を啜った。泣きそう。

無慈悲な数字に打ちのめされ、唇をむにむにと動かしながら泣くのを必死に我慢している大鳳の横で、涙目になった陸奥が悲痛な叫び声を上げた。

 

「私の“運”が0.5って何よ!? ふざけてるの!?」

 

「お、落ち着け、陸奥! 小数点以下繰上げで1だぞ!」

 

「フォローになって無いわよ!(半泣き)」

宥めようとする長門の様子を見るに、この数値変動の件については知っていた様だ。

流石に0.5まで行くとかなりの衝撃だったに違い無い。陸奥は蒼褪めた貌で書類を睨みつけている。

ただ、より深刻なのは山城の方だった。

 

「野獣提督……。

 私のは、“運”の数値欄が空白よ……。死ゾ……」

 

 おかしな口調と虚ろな声音になった山城の瞳からは、もう光が消えて居る。

深い悲しみを背負ったその眼は、微妙に焦点が合っていない。抜け殻みたいになっている。

減り幅だけで言ったら山城がダントツだ。そりゃあ、心にダメージだって負うだろう。

 

「“運”数値がブレる事自体は珍しく無いけど、此処まで大きな幅で動いたのは初めてだゾ。

 まぁ、次回計れば元の数値に戻るだろうけど、何かお前らにも心当たり無ぇか(推理先輩)?」

 

言いながら野獣が大鳳達に向った時、けたたましい警報音が鎮守府に響いた。

 

 

 

 

 

 

 私は、他の艦娘とは違う。私は、命令さえあれば人間を殺せる。

そう作り変えられた。普通の艦娘達は、人間を相手に武力を振るう事は出来ない。

思考を剥奪する洗脳施術的な命令でも不可能だ。それは、艦娘とはそういう存在だからだ。

 

 人類の敵として深海棲艦が現れ、それに対抗すべく艦娘達も顕現する様になった。

まるで誰かが準備し、仕組んでいたかの様な薄気味の悪い連鎖だった。

だが、存亡の危機に立たされた人類は、そんな瑣末な事など疑いもしなかった。

艦娘という希望の光に、蛾の様に群がって縋りながら、貪るように解明と解析、分析を行った。

現在では深海棲艦の研究も相当に進んでいるが、その前の段階には、まず艦娘への“研究”が在った。

絶望的な危機の中。差し込んだ一縷の望みは、人類の道徳と倫理の壁に穴を空けた。

施術台の上で解体された艦娘達の数は、海で沈んだ艦娘達の数に迫るのでは無いかと。

未だに、艦娘を用いた人体実験が行われ続けていることを考えれば、トータルで見れば、それが冗談で済まされない程に現実味が在る。

 

 龍田は、彼が召還した艦娘でも、野獣が召還した艦娘でも無い。

正直なところ、誰に召還されたかもよく分からない。記憶に無い。

気付けば、本営直属の研究機関で召還され、施術台に寝かされ、拘束されていた。

今でも夢に見る。此方を見下ろす研究員達の、まるで虫でも見るかのような無機質な眼。眼。眼。眼。眼。

そして彼ら、彼女らの掌に灯る、蒼い微光。肉体にメスが入れられる事は無かったが、変わりに、龍田は精神を刻まれた。

フォーマットされた『龍田』という人格への干渉は、想像を絶する苦痛を伴った。地獄だった。

もともとが兵器だった故か、艦娘達は恐怖という感情に疎い。その筈だったが、一度得た自我の危機に伴う恐怖は、耐え難い程大きかった。

叫び出したいほどの頭痛と、自我の大出血に晒され、施術台の上で何度も気を失い、叩き起こされた。研究員達は容赦無く、蒼い微光で『龍田』を刻んだ。

彼らにとって、艦娘の精神や魂とは、眼に見えない金属なのだ。龍田の“心”への彫金、調律、鋳造を行った彼らも、何処かの鎮守府の提督だったのだろう。

殺してくれと叫んだ龍田を静かな眼で見た彼らは、特に何かの反応を返すでも無く、ただ事務的に龍田の人格を刻んだ。死の懇願も受け入れられなかった。

実験動物としての価値しか持たされなかった。どれ程の時間を、あの施術台の上で過ごしただろうか。よく分からない。数日か。数週間か。数ヶ月か。数年か。

長かったようで、短かったような気もする。時間の流れなど、気にする余裕も無かった。冷たい鉄の臭いと、薬品の臭い。薄暗い部屋。施術台を照らす、明る過ぎる照明。

覚えているのはそれだけだ。艦娘の生命力や適応力は相当なもので、苦痛にもだんだんと慣れてきて、心の動きが弱まってくるのが自分でも分かった。

痛みや恐怖という感覚が、やけに希薄で、遠く感じるようになった。自分という『人格』、その輪郭が暈けて来て、境界が無くなってしまう様な感覚だった。

御蔭で、生まれて来た事を後悔する程の恐怖と苦痛も、鮮明には思い出せなくなっていた。私は恐らく、何処かが壊れたんだろう。いや、意図的に壊されたのだ。

『人類への攻撃不可』という枷を外され、龍田に対する命令の効果はより強化された。人類に対する殺意や憎悪は在ったが、精神に嵌められた手綱が反抗を許さない。

 

 文字通り、龍田は命令によって人間を殺せるキリングマシーンに改造された。

どうやら本営に配備する親衛兵として、改造された艦娘を起用しようとする案が在ったらしい。

ただ、もうどうでも良かった。好きなようにすれば良い。もう考えるのも面倒だった。

どうせ人間を殺しても、私は何も感じないのだろう。そういう風に調律されたのだ。

生きる事も、死ぬ事も、許可が無ければ許されない。

希望など無いから、絶望のしようが無かった。

 

 龍田は施術台から解放され、親衛兵とは違う仕事を与えられることとなった。

それは、廃人同様になって使い物にならなくなった艦娘達の廃棄処分に携わる、ある提督の監視であった。

 

 其処で、龍田は“彼”に出会った。

当時、龍田が居た研究施設では、運用しきれなくなり、不要となった艦娘が各地から集められ、解体施術を受けた上で送られて来ていた。

激戦の最初期のあの頃はまだ、“近代化改修”と言った施術式も確立していなかったせいで、乱造された艦娘の管理に手を焼く提督が続出した事が背景に在る。

彼女達は残らず、人体実験の材料になった。最後にはその肉体も解体されて、一山幾らの質の悪い資材に還る。そして、より有用な形で利用されていた。

その最後の施術は研究員達が大人数で行っていた。有機の肉体を、無機の金属へと還す施術は、それだけ大掛かりで膨大な精密施術だった。

だが、ある時、その施術業務を一手に引き受ける形で、一人の少年提督がこの施設に配属されて来たのだ。

いや、正確には彼の持つ特殊な資質に眼を付けた本営に、無理矢理に押し付けられたと言うべきだろう。

 

 人格と思考、肉体の機能を破壊された艦娘達は、研究員達が“処理槽”と呼んでいた特別処置室へと放り込まれた。肉体を金屑へと還す為の施術室だ。

彼女達は身に何も着けて居ないし、自我を潰された上で、『許可が在るまで身動きをするな』という命令を受理している為、一見すると死体の様だった。

それが、錆の浮く鉄の部屋に、足の踏み場も無い程に累々と積み上げられている光景は、彼の眼にどう映ったのだろう。彼は、ただ立ち尽くしていた。

その場に崩れ落ちて、咳き喘ぐ様に泣いていた。まるで、溺れているみたな泣き方だった。龍田の仕事は、そんな彼を“激励”することだった。

ほらぁ~、施術を始めて下さいねぇ~。龍田は優しく言いながら、頑なに彼女達を廃棄しようとしない彼を、手にした槍の石突で、何度も何度も打った。

他の艦娘では絶対に出来ない、人間への攻撃。生々しい、暴力の感触が在った。ただ、苦しみ、のたうち回る彼を見ても、特に何の感情も抱けなかった。

顔と言わず、腕と言わず、胴と言わず、脚と言わず、彼を打って打って打ち据えて、打ち据えぬいた。血反吐を吐きながらも、彼は決して頷かなかった。

彼は非力な癖に強情だった。何をそんなに頑なに拒んでいるのか。何故、艦娘達の為に涙なんて流すのか。龍田は不思議だった。

「貴方が彼女達を廃棄しないというのならば、貴方は提督で居られなくなりますよぉ? ついでに、貴方が保持している艦娘が全員、此処に並ぶ事になりますよぉ?」

だから、そう聞いてみた。すると彼は泣き止み、血だらけの顔を上げた。じっと龍田の顔を見つめて来る。絶望の色が、ありありと浮かんで居た。

多分、施術台に居たときの自分も、最初はこんな貌をしていたんだろうかと。ぼんやりと頭の隅っこで考えたのを憶えている。そして、ついでに確信している。

 

 顔を血と涙でグシャグシャにした彼は、龍田の眼を見詰めながら、唇を噛み千切った。

この瞬間だった筈だ。果てしない絶望を前にした彼の心の中に、邪悪な閃きが生まれたのは。

 

 それから。彼は山積みにされた艦娘達の肉体を、順番に金属に還して行った。

だが、今まで研究員達がして来た様な、規模だけ大きくて粗雑な施術では無かった。

彼は、彼女達がまだ生きている事に着目した。死んで居ない事を、利用した。

身動き一つせず、呻き声一つ上げない彼女達には、しかし、魂が宿っているのだ。

意識や思考を破壊された彼女達の肉体を解き、魂を取り出す術を、彼は知っていた。

彼は、自分の中に在った多くを捨てた。それこそ、彼は自分の人格を破壊したのだ。

大事につくり上げて来た筈の、大切な自分を殺した。脱ぎ捨てて、破り捨てた。

その代わりに、救われない艦娘達の魂を、空っぽにした自分の心に鋳込むことを選んだ。

 

 

 彼が初めて艦娘を破棄した瞬間の、あの光景は、絶対に忘れられない。

蒼い光の粒となって消えていく、裸形の艦娘の肉体。

其処から取り出された魂の陰影は、同じく裸形の艦娘を模していた。

微光の揺らぎに象られた彼女へと、彼は小さな両腕を差し出して文言を唱える。

朗々と響く声に応え、空洞になった彼の心は、熔鉱炉の如く燃え盛っていた。

彼が唱え紡いだ煮え滾る灼熱の経は、艦娘の魂を捕らえて、彼自身の魂の内へと引きずり込んだ。

彼が、彼で無く、別の何かに生まれ変わるその刹那。

秒と秒の隙間に。揺らぎ、澱み擽る、墨溜まりの様な静寂の中。

彼の頬を流れた、たった一滴の人間性に、その尊さを教えられた。

龍田は、人間の心に狂気というものが訪れる瞬間を、間近で目の当たりにした。

激しい自責と無念を超越し、極限まで苛まれ抜いた彼の魂に、究極の価格が付いたのだ。

 

 彼は次々に艦娘達の魂を、自らの魂に刻み込み、融かし込み、鋳込み、飲み込んだ。

それは、無残に廃棄された艦娘達を弔う為か。それとも、自身の良心を満足させる為の、言い訳がましい偽善だったのか。

もしかしたら、その両方かもしれない。いつしか彼は、仮面の様な微笑みを浮かべるようになっていた。

彼は、肉体と金属と海水の狭間で、金属儀礼の秘儀とでも言うべき何かを見つけたのだろう。

極めて限定的だが、条件さえ揃えば、破壊された艦娘の自我の修繕すら可能にした。その際に、彼にもう一度生を与えられたのが、愛宕だった。

3ヶ月ほどで、施設に打ち捨てられた艦娘の魂全てを自らの内に飲み込み、刻み込んだ彼は、愛宕を連れて、もとの鎮守府へと帰って行った。

龍田と同じく実験材料にされて、人類の無慈悲に晒され続けていた愛宕は復活してからも、艦娘にしては珍しく人間恐怖症を患っていたのは、前に聞いた。

今は野獣の協力も在り、男性恐怖症ということで誤魔化しているようだが、今は克服すべく努力を続けている様なので、龍田が余計な口を出すべきことでも無い。

 

 あの3ヶ月で、彼と龍田が声を交わしたのは最初だけだった。

そして、激戦期が中盤に差し掛かると、近代化改修に於ける施術式が構築され、この施設に送られてくる艦娘達の数も、大きく減った。

龍田も前線基地である鎮守府に配属される流れとなったが、何処も引き取ろうとするところが無かった。皆、改造された龍田が恐ろしいのだ。

人に危害を加えることが出来る艦娘など、あの頃の提督達は、絶対に傍に置きたがらなかった。

だが、たった一人だけ、龍田を是非招きたいという人物が居た。

久ぶりに会った彼は、龍田に頭を下げてから、微笑みを浮かべて見せた。

それは仮面の様な微笑みでは無かった。いくらかの温もりを取り戻しつつある微笑だった。

 

 

 

 

 

 

「此処まで接近を許してしまうなんて、珍しいですねぇ~。

 やっぱり、深海棲艦達も、日々進化しているという事でしょうか」

 

「えぇ、楽観は出来ませんね……。

恐らく、各地の鎮守府を襲撃していた深海棲艦と同じでしょう」

 

 現在。鎮守府近海にて、深海棲艦の大艦隊を捕捉したとの報告が入ったのだ。

その討伐に向けて、彼と野獣の第一、第二艦隊が出撃している。

大和や武蔵を含む主力艦隊を送り出し、彼と龍田は埠頭に立っていた。

 

「タイミングが悪ぃんだよ……。

 俺がドックから出てから来いよなぁ。御蔭で留守番じゃねぇか」

 

「どのタイミングで来ても、どうせ文句を言うじゃないですか」

 

「おめーもドックでぶつくさ言ってただろーが」

 

 彼と龍田の背後では、恨めしそうな声を出した天龍に、不知火がやれやれと肩を竦めていた。

ついでに、龍田達から少し離れた場所には、野獣や長門、それに陸奥と大鳳、山城の姿も在る。

天龍と同じく、出撃組みに入れなかった長門も相当不満だったらしく、何やら野獣と言い合っている様だ。

主力戦艦をある程度残して置いたのは、先程入った本営からの指示だった。

報告によれば、襲撃を受けた鎮守府はいずれも、敵の上陸を許しているとの事だった。その上で、全艦娘の喪失と来ている。キナ臭い話だ。

普通なら野獣も無視しそうなものだったが、今回は大人しく従っている。野獣独特の嗅覚が働いたのかもしれない。

 

 波音や、晴れた空まで不吉だ。海の風が妙に澱んでいる様な、胸騒ぎの様なものも感じる。

「海は穏やかに見えますが、それが不穏でもありますね」彼が一歩、海の方へ歩み出た。

龍田や不知火、天龍達からは、二歩分離れる。今日はその一歩が、やけに遠い。天龍は、今までに無い種類の不安感を感じた。

 

 次の瞬間だった。

野獣達の方から、轟音が聞こえた。砲撃かと思ったが、違う。

海から何かが飛び出して来て、野獣達の前に着地したのだ。

地面が揺れた。とんでも無い重量感を持っている癖に、飛び出して来た何かは小柄だ。

人の形をしている。青白い肌。黒いフード付きのツナギ。マフラー。

それに、小柄な身体に不釣合いな、強大な尻尾。琥珀色に揺れるオーラ。

尾の先には、砲身を生やした獰猛な金属獣の頭がくっついていて、低い呻りを上げている。

 

 野獣達の眼の前に着地した奴は、まず手始めに尻尾をグオォーンと振り回して、陸奥と野獣をぶっ飛ばした。

そのついでに大きく身を沈めて、山城の足首を引っ掴んで持ち上げて、すぐ近くに居た大鳳を、“山城で”殴りつけた。

此処まで聞こえるヤバイ音がした。おまけとばかりに奴は手に持った山城を、咄嗟に応戦すべく、艤装を召還した長門目掛けてぶん投げた。

野獣と陸奥と大鳳は埠頭に立ち並ぶ倉庫をぶっ壊しながら、派手に吹っ飛んでいく。

空中を移動する事になった山城と長門が、工廠の壁に激突して、工廠自体が崩落した。

 

 瞬く間に五人を薙ぎ倒した奴は、建物が崩れる轟音を聞きながらクルッと回れ右をして此方を向いた。そして、何故か右手で敬礼して見せた。

奴は笑っていた。あれは、楽しいとか嬉しいとか、そういう感情から来る笑顔じゃない。ぶっちぎれてる奴特有の、ヤバイ系の底抜けに明るい笑顔だ。

奴はこっちを見て、「見~っけた☆」みたいに、そのヤバそうな笑顔を更に深めて見せた。

いや、違う。こっちじゃない。彼を見て、笑ったのだ。

奴が笑うのと同時だった。ざばぁっと、海からまた何かが飛び出して来た。完全に不意討ちだった。「くっ……!」 嘘だろ? もう一匹追加だ。赤い鬼火の様なオーラを纏っている。

白過ぎる肌に、白い絹の様な髪。鋼色のジャケット。金属の獣とも、艤装とも言えない装備で両腕を固めた、南方棲鬼だ。後から出て来た奴は、彼に飛び掛って捕まえた。

ゴツいガントレットを嵌めた右手で、彼の喉首をがっしりと掴んで、彼の体を持ち上げている。小柄な彼は、宙吊りにされた。

 

 南方棲鬼は、見る者に命の危険を感じさせる様な、艶美で嗜虐的な笑顔を浮かべている。

しかし、苦しげに表情を歪めながらも、彼は気圧されて居ない。その眼は冷静そのものだ。

奴を睨み返している。それだけじゃない。彼は、もう既に何かを唱えている。

彼も戦うつもりか。しかし、どうやって。いや、どうもこうも無ぇ。

完全に奇襲だった。艦載機共が居ないのは、極限まで隠密性を高める為か。

天龍は舌打をした。あんな奴らが上陸してくると思うかよ。ステルス機能でも身に付けたのか。

聞いてねぇぞ。もしもーし。本営さんよ。どういう事っすかね。まぁ、何でも良いけどよ。

野獣の奴。あれ、死んだんじゃねぇか。マジかよ。何死んでんだよ。ふざけんな。

いや、そうじゃねぇな。悪いのは野獣じゃねぇ。あいつはな。アレはアレで、良いトコも結構あるんだよ。

お前だよお前。おい。レ級。何笑ってんだ。殺すぞ。マジで。だが、もっと許せねぇのは。

いきなり人の提督をネックハンギングしてるテメェだよクソ野郎。

 

 天龍は地面を蹴って飛び出す。同時に、艤装を召還する。

龍田と不知火も前に出る。その出鼻を挫かれた。ズゴンッ!! という、コンクリが砕ける音がした。ちょっと離れた場所からだった。

それが、野獣達を薙ぎ倒したレ級が、地面を蹴った音だと理解した時には、もう距離を潰されていた。天龍のすぐ横に、奴のスーパースマイルが在った。

何だコイツ、やべぇ。砲撃なんてして来ない。ただぶっ壊しに来てる。舌打ちするよりも先に、天龍は地面を這うみたいにして伏せた。

その頭上を、凄まじい勢いで尾が通り過ぎていった。即座に横っ飛びに転がると、今まで天龍が伏せていた地面を、レ級が踏み砕いて陥没させた。

逃げる天龍を眼で追うレ級は、「KAHAッ」笑った。笑いながらも、横合いから踏み込んで来ていた龍田に、奴は気付いていた。

普通だったら絶対に喰らっている筈だ。あんな鋭い踏み込み、反応出来る奴なんてそうそう居ねぇよ。

奴は顔面目掛けて突き出された龍田の槍を、口で、いや、歯でがっちり噛み付いて止めて見せた。ついでに、がぶがぶっと刃の部分を噛み砕きながら、槍を引っ掴んだ。

龍田の表情が強張った。ヤバイと思った。天龍も踏み込む。袈裟懸けに刀をぶち込んだ。その筈だった。違った。奴は刃を掌に減り込ませながら、素手で刀を受け止めていた。

驚愕するほど余裕は無かった。今度は、上から来た。クソデカ尻尾が降って来る。避けろ。後ろは駄目だ。横だ。天龍は咄嗟にサイドステップを踏んで避ける。

尻尾が振り下ろされ、地面のコンクリがバキバキのグシャグシャになった。避けた筈なのに、風圧で後ろに押された。「龍田! 避けろ!!」

その声が届く前に、レ級は地面を踏み砕きながら龍田に迫り、蹄みたいな足底をぶち込むようなケンカキックを繰り出した。鈍い癖に、鳥肌が立つ様な派手な音がした。

龍田は避けれなかった。インパクトの瞬間。咄嗟に槍の柄を構えて防御姿勢を取って、後ろに身を引いていた。それでも、ダメージを殺しきれたとは到底思えない。

 

 弧を描いて、くるくると回りながら飛んで行く龍田を見て、頭の血管がブチ切れるのを感じた。

だが、ギリギリで冷静さを保てたのは、「沈め……ッ!」という、低くてドスの効いた声が聞こえた御蔭だ。

叫びながら突進しようとする天龍の反対側から、先に不知火が距離を詰めていたのだ。もうかなり近い。至近だ。レ級は咄嗟に右拳を振り被って、不知火を殴りつけた。

だが、その拳は空振る。不知火は不用意なレ級のパンチを、クロスカウンターで返した。右手に握った酸素魚雷を、レ級の口にガボンと無理矢理突っ込んだのだ。

「FuGa!」酸素魚雷を咥えたままのレ級は、今度は左拳を振り上げて不知火を狙ったが、出来なかった。天龍が踏み込んで、レ級の左腕を斬り飛ばしたからだ。

不知火と天龍の目が合う。同時に、二人は大きくバックステップを踏む。流石の冷静さだ。不知火は、レ級の顔面のど真ん中に砲撃をぶち込んだ。

同時に、レ級が咥えた魚雷が良い感じに誘爆した。ボウン!! と、派手に火柱が上がる。

海の上じゃ無理な戦い方だが、上手く行った。そう思った。大間違いだった。

爆炎を吐き出したレ級は、左手を振り上げた姿勢のまま、ゆっくりと倒れる。と、見せ掛けて、不自然な動きでビョイーンと跳ねた。

首から上を真っ黒焦げにされながらも、レ級は止まらなかった。凄い速さだった。

不知火は反応出来なかった。肉と骨が潰れる、嫌な音が聞こえた。

飛び掛ったレ級の頭突きが、不知火の胸板にぶち込まれたのだ。「がっ……はっ――……ッ!?」

不知火は吹っ飛ばされて、血反吐を吐きながら埠頭の端までゴロゴロと転がって行った。艤装が軋みを上げている。

コンクリの上をバウンドする度に、「うっ」とか「あっ」とか、苦しそうな声を漏らしていた。

ようやく勢いが死んで、地面の上にうつ伏せに倒れる形になった不知火は、もう起き上がって来なかった。

今度こそ、天龍はキレた。鋭く息を吐き出して、レ級に迫ろうとした。だが、そのタイミングを潰された。

背中に強烈な衝撃と熱を感じた。爆音。艤装に砲撃を喰らった。南方棲鬼だ。天龍の動きが止まった。その隙に、顔面黒焦げのレ級が距離を詰めて来ていた。

中々のコンビネーションだった。天龍は、痛みよりも先に衝撃を感じた。気付けば、宙高く打ち上げられていた。蒼い空を見ながら、空中で血反吐をぶちまける。

何だ。何された? 痛ぇ。霞む視界を地面にずらすと、レ級の奴が尻尾を振り上げた姿勢で立っていた。野球のバットの要領で、尻尾をアッパースィングしやがったのか。

 

 急な放物線を描いて、天龍は地面に肩からグシャッと墜落した。衝撃と激痛で、眼の前が真っ白になってから、真っ暗になった。あぁ、クソ。俺、どうなってる。

艤装は多分、大破だ。うぜぇ。視界が徐々に戻ってくるのに、数秒掛かった。俺は倒れてる。うつ伏せだ。体が動かねぇ。いや、動かせ。起きろ。立て。顔を上げろ。

 

 地面に右手をつこうとしたら、腕が変な方向に曲がっていて上手くいかない。「ぐ……、がぁあぁああああああああ!!」

ムカついたから、どうやらギリギリ無事だった左手で拳を作って、なけなしの力を振り絞って、地面をぶん殴るみたいにして身体を起こした。

そうだ。寝てる場合じゃねぇんだよ。俺は、一応、アイツの“おねぇちゃん”みてぇなモンだからな。手の掛かる弟を助けてやらねぇと。

顔を上げると、死掛けみたいになっている此方を見下ろす南方棲鬼と眼が合った。奴は、まだ右手で彼の喉首を掴み上げたまま、怖気を誘う様な笑みを浮かべている。

ものの数十秒程で天龍達を大破状態に陥れたレ級の方は、再生していく自身の左腕を見ながら、「Aha♪ ahahahahahaha♪」と、楽しげに笑って居た。

驚愕すべきはその再生能力だ。上顎や下顎が魚雷で吹き飛ばされた癖にもう復元しているし、黒焦げだった顔貌や艶の在る白い髪も、もう元に戻りつつある。

 

 

 殺意に満ちた天龍の眼差しを受け止めながら、南方棲鬼は首をゆっくりと傾けて見せた。

「アナタモ……味ワイナサイ。絶望ヲ……」それは、愉悦に歪んで罅割れた声だった。

南方棲鬼が言い終わると同時だった。奴は右手で掴みあげている彼の右腕を、空いている左腕で、万力の如き力でゆっくりと捻じり始めた。

まるで、人形の腕を捻り潰すような仕種だった。ボキボキ、ブチブチブチ……、という、彼の骨や筋肉が断裂する音が聞こえた。

だが、彼は悲鳴を上げない。首を掴み上げられたままの彼は、呻く様な掠れた声で、読経の様に何かを唱えている。痛みを感じていない筈が無いが、何て集中力だ。

天龍を見下ろし嗤う南方棲鬼は、彼の右腕を捻じ切った。彼は、それでも悲鳴を上げなかった。代わりに天龍が、悲鳴とも呻きともつかない声を漏らした。

それを聞いて、南方棲鬼は愉悦に貌を歪めた。そして天龍を見下ろしながら、ガントレットを装着した左手の指先を、今度は彼の右眼へと近づけた。

天龍は立ち上がり駆け出そうとしたが、すぐに膝が崩れて前のめりに倒れる。不覚にも、涙が滲んだ。声が出ない。呼吸が震える。やめろ。やめろ。止めろ。止めてくれ。

南方棲鬼は容赦しない。ガントレットの鋭い指先を、彼の右眼を摘むようにして差し入れる。それを天龍に見せ付けるかのように、嫌味な程にゆっくりとした優雅な仕種だった。

お願いだ。止めてくれ。止めて。お願いします。止めてください。何でもします。死ぬ。死んじまう。死んじゃうよ。彼が。そんな。止めて。止めて。

天龍の声に成らない懇願を聞きながら、南方棲鬼は彼の右眼を抉り出した。彼の身体が、僅かに痙攣した。それは、天龍が何とか守ろうとした彼が、踏み躙られる瞬間だった。

南方棲鬼は、抉り出した彼の眼球を、淫靡な仕種で口の中に放り込み、咀嚼、嚥下した。そして、極上の饗宴を食したかの様に「ほぅっ……」と溜息を吐き出した。

天龍は血を吐き出しながら、南方棲鬼を睨んで絶叫する。それしか出来かった。だが、右眼を繰り抜かれた彼は、それでも尚、何かを唱え続けている。

 

 南方棲鬼が彼の眼球を喰うのを見て、腹でも空いたのか。今度は、レ級が動いた。

彼の方へでは無く、倒れ伏した姿勢のままで、何とか上半身を持ち上げている天龍の方へ。

「Ufufu♪」と笑ったレ級は、尻尾の金属獣の口を開いて見せた。

天龍を喰う気か。だが、天龍はただ睨むだけしか出来ない。

それが、死ぬほど悔しい。だが、諦めるのはまだ早い様だった。

「がぁあああああああああああああ――――――……ッッ!!!!」

空気を激震させる様な、裂帛の気合と共に、埠頭倉庫の瓦礫山の一部が吹き飛んだ。

さっきのレ級にも負けない勢いで、何かが飛び出して来た。長門だ。

艤装の砲身はほぼ大破状態だったが、それでも、その膂力は健在だった。

天龍を庇う体勢で割って入り、「Bu!?」 レ級の金属獣を、横合いから殴り飛ばしたのだ。

金属が拉げる音と、何か硬いものが砕け散る音が、鈍い重低音に混じる。

 

 地面を震わせる様な超重量級のパンチを喰らい、尻尾の金属獣は折れ曲がるみたいにしてグチャグチャに飛び散った。

だが、バックステップを踏んだレ級自身は、「うぉースゲー! 何だ、結構やるじゃん!」みたいに、楽しそうに笑っただけだ。

拳を振りぬいた姿勢のままで、長門は荒い息を吐き出している。その眼は、倒れた天龍を見ていない。長門の頬に、涙が伝った。

瓦礫の山と化した埠頭倉庫と工廠跡を見れば、陸奥と山城、大鳳は無事だった様だ。だが、瓦礫を押し退け立ち上がっているのは三人だけだ。

陸奥が、震える声で野獣を呼んでいる。大鳳も、山城もだ。だが、返事は無い。野獣は人間なのだ。金属より生み出され、強化された肉体を持つ艦娘とは違う。

眼の前で野獣を殺された無念さか。それとも、余りにも唐突な襲撃に、何も出来なかった自分が許せないのか。

だが、長門が天龍を守った一撃が、場の流れを変えた。埠頭のコンクリートに力線が奔り、術陣が浮かび上がったのもその時だ。

南方棲鬼が掴み上げている彼を中心にして、微光が渦を巻いた。その色は、蒼でも紅でも無い。深紫だ。流石に、彼を持ち上げている南方棲鬼も、身の危険を感じた事だろう。

轟々と吹き荒れる、微光を塗された風ならぬ風。力の脈動だ。南方棲鬼は、彼を地面に放りなげて飛び下がった。

右腕と右眼を失い、投げ捨てられた彼は、いつもの凪いだ表情のままで、ゆっくりと立ち上がった。それから、倒れ伏す天龍や不知火を見て、崩れた埠頭倉庫や工廠を眺めた。

彼は右眼と右腕からボタボタと血を零しながら、普段と変わらない、場違いなひっそりとした微笑を浮かべて見せて、天龍と長門の方へと歩み寄る。

彼が歩く度に、ズシン……! ズシン……! ズシン……! と、その足元の地面が陥没した。

何か、途轍もなく、そして途方も無い何かを、彼が背負っているかの様だ。

 

 丁度、南方棲鬼やレ級から、二人を庇うような位置で、彼は立ち止まる。

立ちはだかる。肩越しに振り返る彼は、残った左眼を、優しげに細めて見せた。

“「『すぐに修復施術を行います。もう少しだけ……待っていて下さい』」”

 

 長門と天龍にそう言った彼の声は、何十にも重なって聞こえた。明らかに、一人の声じゃない。

聞いた事のある声が、波折の様に積み重なっている。天龍の声。龍田の声。それに、不知火の声。陽炎。黒潮。高雄。愛宕。他にも、まだまだ重なっている。

立ち上る深紫のオーラは揺らめき、彼の背後に何かを象り始める。それは。激しい憎悪と怨恨に表情を歪ませた艦娘達の陰影だった。とにかく凄い数だ。

象られた艦娘達の陰影の中には、腕や脚を欠損させた者、首の無い者、髑髏と化している艦娘も居る。死の群れだった。余りの光景に、呑み込まれる。

 

長門も、天龍も動けない。

陸奥や山城や、大鳳も、身動きが出来ずに居る。

意識を取り戻し、体を何とか起こした不知火の表情は、驚愕や恐怖よりも、悲哀が滲んでいた。

蒼い空に輝く、日輪の頂点の下。今まで彼がひた隠しにしていた全てが、溢れ出た。

 

 

 南方棲鬼はその光景を前にして明らかに戦慄していた。逃げ出そうとしている様だが、無理だ。

海への退路を阻む形で、彼が引き連れた艦娘達の遺骸が陰影として立ちはだかる。

レ級の方は、イマイチ状況を理解していないのか。ぽかーんとした貌でその様子を見ている。

 

 彼を中心に広がる術陣は、埠頭全体を覆う程に広がり、明滅の脈動を繰り返している。

引き千切られた肩口から零れ、彼の足元に出来た血溜まりも、力線に飲まれて燃えていた。

身体の右半身を、炎煙を思わせる深紫の揺らぎが包む。彼の炎血、沸血が編んでいく力線が、コンクリートを灼く。

「ぬわぁぁぁああああああああああん!! 死ぬかと思ったもぉおおおおおおん!!」という声が聞こえなければ、天龍達はずっと呆然自失としたままだったろう。

聞き覚えのある声が瓦礫の中から響いた御蔭で、天龍達は、はっと我に帰った。野獣。長門と、陸奥が泣きそうな声で名を呼んだ。アイツは、それに応えた。

「ヌッ!!(本気モード)」と、気の抜ける様な声と共に、積もった瓦礫を持ち上げて投げ飛ばした野獣が、のっそりと立ち上がった。アイツは、ほとんど無傷だった。

どれだけタフなんだと思ったが、破れたTシャツから覗く野獣の肌に、鈍い鋼が見えた。腕や脚にも、塗膜のように鈍色を纏っている。

 

「何驚いた貌してんだオララァーーーン!?

 海じゃ戦えない俺達が、陸まで攻めて来られた時の事を考えて無い訳無いだルルォ!?」

 

 矮弱で繊弱な筈の人間の、思いがけない復活に驚愕する南方棲鬼。

ただならぬ雰囲気を感じ取って、強敵の予感に興奮している様な様子のレ級。

両者を交互に見て。野獣は鼻を鳴らす。

 

「俺も、独自に施術法を編み出したりしてるんだからさ。

(人間の意地)見たけりゃ見せてやるよ」 その手には、一振りの刀。いつの間に。

物干し竿とでも呼ぶのか。その長い刀を一息で抜き、鞘を捨てた。それから、辺りの惨状を見渡す。

「良し! 死んでる奴は居ないな!(最重要)」ゴキゴキと首を鳴らした野獣は、彼の様子には気づいているが、それがどうしたと言った感じだ。

相変わらず何が入っているのか分からない海パンから、黒いゴーグルを取り出して、装着した。

 

「MT、YMSR、それにTIHUは手分けして、

 ダメージがやばそうなNGTとTNRYU、TTT、SRNIを連れて、此処から離れてろ。

 俺とアイツが、あのクソザコナメクジ共を、パパパッとやって、終わり! 

 全員が生き延びる為に、はい、よろしくゥ!(Daredevil先輩)」 

 

 口許を緩めて見せた野獣は、ほぼ大破状態だった陸奥達を一旦この場から離れさせるつもりなのだ。

早口で言い終わった野獣は、陸奥たちの返事も聞かずに、スニーカーを履いた足で地面を蹴って飛び出す。

一歩目で身体を大きく倒し、二歩目でトップスピードになっていた。疾い。明らかに南方棲鬼が怯んだ。後ずさった。

その隙が致命的だった。深紫の揺らぎが象った、膨大な数の艦娘達の陰影。それが狂濤となって南方棲鬼を飲み込んだのだ。あっという間だった。

「ゥグゥウウ……! ハナセェェェ……!!」もがく南方棲鬼に、艦娘達の陰影が纏わりつき、その艤装や装甲を剥がし、解かし、消散させていく。

それは、無慈悲な解体施術だった。初めて見る施術だが、本能的に理解出来る。あれは、艤装だけで無く、肉体に宿る力すらスポイルする施術だ。

その様子を、菩薩のような凪いだ表情で見詰めながら、彼は朗々を施術式を編み上げていく。

 

一方で、レ級の方は、怯むどころか前へ出る。既にレ級の尻尾も腕も完全に再生している。

砲身を生やした金属獣の首を擡げて、野獣に向けた。「私とあーそぼ☆」って感じだ。

 

 恐らく、このレ級は強過ぎた。

今まで、苦戦も創意工夫も、努力も思慮も無かったのだろう。

ただ貪るように殺戮を繰り返して来たのだ。故に、経験と学習の機会に恵まれなかった。

砲雷撃戦の能力など微塵も無く、こんな近距離で、しかも陸の上でしか戦えない者など、取るに足らない。

敵の数にも入らない木っ端に過ぎない。いくら特殊な施術で身体能力が上がっていようが、所詮は人間。

その筈だった。だが、野獣は違った。レ級は砲撃の目測を見誤った。

 

 野獣が、踏み込む速度を変えたのだ。疾くなり、遅くして、更に疾く踏み込んで見せた。

レ級が砲撃体勢を解くよりも先に、野獣は間合いにレ級を捉えていた。霞みかけた視界で、天龍は正直見惚れた。

特別に打ち鍛えたのであろう、あんな扱い難そうな長い刀を、どうやったらあの速度で振り回せるのか。

物干し竿を振るう野獣の腕の動きが見えなかった。シュパパって感じだった。次の瞬間には、レ級の両腕が飛んだ。

だが、流石はレ級と言ったところか。あの野獣の刀の動きを眼で追ってやがった。

そうでなければ、頚を狙って放たれた斬撃を、バック宙で交わすなんて芸当は無理だ。

ついでに、ツナギのスカートの奥から魚雷を、バラバラバラっと野獣目掛けてばら撒いた。ヤバい量だった。

宙返りを決めながら尻尾の金属獣が、その内の一本に砲撃をぶち込んだ。大爆発が起こった。

 

 不知火と龍田を抱き上げ、回収してくれた山城と大鳳も、尻餅をついたり、ひっくり返ったりしている。

彼の背後に守られていた天龍と長門も、後ろに吹っ飛ばされそうになったが、駆け込んで来てくれた陸奥が、庇ってくれた。

天龍も自分の顔を腕で覆う。長門が、野獣の名前を叫んだ。野獣はすぐに応えた。

 

「大丈夫だって安心しろよ~、もー(全身塗鋼)」 

 

炎の中から、野獣は頚を鳴らしながら歩みでて来る。

強敵との遭遇に、狂気染みた喜びを滲ませて、レ級は「Gyahyahya!」と笑う。

ただ、レ級の両腕は再生していない。野獣の持つ刀のせいか。

そんなの関係ねぇと言わんばかりに、レ級は身体を駒みたいに高速で振り回した。

あの巨大な尾っぽを竜巻みたいに回転させて、小旋風と化して野獣に飛び掛る。

だが、野獣の刀捌きは、レ級の巨大な暴力を上回って居た。

 

「ちょっと、刃ぁ当たんよ~……(王手)」

 

 すっ、と音も無く身を沈めた野獣が、突っ込んで来るレ級竜巻との距離を詰めた。

すり抜けた。少なくとも、天龍にはそう見えた。次の瞬間だった。レ級竜巻は空中分解して、地面にぶちまけられた。

野獣が、金属獣ごと、レ級の尾を微塵に斬り潰したからだ。

どしゃっ、と墜落した本体の方は、それでも尚起き上がろうとした。

だが、それは彼が許さなかった。小柄なレ級の本体に、深紫の陰影が覆いかぶさった。

レ級は暴れるが、もはやそれは抵抗になり得なかった。

 

“「『聞かねばならない事も在りますし、逃がす訳にも行きません……』」”

 

 抑揚の無い声で言う彼の右眼や肩口からは、もう出血が止まっていた。

南方棲鬼とレ級の無力化、そして拘束を確認して、彼は纏っていた深紫の揺らぎを解く。

消え始めた艦娘達の陰影は、潮風に溶けて、還っていく。

十数分程の、束の間の激戦は、野獣達が勝利した。

 

 

 

 

 

 

「ぬわ疲! 止めたくなりますよぉ~、深海棲艦との直接戦闘ぅ~(タイムリミット)」

 

 全身塗鋼の肉体強化施術を解いた野獣は、ゲホっと血を吐き出してから、その場に座り込んだ。身体に無茶苦茶負担が掛かるような施術なんだろう。

野獣も、口許の血を拭いながら、この場に居る全員の顔を順番に見て、安堵の笑みを浮かべている。

腕や眼をついさっき失った癖に、今では痛がる素振りを全く見せない彼に言及しないのは、野獣なりの気遣いなのだろう。

座り込んだ野獣に身を寄せ、肩に額を預けたのは長門だった。「死んだかと思ったぞ……」と、ぽそぽそっと言う長門の頭を、野獣はやれやれと撫でてやる。

 

 大鳳に肩を貸して貰い、立っている不知火。

同じ様に、山城に肩を貸して貰い、立っている龍田。

野獣と長門を、嬉しそうに見守る陸奥。皆、一様に安堵の表情を浮かべている。

 

 彼は、何だか申し訳無さそうな貌になって、周りに居る艦娘達を見回した。

そして、無事とは言えないものの皆が生きている事に、心の其処から安堵した様に息を吐き出す。

「本当に、良かった……」 そう呟いた彼の声は、もう何時もの声に戻っていた。

幾人もの艦娘達の声が一つになった様な、不思議な響きが在った。

 

あのさぁ。お前は他者の心配じゃなくて、自分の心配をまずしろよ。

お前、片腕と片目が無くなってんだぞ。何でそんなに平気なんだよ。

もしも身体がいつも通り動くのならば、天龍は彼をぶん殴っていたかもしれない。

取り合えず今は、お前が何を隠していたのか何て、誰も気にしねぇよ。もう良いだろ。

全員生きてて良かったじゃねぇか。他に何か要るのかよ。そんな哀しそうな貌すんなよ。

山城に肩を貸して貰った天龍が、上手い言葉を見つけるよりも先に、緊張の糸が切れた彼が倒れた。

海鳴りが遠くで聞こえた。まるで、海が彼を呼んでいるかのようだった。

 







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